漢文の中の可愛い幽霊さん・演劇賽神編
福田 素子
幽霊といえばどちらかといえば夜、あまり人のいないところに出てくるものですが、とても賑やかなところに出てくる幽霊もいるようです。紀昀『閲微草堂筆記』には、このように始まる話があります。
乾隆戊午、運河の水浅く、糧艘銜尾して進むこと能わず、共に演劇賽神す。運官皆な在す。
乾隆3年(1738年)、運河の水位が低くなり、糧艘が数珠つなぎになって航行不能になったので、演劇賽神を共催した。船長である運官が皆列席した、というのです。糧艘とは、中国南方で年貢として集められた米を、首都である北京に運ぶ船です。毎年4000~6000隻の糧艘が、早春に南方各地を出発して一斉に北京に押し寄せます。淮安・通州を通過する期限が出発エリアごとに定められており、遅れると罰せられました。そして荷下ろしをしたら十日でそれぞれの地元に帰っていくことになっています(実は帰りに寄り道をして、専売逃れの塩をごっそり仕入れるのですが、今回の話にはとりあえず関係ありません)。ですから運河が干上がれば、往路復路の糧艘があっという間に寿司詰めになってしまいます。そうならないように、シーズンには周辺河川から運河へ多めに水を流すようにしているようですが、この時はそれでも間に合わないほどの渇水であったようです。紀昀の記憶とは一年ずれてはいるのですが、実際雨が降らず、運河の水位が下がって多くの糧艘が航行不能になったことが、『高宗実録』乾隆二年六月の条に見えます。人にできることが何もないとなれば、神頼みより他にすることはないので、演劇を催して神に奉納した訳です。演劇を楽しむのは、神だけではありません。当の糧艘の水手たちは勿論、一緒に水位上昇を待っている他の船の人々、近隣住民、集まった観客を相手に商売をする人も集まってきて、賑やかに楽しみます。今回は本当に困って開催された演劇賽神ですが、実はしばしば、糧艘の水手たちにどんちゃん騒ぎをさせて息抜きをさせる為、そして水手たちが乗船前に勝手に仕入れて糧艘に持ち込んできた、南方の商品を売りさばいたりする為の場にもなりました。しかしさて……。
方に『荊釵記』「投江」の一齣を演じんとするに、忽ち銭玉蓮に扮する者長跪して哀号し、涙 声に随いて下り、口は喃喃として訴えて止まず、語は閩音を作し、啁哳(とうたつ)として一字の弁ずべきもの無し。
そこで演じられたのは、『荊釵記』という明代の戯曲でした。銭玉蓮はこの劇のヒロインで、婚約者王十朋から遠ざけられ、大金持ちの孫汝権と結婚させられそうになり、河に身投げしてしまいます。この場面を演じていた銭玉蓮役の役者が、突然両膝を地について、涙をぼろぼろ零しながら、何かを切々と訴え始めたのです。しかし困ったことに、福建省の方言なので、鳥が鳴いているようにしか聞こえず、誰にも分かりません。鬼の附すところと為ると知り、其の故を詰問するに、鬼又た人語を解すること能わず。或もの投ずるに紙筆を以てするも、首を揺りて字を識らずと道(い)うに似たり。惟だ天を指さし地に画き、叩額して痛哭するのみ、如何ともするべき無く、岸上に掖(たす)くるも、尚お嗚咽して跳擲し、人散ずるに至りて乃ち已む。
「さては幽霊がついたな」ということで、周囲の者が「彼女」に事の次第を訊いてみても、向こうは向こうでこちらの言うことが分からない様子。扶鸞(自動筆記)を試みようと紙と筆を投げてやっても、悲しいことに、この幽霊は無筆のようで、首を横に振り、ひたすら天を指さし地をひっかき、額を地面に打ち付けてわんわん泣くばかり。船上に設けられた舞台から岸に下ろしてやっても、まだ嗚咽しながらぴょんぴょん跳び回っています。「これじゃあ今日はもう芝居は無しだな。」人々があきらめて立ち去った頃、役者はやっと静かになりました。久しくして稍く蘇り、自ら云うに、突かに一女子手に其の頭を携えて水より出づるを見、駭くこと極りて魂を失い、昏然として酔うが如く、以後の事皆な知らざるなり、と。
ようやく正気を取り戻し、本人が語るには、突然一人の女が、自分の頭を手にして水中から出てくるのを見て、驚いて魂が消えてしまい、ぼんやりと酔っ払ったようになり、その後のことは覚えていない、とのこと。「自分の頭を携えた女」というと、2024パリオリンピックの開会式で物議を醸した、自分の頭を手に歌うマリー・アントワネットのような状態でしょうか。それにしても入水しようとする銭玉蓮役の役者に憑いた、というと、この女は水に落とされて死んだようであったのですが、頭を自分で持っている、というと、首を斬られて殺されたようでもあります。どちらなのか、ちょっと気になるところです。あるいは首を斬られてから水に投げ込まれたのかもしれません。此れ必ず水底の羈魂、諸官の会集するを見て、故に出でて冤を鳴らす。然るに形影睹えず、言語通じず、善く泅(およ)ぐ者を遣りて尸を求むるも亦た迹無し。旗丁又た新たに女子を失う者無く、究詰すべき莫し。乃ち連銜して具(つぶさ)に牒し、城隍祠に焚く。四五日を越して、水手の故無くして自剄して死する有り。或いは即ち此の女子を殺せし者、神之を譴するか。
「これはきっと水の底で迷っている魂が、お役人が集まっているのを見て、未だ裁かれていない罪を裁いて貰うためにあらわれたのであろう」しかしもう幽霊は形を見せることもできず、言葉も通じず、泳ぎの得意な者に死体を捜させても、見つかりません。糧艘の関係者の中に、女の家族を失った者もおらず、真相究明は手詰まりとなってしまいました。そこで連名でことの次第を書いたものを、城隍祠でお焚き上げしました。それから四、五日すると、ある水手が、理由も無く自分で首を斬って死んでしまいました。もしかすると、神があの女を殺した者を罰したのかもしれない、と文は結ばれます。糧艘の乗組員は、軍官である旗丁1~2名と、水手数十名から成ります。明代までは水手も皆兵だったのですが、清代以降水手には民間人を雇うようになりました。雍正帝の時代あたりまでは、船の出発地の地元の、身元の確かな者を雇うようにしていたようですが、乾隆帝の時代になると、誰彼かまわず雇うようになり、安上がりに北に行きたい旅人、食い詰めた者や、ならず者が多数を占めるようになります。この水手たちは羅教という民間信仰のもとに結束し、強大な反社会的勢力(青幇)に成長していくことになります。この水手も、おそらく福建のどこかで女を欺し、面倒になって殺して、逃げた先で糧艘の水手に雇われたのでしょう。そして女の幽霊も、彼の後をずっとついてきてはいたのでしょうが、自力で男をとり殺す力もなく、演劇賽神という場の力を借りて、ようやく「冤を鳴らす」(不当に裁かれなかった罪を公に裁く)機会を得たものの、周囲の人の心に直接語りかけるだけの力もなく、結局ただ泣き叫んでじたばたして、芝居をぶち壊しただけでした。彼女の恨みを晴らしたことがきっかけで渇水が解決した、とも書いていませんが、そもそもそんなに霊力のありそうな幽霊には見えません。
そんな他所から来た非力な娘さんの幽霊のために、生きている人間たちが怒りもせず何とか話を聞いてやろうとしたり、死体を探してやったり、とあれこれ頑張ってあげるところが、何ともほほえましい、良い話であると思います。
参考文献:
星斌夫訳注『清史稿漕運志訳注』(星斌夫 1962年)
星斌夫『明清時代社会経済史の研究』(国書刊行会 1989年)
酒井忠夫『中国幇会史の研究 青幇篇』(国書刊行会 1997年)
松浦章『清代内河水運史の研究』(関西大学出版部 2009年)
沈勝群「“泊船祭祀”与“人神互恵”-清代漕運旗丁崇祀文化的規制与功効-」『民俗研究』2018年5期
馬俊亜『被犠牲的『局部』淮北社会生態変遷研究(1680―1949)』(四川人民出版社 2023年)
田仲一成『中国の秘密結社と演劇』(知泉書館 2024年)
(ふくだ・もとこ 聖学院大学非常勤講師)
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