『中国文学の歴史 元明清の白話文学』より 西遊記

投稿者: | 2024年9月2日

『中国文学の歴史 元明清の白話文学(小松謙著)より一部抜粋

第二部 明の文学
 三 明代後期の展開 出版の爆発的発展と「四大奇書」の登場

◆四大奇書
 (四)西遊記


 その特徴 前述の通り、『西遊記』の八割近くは西天への旅に占められており、『西遊記』は妖怪退治の冒険を重ねていくロード・ノベルと見える。物語はほとんど類型的な繰り返しからなるといってよい。さまざまな場所に行くたびに、妖怪の類(人間のこともあるが)が現れ、多くの場合三蔵がさらわれ、悟空と八戒が救出に赴く。苦労の末、ようやく妖怪を退治できるかとなった時、突然観音菩薩や太上老君、あるいは 太白金星 たいはくきんせい などが現れて、「実はその妖怪は元来天界の者で……」と説明されて、問題は解決される。つまり悟空たちが自身で問題を解決することはあまりなく、多くはデウス・エクス・マキーナの登場により事件が解決するという形態を取る。このようにパターン化した内容の繰り返しであるにもかかわらず、『西遊記』は終盤まで飽きずに読むことができる。これは、最後の部分が面白くないことで定評がある『三国志演義』『水滸伝』、そこまではいかないが西門慶死後はやはり精彩を欠く感のある『金瓶梅』とは対照的といってよい。なぜ一見同じパターンの繰り返しと見える『西遊記』が最後まで面白さを失わないのであろうか。
 第一にあげるべきはそのユーモアであろう。『西遊記』は妖怪・冒険小説と見なされがちであり、実際妖怪退治の冒険が面白く語られているのは事実だが、だからといって妖怪物・冒険物の小説といってしまうのはためらわれる。『西遊記』の一番の魅力はそのユーモアにこそある。三蔵・孫悟空・猪八戒のやりとりは漫才を思わせるもので(突っ込みが悟空、ボケが八戒、三蔵は状況に応じてボケにも突っ込みにもなる。沙悟浄のみあまり出番がないが、ある意味究極的なボケ役といってよいかもしれない)、新しいパートにさしかかると毎回のように三蔵が「妖怪が出そうだから気をつけるのだぞ」と言い、悟空が「お師匠さんは『般若心経』を忘れちまったんですか」などと混ぜ返すと、八戒が横から茶々を入れる……という類型的展開が繰り返される。しかし、これがむしろいわゆる「お約束」として、微妙な違いで読者の笑いを誘うことになっているのも、漫才などの芸能を思わせるものである。ユーモラスなやりとりは、一行の間だけではなく、妖怪との間でもかわされ、至るところで人を食った展開が笑いを誘う。第四十五回から一例をあげてみよう。
 車遅国にたどりついた一行は、虎・鹿・羊が化身した三人の道士が国王をたぶらかして仏教を弾圧しているのを見て、仏教と道教の勝負を挑む。悟空は超能力で対処するが、虎道士が五十の椅子を積んだ上で坐禅を組む勝負を挑んでくると……

 それを聞いた行者(悟空のこと)は、考え込んで返事をしません。八戒、「あにき、何でものを言わないんだね」。行者、「おとうと、実のことを言うとな、天に飛び地に潜り、海をかき混ぜ川をひっくり返し、山をかついで月を追い、北斗を取り換え星を移すってな巧い仕事はみんなできるし、たとえ首を斬られたり、腹を裂いて心臓えぐられるなんてとんでもない技だって怖かあないんだが、坐禅ってことになるとおれは負けちまうぜ。おれがじっとしていられるわけないだろ。たとえ鉄の柱に縛り付けられたって、それでもおれは上に行ったり下に行ったり動き回っちまうんだから、じっとしてるなんて考えられないよ」。三蔵が突然申します。「私は坐禅ができる」。行者喜んで、「そりゃいい、そりゃいい。どれぐらいすわれますか」。三蔵、「私は幼い頃に世俗離れた禅僧にお会いして、生命の根本の上に精神を定めておけば、生死の境にあっても、二、三年でもすわれると教えていただいたのだ」。行者、「お師匠様が二、三年もすわってたら、おれたちはお経を取りに行けなくなっちまいますよ。多くても四、五時間にならないうちに下りられますよ」。三蔵、「悟空、でも上がれんがなあ」。行者、「あなたが相手になるって言ってくださったら、おれが上まで送りますよ」。

 何でもできる孫悟空が、じっとしていられないという唯一の欠点を白状すると、普段何の役にも立たない三蔵が突然自分にはできると申し出るのが絶妙で、セリフの短さ(原文は「我会坐禅」)も唐突感をあおる。三蔵の言葉を受けての悟空のセリフも、超俗的な言葉に世俗の常識を当てはめた落差から生じるおかしさがある。この後、三蔵を見守るため悟空がセミになって近くに飛んでいくと、下で見ていた鹿道士も自分の髪の毛を抜いて南京虫に変えて三蔵の頭を咬ませる。三蔵がかゆいのに身動きできずに苦しんでいる様子を見て……

 

中国文学の歴史 元明清の白話文学(小松謙)中国文学の歴史
元明清の白話文学〔東方選書63〕
小松謙著
価格 2,640円
2024年9月上旬刊行予定

 

 

 

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