『湖北省留日学生と明治日本』評 呂程

投稿者: | 2024年9月17日
『湖北省留日学生と明治日本』

湖北省留日学生と明治日本


王鼎 著
出版社:勉誠社
出版年:2024年3月
価格 7,700円

地域の視点から見る日中教育交流史

 

 近代中国人留日学生史の研究は近年盛んになっている。しかし、その多くは中国人の留日ブームの全体像の解明を目指す通史的なものである。個別の省に絞り、省の指導者が留学生を派遣する動機や、留学生個々人の人生軌跡や、留学生派遣と地域近代化との関係の分析に力を注ぎ、興味深く新たな近代日中教育交流史の諸相を提示しているのが、本書・王鼎氏の『湖北省留日学生と明治日本』である。
 本書の内容を紹介すると、まず第一章「清末における中国人日本留学の歴史」では、留学生派遣の初期段階の時代背景及び政策について概説し、「嘉納塾」や「日華学堂」など初期の留学生教育を担う機関の活動を例に、留学生が受けた予備教育の実態を明らかにしている。そして、清国駐箚特命全権公使・矢野文雄や、湖広総督・張之洞らの研究を通じて、留学政策と近代日中両国の権力者による留学生の派遣をめぐる思惑を分析している。
 第二章「湖北省留日学生の初期活動について」から、本格的に湖北省留日学生の活動に対する検討が始まる。近代の中国人留日学生は、日本で接触した新しい自然科学と社会科学の知識の吸収に熱心であり、その成果のひとつとして雑誌を創刊したことが挙げられる。『浙江潮』や『江蘇』、『湖北学生界』などの雑誌名からわかるように、こうした活動は、常に同じ地域の出身者によって行われた。その中で、著者は湖北省留日学生が創刊した『湖北学生界』の内容・運営・執筆者状況を分析し、特に『湖北学生界』が『漢声』(漢民族の声という意味)へ改称された経緯を考察した上で、湖北省留日学生に地域意識を突破する動向が存在することを明らかにしている。
 第三章「留日学生と湖北同郷会」では、留学生の人的ネットワークに注目し、湖北同郷会に所属する「雑誌部」・「編輯部」・「教育部」・「調査部」の諸活動を概説している。また、著者は湖北留日学生が結成した同郷会の問題点、すなわち雑誌の経営状況や経費運用問題、及び調査の有名無実化などを指摘している。
 第四章「湖北省留日学生の活躍と帰国後の進路」では、留学生の帰国後の進路を考察している。日清戦争で敗北した清国は、国防の近代化と軍事人材の育成を精力的に推進する意欲を示した一方、日本側も清国での利権拡大を図り、張之洞のような地方の指導者による軍事系留学生の派遣に呼応する態勢をとった。こうした中、数多くの湖北省軍事系留学生が予備教育終了後、日本陸軍士官学校に進学し、卒業後に帰国して湖北新軍の中枢となった。また、新軍の編成や訓練に詳しい一部の留学生たちは、袁世凱に北京まで呼び寄せられて重用されたものの、留学中に日本で孫文をはじめとする革命派からの影響を受けたため、辛亥革命の時には革命派を支持するようになった。
 第五章「教育・革命・鉄道──黄州府麻城三兄弟の事例研究」と第六章「寺尾亨の東斌学堂と留日学生──『向巖家書』を一つの手がかりとして」の内容は、本書で最も評価されるべき所であると考える。著者は留日学生の諸動向の実態を究明するため、2018年から4年をかけて湖北省へ赴き、留日学生の子孫に対して聞き取り調査を計6回実施した。貴重な史料として、湖北省麻城三兄弟の余祖言・余仲勉・李子祥の日記や詩文集、「東斌学堂」に留学した向巖の「家書」(親族への手紙)を収集することができた。本文の冒頭で述べたように、今までの留日学生史研究は、個々人の人生軌跡に焦点をあてるものが少なく、その原因のひとつは、恐らく史料収集の難しさにある。しかし、「神は細部に宿る」という言葉が示す通り、細部まで掘り下げなくては、歴史の真実を究明することは難しい。著者による精力的な現地調査と史料収集は、先行研究の限界を突破し、大いに飛躍したものと評価すべきであろう。
 前述した麻城三兄弟の事例では、余祖言と李子祥は帰国後に、日本で学んだ知識を生かし、地域社会における教育や鉄道建設に貢献したが、余仲勉はただ清朝を倒す革命蜂起に失敗して中国にいられなくなったため渡日しただけで、「弘文書院」に入学したものの、一年で退学した。留学目的とその様態の差は、こうした個人に焦点をあてる事例分析を通してしか解明できないものである。第六章の向巖の例では、彼の「家書」を利用して「東斌学堂」に対する研究の不足点を補足しながら、留日学生による翻訳活動が、単に中国の民衆に対する啓蒙を図るためだけではなく、自身の留学中の経済状況を改善する側面もあったことを明らかにしている。
 周知のように、留学生は中国の近代化を担う原動力であったと言っても過言ではない。歴史上有名な人物も輩出している。しかし、著者は麻城三兄弟や向巖の事例を取り上げ、その日本語能力の限界や留学中の日常生活に悩まされた実態や、実際には帰国後にそれほど社会に貢献できなかったことにも目を向け、エリート人物だけではなく、一般層の留学生像を提示することなどに成功している。
 本書に対する評者の疑問点といえば、まず、留日学生史は日中関係史という枠組の中の一部であるため、派遣する側、すなわち中国の人々の動機だけではなく、留学生を受け入れる側としての日本の人々の心理をより一層掘り下げる必要があると感じた。著者はもちろん、矢野文雄や川上操六、寺尾亨の思想に対して若干の分析を行っているが、日本の一般国民、そして教育現場での日本人教員たちの中国人留学生に対する態度をそれほど分析していない。くわえて、留学生たちの、中国革命への支持や、中国人の奴隷気質への批判及び女性意識の高まりに対する考えなどを取り上げたが、留学先である日本に対する考え方や認識については言及していない。
 次に、地域社会の近代化と留学生派遣の相互関係が、著者の問題設定の一つであるが、留学生の帰国後の貢献について触れたものの、留学生が具体的に如何に地域社会を変容させたかに対する解釈が充実しているとの評価はしかねる。留学生が日本留学中に獲得した新しい知識や思想を中国の地域で活用した際に、どのような挫折に遭ったかを説明するのも問題の解明に必要であろう。実際に、留学生の多くは帰国後、学んだ専門知識を用いて様々な領域で改革を行った際に、常に中国の伝統勢力と意見が食い違い、両者間の矛盾は極めて深刻化していた。例えば、軍事系留学生が改革として資質が見るに堪えない旧軍人の人数や部門を削減・撤廃する計画を作成すると、結果的に旧軍人による排除ないし暗殺に遭ったことは、近代中国軍事史の研究でしばしば言及されることである。本書の時期設定が、日本の明治時代、中国の清末期に相当し、同時期の中国では伝統勢力がなお大きな力を保持しており、あらゆる領域において類似の事態が発生していたのではないかと想定できる。このころはもっぱら留学生による改新ではなく、新旧勢力が対立しながら併存していた過渡期である。「新」を代表する留学生の言動だけでは、地域の近代化の動向を把握しかねるのではないだろうか。
 最後に、本書の研究対象は、留学先が日本である湖北の出身者に限定している。いわゆる「留日」というグループは、欧米留学の帰国者と比較してどのような特徴を有するか。また、湖北省の留学派遣及び近代化は、ほかの省と如何なる違いがあったかについても未解明のままである。今後、著者による更なる研究成果を心より期待している。
 総じて、従来は中央政府レベルで日中交流史を議論するが、本書はあえて地域の視点から、日中間の教育交流と人の往来に注目し、今までの方法論では重要視されてこなかった地域指導者の動機や、留学生個々人の人生軌跡などの問題をはじめて本格的に取り扱った。そのため、本書は湖北における留日学生派遣と留学生の帰国後の貢献を、豊富な未公刊資料を用いて研究したことに大きな意義がある。資料篇における「清末湖北省留日学生名簿(1896~1911)」や「『湖北学生界』・『漢声』・『旧学』目録」などの作成も、今後の学界にとって貴重な財産となるに違いない。

(りょ・てい 広島大学人間社会科学研究科博士後期課程)

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