アジアを茶旅して 第38回

投稿者: | 2025年12月1日

タイ ドイメーサロン 楊さんとの別れ

タイ北部、ドイメーサロンに関しては第19回「タイ メーサローンの将軍と茶」で既に紹介した通り、風光明媚な茶畑が広がる観光地だ。そしてこの文章の中で2006年奇跡的に辿り着いた、と書いている場所が、メーサロン・ヴィラという名のホテルであり、そこで最初に出会ったのが、ミャンマーシャン州出身のオーナー夫人、楊明菊(ミー・ヤン)さんだった。

2011年 長女と一緒に茶畑へ

「メーサロンに行けば、タイ語が出来ない君でも中国語で大丈夫だから」と知り合いから聞いており、ホテルに入ってすぐに中国語(華語)を使ったのだが、楊さんは全てきれいな英語で返してきて驚いた。「旅の目的は茶畑を見ること」と英語で伝えると、「今日は雨だから」とやんわり拒まれ、それでも自分で傘をさして出掛けると、ホテルのスタッフが付いてきた。

ところが茶畑見学を終えてホテルに戻ると、何と楊さんは「どうだった?」ときれいな華語で聞いてきたので、またまたビックリしたのをよく覚えている。この時のことを彼女はその後も決して語ることはなかったが、想像するに「日本パスポートを保持し、華語を話し、茶畑が見たい」とは余程怪しい人間だと思ったのではないだろうか。メーサロンといえば、国民党が逃げ込んだ村としても有名だが、その辺の歴史を聞いてもあまり教えてくれなかったのが、その証拠かもしれない。

それでも滞在を終えて別れる頃には、何となく打ち解けており、マレーシア人研究者が書いたというメーサロンと国民党の歴史の本をくれた。それを読んでメーサロンの過酷な歴史を知り、更に深く興味を持ち、その後も何度も訪ねることになり、訪ねる度に少しずつ、様々な歴史を教えてもらうのが楽しみだった。筆者の知り合いの茶業関係者を紹介し、それが後にビジネスに結びついたことは随分後から知った。そんなとても気楽な関係だった。偶に訪れる田舎の親戚の家、という感覚だったといっていい。

2006年に頂いたメーサロン関連の本

楊さんはミャンマーシャン州で生まれ、1980年代に台湾で仕事をするためにミャンマーを離れたが、途中で立ち寄ったメーサロンでご主人となる李泰増さんと知り合い結婚した。李さんと共に旧国民党軍に従い、メーサロンの観光業で生きていく道に尽力した。その後茶業をもう一つの柱として、かなりの苦労の末、エメラルドティもEUなどへの輸出を順調に伸ばして行き、現在のホテル&茶で成功を収めた。

2017年茶業交流する李夫妻

4人の子供に恵まれ、茶業は長男と三男が継いでいく道筋も見えていた。昨年最後に会った時は長男、次男が帰省中で家族が集まり、苦労がようやく実ってこれから幸せな人生が歩めると思った矢先の病だった。そんな中でも故郷ミャンマーの内乱にも心を痛め、多くの同胞を救おうと努力もしていた姿は忘れられない。

2022年のコロナ明け。真っ先に向かったのもメーサロンだった。何といっても標高1200₋1300mでかなり涼しく、ゆったりと時が流れる快適な場所であり、雲南系料理も口に合うので、滞在には最適な地。楊さんからも長期滞在を勧められた。その時は観光客もほぼいない時期で、久しぶりにゆっくりと話をした。

楊さんがメーサロンに止まったのはてっきり李さんに見初められたからだと思っていたが、どうやら李さんのお母さんに気に入られたかららしい。このお母さんという人が、国民党軍幹部でしっかりした人だったというから、楊さんの性格や才覚が認められたのであろうと勝手に推測する。

既に10数年の付き合いになっていたが、この時初めて「実は自分は元々シャン州のソーボアの一族だ」といわれて、びっくりした記憶もある。ソーボアとはシャン州各地を納める領主で、1960年代の社会主義革命の際、消えて行った人々だった。ミャンマーに今も残る親族が、最近一族の歴史をまとめた資料を作ったと見せてもらい、いつかこの資料を基に楊さんのファミリーヒストリーを書きたい、と申し出ていたのだが、コロナが開けて茶旅が忙しくなり、またミャンマーの混乱で現地に行けない状態が続いており、この約束はそのままになっている。

楊さんが残した故郷の資料

楊さんはシャン州のラショーで生まれで、ソーボアの藩領からは既に離れていたようだが、故郷には茶の木も植わっていると聞いたので、いつの日にかそこを訪ねて、一族と茶の歴史に関して簡単に纏めてみたい、それが楊さんへの供養になるのでは、と思っている。ミャンマー人でも現時点では入ることが難しいシャン州が、一日も早く平穏な日々を送れるよう、願ってやまない。

なお、楊さんが亡くなってすぐにメーサロン・ヴィラを訪ねたが、李さんも息子も不在だった。電話で話すと仕事で駆け回っており、「妻のことは残念だが、前を向いて生きていく」という言葉が心に残った。それが楊さんの一番の願いだろう。そういえばあんなに長く付き合ったのに、楊さんの写真は驚くほど少なく、常に陰からひっそりと家業を支えてきた芯の強さを思い起こさずにはいられなかった。

2024年 最後に会った楊さん

 

▼今回のおすすめ本

ミャンマー現代史
中西嘉宏著
岩波書店

2021年におきた軍事クーデター以降、厳しい弾圧が今も続くミャンマー。暴力と分断が連鎖する現代史の困難が集約されたその歩みを構造的に読み解く。

 

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須賀 努(すが つとむ)

1961年東京生まれ。東京外国語大学中国語学科卒。コラムニスト/アジアンウオッチャー。金融機関で上海留学1年、台湾出向2年、香港9年、北京5年の駐在経験あり。現在はアジア各地をほっつき歩き、コラム執筆中。お茶をキーワードにした「茶旅」も敢行。
blog[アジア茶縁の旅]

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