台湾 三峡で手揉み茶を探したら
台北からバスで小1時間乗ると三峡という古い街に着く。今は老街などで観光地化しているが、地元の茶業者に聞くと、「三峡は台湾で最も早く茶園があった場所だ」というので以前から興味を持っていた。3年ほど前、郷土史家の講演会でも具体的な資料を基に、1760年代頃には漢人が入植し、茶があった話を聞いている。

三峡緑茶のレジェンド 黄文雄さん
今回静岡で手揉み茶を勉強中の女性が台湾に来たので三峡に同行した。手揉み茶とは日本の伝統的な緑茶製法で、熟練の茶師が蒸した茶葉を数時間かけて手作業で揉み上げ、針のように細く仕上げる。機械化が著しい今、時間と労力をかけて作る茶はコストが合わず途絶えていく方向にあるが、寧ろ伝統工芸として、日本全国に手揉み茶保存会があり、毎年コンテストも行われている。台湾茶業者や茶愛好者の中にも手揉みに興味を持つ人々が出て、静岡に研修に行ったり、年1回台北で開かれる南港茶展に静岡から手揉み者が参加して人気を集めている。
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台北で日本の手揉み茶実演(2018年)
「三峡にも手揉み茶がある」、そんな情報がもたらされ、今回三峡行きが決まった。お茶屋さんを2軒ほど回ると「龍井班」と名付けられた伝統製法継承の会の存在が分かった。そのリーダー黄文雄さんには、8年前「台湾緑茶の歴史」を調べる際、大変お世話になっていたがその後交流はなく、突然お訪ねしたが、大変お元気で快く迎え入れてくれた。
86歳になられたという黄さんは、以前三峡のお茶コンテストで何年も連続で一番を取り続けていたレジェンドだが、今でも製茶をしていると聞いて驚いた。そして家の入り口には、日本の手揉みで使うホイロ(焙炉)と呼ばれる製茶台に似たステンレス製の台があった。

手揉みを披露する黄文雄さん
黄さんによれば「この製茶台は日本時代からあったはずだが、当時は木製で1950年代以降ステンレスになった」という。「日本時代はどのように使われていたかは生まれていないから分からないよ」ともいうが、戦後は緑茶である三峡龍井茶を作る際、まず鍋で炒って、その後揉む過程などに使われてきたという。

三峡に残る手揉み台
因みに三峡龍井茶は戦後蔣介石が台湾にやってきた際、その出身地である浙江省の茶として、外省人向けに作られたと言われてきたが、先ほどの木製製茶台の話からすると、既に日本時代に釜炒り緑茶があった可能性がある(台湾に釜炒り緑茶が持込まれたのは1948年が定説?)。黄さんの記憶では「最初は日本時代の茶を出してみたが、浙江龍井茶とは全く違うので、彼らの好みに合わせて改良された」ともいう。

三峡龍井茶
日本時代、日本内地と重複するなどの理由から緑茶は作られなかったと考えられており、どうしても三峡緑茶が気になって、更に黄さんに突っ込んで話を聞いた。するといきなり「ダーフォンデ」という単語が出てきた。台湾語の発音だったようだが、ピンときた。これは1930年代に製茶試験場で研究された「大方茶」ではないのか。
大方茶とは、1930年代満州国が建国され、実質的に日本の支配下に入ったことで、それまで東北地方に中国から供給されていた茶が入り難くなり、日本がその需要を担ったが、残念ながら日本内地の緑茶は蒸し製で製法が違うためか、満州ではあまり評判が良くなかったらしい。そこで台湾の製茶試験場が満州に合う茶を研究した、という話のようだ。
試験場の記録には1930年代、「大方茶の製造法試験」が行われたと記載もある。この大方とは、「度量が大きい、気前が良い」などの意味で使われ、当時日本人が飲む茶を大方茶と言ったとの証言もあった。このお茶は釜入り茶だったとも書かれており、元々中国で製造されていたものを改良し、日本内地から取り寄せて飲む蒸し製緑茶とは、区別していたのだろう。
だが試験場の大方茶が結局どうなったのか、その資料は残念ながら見いだせなかった。ところが今回の証言から、その生産場所の一つが三峡である可能性が浮上した。更に黄さんは「うちの父親も兄貴も作っていたんじゃないか」と言い、そして何と「確か三峡から3人ぐらいが黒竜江省へ行き、茶荘を出店してそこで売っていた、と聞いたことがある」というのだ。この話が本当であれば、大方茶は実際に輸出され、台湾の人たちによって販売されたという明確な事実が浮かび上がり、ちょっと心が震えた。
実はその2日後、淡水で日本時代に先祖が三峡近くの土城で茶を栽培していたという老舗茶荘に出会った。当時作っていたのは紅茶と緑茶、その緑茶は釜炒り茶で、製茶後は板橋林家に売っていたらしい。板橋林家といえば台湾の名家、五代家族の一つ。彼らは鹿港の辜家と並んで、満州向けに茶輸出をしていた可能性はあり、ここでも大方茶の存在が浮かび上がる話が出てきた。
今回の三峡訪問は歴史ロマンを掻き立てられる茶旅となったが、一方元々の手揉み茶が日本から台湾に伝わったのかといった謎は依然として全く解けていない。25周年を迎えた我が茶旅だが、まだまだネタは尽きない。
▼今回のおすすめ本
近代女子教育といけ花・茶の湯
日本・キリスト教主義・植民地
小林善帆著/吉川弘文館
いけ花・茶の湯は礼儀作法とともに、近代女子教育といかなる関係を構築しつつ受容されたのか。国内・基督教主義のみならず、台湾・朝鮮・樺太・満洲・サイパン・青島も対象に分析。
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須賀 努(すが つとむ)
1961年東京生まれ。東京外国語大学中国語学科卒。コラムニスト/アジアンウオッチャー。金融機関で上海留学1年、台湾出向2年、香港9年、北京5年の駐在経験あり。現在はアジア各地をほっつき歩き、コラム執筆中。お茶をキーワードにした「茶旅」も敢行。
blog[アジア茶縁の旅]
