『日中交流』評 金子聖仁

投稿者: | 2026年3月16日
『日中交流』

日中交流
人と人とが紡いできた半世紀


園田茂人 編
出版社:東京大学出版会
出版年:2025年6月
価格 4,400円

まず、シンプルながらも洗練された鮮やかなミントグリーンの装丁が目を引く。そして、手に取ってそのカバーを外すと、表紙と裏表紙には数々の写真が散りばめられている。人々が握手や対話を交わしている写真、そして晴れやかな集合写真である。これらはいずれも、本書の主題である「日中交流」の一場面を捉えたものにほかならない。そこには、一目でわかる著名な政治家から学生と思しき若者まで、実に多様な人々が写っている。本書は、このような人々や団体が織りなしてきた、1972年以降半世紀以上にわたる日中両国間の交流の歴史を描き出した論集である。
 構成は以下のとおりである(括弧内は著者名)

はじめに――交流をめぐる日中の半世紀(園田茂人)
I 組織から見た日中交流
  第1章 友好運動から実務交流へ――日中友好7団体(城山英巳)
  第2章 支援から戦略へ――国際交流基金(園田茂人)
  第3章 経験の累積がもたらす効果――地方自治体(園田茂人)
  第4章 多次元外交としての対中事業――日本財団グループ(小林義之)
  第5章 国家関係に左右されない民の交流は可能か――NPO/NGO(李妍焱)
II 個人から見た日中交流
  第6章 非正式ルートの活用と衰退――政治家(城山英巳)
  第7章 チャンスからリスクへ――企業家(服部健治)
  第8章 新たな停滞期への突入か――記者(濱本良一)
  第9章 変化する環境下のしなやかな強靭性――研究者(杉村美紀)
  第10章 不均質な人流の誕生――学生(荒川雪)
III イッシュー別に見た日中交流
  第11章 科学技術――交流を生み出す力学とその変化(角南篤)
  第12章 癌――日中関係を映し出す鏡(河原ノリエ)
  第13章 料理――美食外交の始動と展開(岩間一弘)
  第14章 観光――訪日インバウンドの成長力学(田中孝枝)
  第15章 スポーツ――選手とコーチが織りなす物語(高嶋航)
おわりに――交流経験を言語化する(園田茂人)

 以下、本書の概要を示す。冒頭「はじめに」において、編者を務める園田氏は本書全体を貫くテーマとして、日中間の人的交流の増加は日中関係にいかなるインパクトを与えたのかという問いを掲げる(p.3)。ここで園田氏は「交流」を、「特定の個人なり団体・組織が、ある目標を達成させるために[行う]、多くの場合、移動をともなうパートナーとの作業」と定義する(p.4)。すなわち、個人や団体・組織といった具体的なアクターに焦点を当て、パートナー=相手方との共同作業として「交流」を捉える。ここで「移動」に「多くの場合」と付されているのは、同氏が指摘するように、人々の往来が著しく制限されたコロナ禍においても「交流全体は順調だった」という声が少なくなかったためである(p.10。2022年実施の「コロナ禍と日中交流実態調査」より)。これらの問いを紐解くべく、以下十五章にわたり、「交流を行ってきた人びとの声」(p.11)に立脚した分析が展開される。

 まず第I部では、交流に従事した団体や組織を対象とした分析が行われる。城山氏による第1章では、日中友好7団体が国交正常化前も含めて果たした役割と、時代の変遷に伴うその限界、さらに今後の実務交流の受け皿としての可能性が描出される。団体幹部へのインタビューを含む貴重な歴史叙述であると同時に、戦後日中関係史の概説としても読める、本書の導入にふさわしい一章である。園田氏による第2章は、日本政府系機関である国際交流基金の対中事業の歴史を扱う。時代が下るにつれて従前の対中「支援」というロジックが通用しなくなるなか、交流現場の職員は葛藤を抱えつつ事業に臨んでいた様子が活写される。同じく園田氏による第3章は、友好都市提携など自治体による交流事業に目を向ける。計量的データに基づき、早期に交流関係を築いた自治体ほど活発な関係が続いていることを示しつつ、その背景には関係者の親善への情熱があったことを指摘する。小林氏による第4章は、民間財団である日本財団の対中事業を分析する。「多次元外交モデル」に即し、外交主体をトップ・中間・草の根の三次元で捉えながら、日中両国の状況に応じて次元を切り替える形で柔軟に事業を展開してきた同財団の歩みを紐解く。李氏による第5章は、草の根のNGO・NPOが日中交流において果たした役割を論じる。「Doingの交流」「Beingの交流」という興味深い分析軸のもと、草の根交流を支えるキーパーソン(媒介者)の重要性を明らかにしている。

 続く第II部では、団体・組織よりも個人に焦点を当てた分析が展開される。城山氏による第6章は、日中関係の動揺期に効果を発揮した「バックチャンネル」外交を、政治家・外交官・民間人を事例に叙述する。こうしたチャンネルは、日中双方の政治構造の変化によってその有効性に限界が生じているものの、危機管理や信頼醸成の観点から依然として重要であると指摘する。服部氏による第7章は経済交流、とりわけ日中の相互依存の深化と中国の経済大国化の過程で企業家が果たした役割を論じる。日中経済関係の歴史をたどりつつ、日本企業には今日「チャイナ・リスク」を管理する必要性がある一方で、中国企業から学び得る点もあることを示唆する。第8章は濱本氏による日中ジャーナリズム交流の半世紀史である。日中記者交換覚書の時代から近年の締め付け強化に至るまでを扱い、日本人記者が中国国外退去となった事例の顛末も紹介する。杉村氏による第9章は、人文社会系研究者および機関の交流に着目する。学術交流機関の在り方の相違や在中日本人・在日中国人研究者数の非対称性などを指摘しつつ、交流を担う人材と機関の存在が両国関係を強靭にしてきたことを示唆する。荒川氏による第10章は、留学生交流や学校間教育交流の歴史と従事者の声を掘り起こす。現場の担当者へのインタビューに基づき、コロナ禍におけるオンライン交流が新たな交流相手との結びつきや学生の関心の萌芽につながったことなどが指摘される。

 第III部では、交流主体ではなく個別のイッシューに着目して、ユニークな交流史が描かれる。角南氏による第11章は、科学技術をめぐる日中交流史を扱う。日中の科学技術力が逆転するなか、日本が中国を「指導」する時代は終わり、また昨今は経済安全保障の論点が前景化しているものの、特に基礎研究分野においては交流の継続が重要であると論じる。河原氏による第12章は、癌を事例として医療交流史が描かれる。癌の予防・診断・治療をめぐる日中間の研究交流の歴史を描いた上で、日中関係が「癌という共有課題を真ん中におき、お互いの強みを生かした学びあいのフェーズに入った」(p.312)と主張する。岩間氏による第13章は料理、とりわけ「美食外交」の展開史である。料理人同士の結びつきの深化や料理技術の向上を図る試みが進む一方、自国料理の「本物」像を押し付けたり自国の経済的思惑が前景化したりすると、現地社会との摩擦が生じ得るとの指摘がなされる。田中氏による第14章は、日中間の観光をめぐる歴史を論じる。観光業にはエスニック分業的な特徴が残存する一方、地域課題の解決という新たなニーズのもとでダイナミックな観光交流が形成されつつあることが示される。第15章は高嶋氏によるスポーツ交流史である。スポーツ交流に日中間の緊張を突破する役割が期待された事例を紐解きつつ、(インター)ナショナルな枠組みのなかに垣間見られるトランスナショナルな紐帯が感動や相互理解を喚起する可能性を示唆する。

 園田氏による「おわりに――交流経験を言語化する」では、本書全体を総括しつつ、同氏が行ったヒアリング調査のなかで交流担当者が吐露した、交流に際しての感情や動機に関する具体的な発言が紹介される。「交流を行ってきた人びとの声」に耳を傾けるという本書の姿勢が貫徹されていると言えよう。さらに、「交流経験を言語化する」という副題には、日中関係にしばしば表出する言説の陰に埋もれがちな交流の担い手たちの思いを、絶えず言葉として紡ぎ出すことの重要性が示唆されているようにも思われる。

 以上、本書全体の内容を概観した。日中交流に従事した個人や団体・組織の声を傾聴し、その歩みを総括するという本書の目的は、次の二点から概ね達成されていると評価できる。
 第一に、本書評でも繰り返し触れたとおり、本書が何よりも「人」、すなわち交流の担い手に焦点を当てている点である。改めて言うまでもなく日中関係には様々な構造的変動が生じ、交流はしばしば困難に直面した。本書のほぼすべての章が、交流は決して順風満帆には進まなかったことを指摘している。しかし、コロナ期のオンライン交流のように、困難な状況下でかえって結びつきが強化された事例もある(第3章、第10章など)。こうした「雨降って地固まる」的帰結が生じた背景には、交流を支える人々や組織の並々ならぬ情熱があったことを各章は明らかにする。「文化交流は人に始まり人に終わる」という至言があるが、本書の各論はその態様を手堅い実証から跡付けている。
 第二に、扱う分野とアプローチの多様性である。上述の各章の紹介からも明らかなとおり本書では、交流の主体(アクター)・分野(イッシュー)の双方において幅広い事例が取り上げられている。それだけではなく、エビデンス(インタビュー、文献資料、統計データなど)および方法論(歴史実証、統計分析、言説分析など)の面でも章ごとに多様な学問的手法が採用されている。日中交流という共通の分析対象へ接近する様々な学術的アプローチに触れられる点で、本書は学問の入り口に立つ学部生にも薦め得る一冊である。
 
 最後に、本書を通読して触発された論点を二点挙げたい。
 一点目に、本書を通して日中間の半世紀にわたる交流の足跡が描出されたが、ではその「日中交流」は世界の多様な二国間関係のなかでいかに位置づけられるのか、という点である。言い換えれば、日中交流およびそれに支えられた「日中という二国間関係」がもつ特質とは何なのだろうか。さらに、そこから導かれる国際関係・国際交流全般への含意は(あるとすれば)何なのだろうか。編者の園田氏は、本書でも紹介される「中国の日本研究50年」(国際交流基金、2022年、https://www.youtube.com/watch?v=_HtsQIF7g7A、2026年2月6日最終閲覧)のインタビューのなかで、「『日中』もこれから『世界の中の日中』だということを強く意識してほしい」といみじくも指摘している。いかにして「世界の中の日中」に位置づけるか――その在り方は、中国における日本研究を東アジアあるいは世界のネットワークへ位置づけ直す試み(第2章)や、癌などの医療・ケア(第12章)や観光を通じた地域活性化(第14章)など、日中を越えた世界的な共通課題への解決策の提示に、見出せるかもしれない。日中交流の現状や成果、そして限界を、英語媒体を含めて世界へと発信していくことも、学術研究の立場からできる貢献であろう。
 二点目に、本書では交流を実施する個人や団体に焦点が当てられ、その工夫と苦悩の足跡が活写されたが、翻ってそうした交流に参加した人々は日中交流から何を感じ、またそうした「感情」や「経験」は日中関係でいかなる役割を果たしたのであろうか。本書は主に交流の担当者や実施者に着目しているため、こうした「参加者」の声は必ずしも十分扱われていないように見受けられる。一口に参加者と言っても、学生(留学生)、研究者、会社員(駐在員)、広く一般市民など多様な層が想定され、その捕捉は容易ではない。しかし、本書で紹介されたような交流を通じて「生の」中国/日本に触れ、価値観や相手方に対する認識、さらには人生の選択肢が変わったという人も少なくないように思われる。言い換えれば、本書で活写された言わば「事業としての交流」によって生起した「現象としての交流」のなかで、人々の内面や関係性にいかなる変化が生じたのだろうか。かかる側面にアプローチするには、教育学や異文化コミュニケーション学との共同作業も一案となろう。

 日中交流への参加を志す人、いま現に携わっている人、さらには日中関係や国際交流全般に関心をもつ人、そうしたすべての人々に推薦できる一書である。

(かねこ・まさひと 東京大学大学院博士課程/日本学術振興会特別研究員DC)

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