アジアを茶旅して 第37回

投稿者: | 2025年10月1日

台湾と普洱茶

 

知り合いに誘われて、台湾の苗栗三義に向かった。目的地は世界の靴王と呼ばれた宝成のオーナーが最近作った、宝元紀という施設。彼はビジネスで儲けた資金をかなり普洱茶収蔵に充てたらしく、その一部が見られるというので出掛けてみた。

宝元紀 茶の展示

入り口を入ると、そこには広大な敷地が広がり、日本から庭師を招いて作った本格的な日本庭園があり、一部は台湾的な庭との融合も試みられて実に素晴らしい。喫茶コーナーにはおいしそうなケーキが並んでいたが、何と日本人パティシエが企画に関わっているという。京都に支店があり、相当深く京文化を学んで、日本をかなり意識して取り入れている。

ただ茶の展示はこちらのブランドの普洱茶だけ(しかも2004年以降のみ)であり、沢山収蔵されたという古い普洱は見られなかったが、現在別の建物を改修中で、将来はそこに展示されるのかもしれない。世界の喫茶文化を展示するコーナーもあり、ここが茶文化の発信基地を目指していることも分かる。

普洱茶に関する台湾茶商の武勇伝などは、巷ではかなり大々的に喧伝されており、「1980年代に雲南の奥地に初めて入り込み、ボロボロの倉庫から古い普洱茶を掘り出した」などという話を何度も聞いた気がするが、これはどうやら伝説らしい。では本当の歴史はどうなっているのか。台湾における普洱茶の歴史を見直してみようと資料を読み、茶商などに話を聞いてみた。

ある資料では、台湾に普洱茶が持ち込まれたのは1870年頃らしいが、それは広東からやって来た移民の個人的な嗜好だったようだ。日本統治時代の50年間も、香港などとの往来はかなりあり、多少の普洱茶は入ってきたが、飲んでいる者が多かったとは思えない。

戦後国民党軍兵士が全中国からやってくる中、三峡龍井茶という緑茶が作られるなど、茶への様々なニーズが出てきたとはいえ、普洱茶を好んでいた人は限られ、しかも当時の中台関係を考えれば、中国から茶を輸入することは難しく、また台湾で普洱茶が作られることもなかった。

台湾で普洱茶に光があたったのは1970年代、香港式飲茶の習慣が台湾に入って来たことがきっかけとも言われている。本場の飲茶を体感したい人々は香港で日常的に飲まれていた普洱茶も合わせて求めたであろうが、その茶は密輸に頼るしかなかった。台北大稲埕の老舗茶商に話を聞くと、この需要に応じて、例えば王有記茶行(現在の有記茗茶)などごく一部の茶商は、台湾内で普洱熟茶(散茶)を作っていたというから驚いた。香港でその製法を学び、大稲埕で少量ながら生産して、広東レストランに卸していたとの証言は貴重だった。

台北 老舗広東レストラン

ただこの生産は長続きしなかった。理由は1980年代に入り台湾茶文化が開花し、茶芸館などが次々に作られ、一般消費者の茶への関心が高まる中、品質が良いとは言えなかった普洱茶の需要は無くなったという。因みに台湾内で作られなくなった普洱熟茶だが、1990年代にベトナムホーチミンで香港資本が茶工場を作り、普洱茶生産を手掛ける中、台湾茶商もこれに参画して、ベトナム産として輸入した者はいたらしい。

1990年代ホーチミン産普洱熟茶

普洱茶輸入に関して、30年ほど前かなり商っていたと聞いた老舗茶商を訪ねてみた。しかし茶業も大きく変化しており、普洱茶ビジネスを推進していた兄弟の一人は既に亡くなっていた。しかも「お前は、密輸の歴史でも聞きに来たのか」という気まずい雰囲気が漂ってしまう。

これは簡単な話ではないと、20年来の付き合いになる茶商に突っ込んで聞いてみたら、ある意味でその答えは簡単だった。基本的に巷で言われている台湾茶商が雲南山中に分け入り、古い倉庫から普洱茶を掘り出し、その茶が美味かったといった類の話はやはり作られた物語だという。

実際彼女は1980年頃には香港茶商の普洱茶台湾代理店をやっていた(このこと自体も密輸)が、当時台湾には普洱茶市場などなく、誰も見向きもしなかったのが真実らしい。普洱茶が本格的に盛り上がったのは21世紀に入ってからであり、政府も2004年には輸入を正式に解禁した(黒茶類以外は現在も原則禁止)。それまでも様々な方法で持ち込まれていたが、その量は決して多くはなかった。また雲南の倉庫にずっと眠っていた普洱茶が例えあったとしても、それはいいお茶にはなり難いらしい。香港のような高温多湿の場所できちんと管理するから熟成が進むのだとも言い、「港倉」(香港の倉庫)に保管された普洱茶が良い茶であることが多いと説明された。

台湾で今も飲まれる普洱茶

2000年代前半に書かれた資料を見ると、密輸の手法は雲南で生産された普洱茶を正規ルートでベトナム、タイなどへ輸出(その際衛生検査も通過)、そこで包装を変えて台湾へ再輸出、台湾到着後雲南の包装に戻して販売されていた。但しこれもある程度以上価値のある茶だけで、低価格茶は金門経由で持ち込まれていたようだ。台湾と普洱茶に関しての謎はかなり微妙であり、そして実は極めて奥が深い。

2004年上期 茶葉輸入統計

 

▼今回のおすすめ本

台湾茶の教科書
現地のエキスパートが教える本場の知識
林品君著

基礎知識を始め、台湾茶15種類(台湾緑茶・文山包種茶・高山茶・凍頂烏龍茶・鉄観音茶・紅烏龍茶・東方美人茶・小葉種紅茶・大葉種紅茶・台湾白茶・台湾山茶・蜜紅茶・客家酸柑茶・花茶・茶外茶)の産地、製法、歴史、おすすめのペアリングなどを写真とともに紹介。

 

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須賀 努(すが つとむ)

1961年東京生まれ。東京外国語大学中国語学科卒。コラムニスト/アジアンウオッチャー。金融機関で上海留学1年、台湾出向2年、香港9年、北京5年の駐在経験あり。現在はアジア各地をほっつき歩き、コラム執筆中。お茶をキーワードにした「茶旅」も敢行。
blog[アジア茶縁の旅]

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