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本書は、19世紀後半の中国で活躍したアメリカ人女性宣教師、アデル・M・フィールド(Adele M. Fielde)が1884年に刊行した書籍(Pagoda Shadows: Studies from Life in China, W. G. Corthell)を全訳したものである(ただし、最終章「言語、文学、民話」のみ抄訳)。それに、フィールドが所属していたアメリカン・バプティスト・ミッションの機関誌Baptist Missionary Magazineに掲載された彼女の文章数編と、彼女が編纂した民話集(Chinese Nights’ Entertainment: Forty Stories Told by Almond-Eyed Folk, Actors in the Romance of the Strayed Arrow, G. P. Putnam’s Sons, 1893)に収録された民話1篇の翻訳が加えられ、さらに訳者解説と訳注、関係地図などが補われている。
フィールド(1839~1916)は、1873年から89年まで、中国・広東省東部の潮州・汕頭地区で活動した独身女性宣教師で、現地中国人の女性伝道師であるバイブル・ウーマンの育成や、方言辞書の編集などに力を尽くした。その後はミッションを辞してアメリカに帰国し、文筆業の傍ら婦人参政権運動をはじめとする各種の社会運動にたずさわったり、科学者として昆虫(アリ)の研究も行ったりした。
この時代、中国で活躍する女性宣教師の数は男性宣教師に比べて多いとは言えず、とりわけ独身女性の宣教師は世界的に見ても極めて珍しかった。ただ、儒教の影響が強く、成人男女間の接触が制限されていた当時の中国のような社会にあって、フィールドのような存在は、中国の女性たちにキリスト教を広めていく上で大変重要であった。そのようななかで、フィールドは現地農村の、決して裕福とは言えない女性らとも積極的に交流し、彼女らの口から自身の苦難に満ちた体験や、現地に伝わる民話などを聞いた。そして、その一部を自らの手でアレンジして英語で発表した。
それゆえ、当時の中国の、とりわけ男性知識人らが書いた漢語文献や、海外からやってきた男性宣教師らが書いた欧語文献などからは知ることができない事柄が、フィールドの文章には多く含まれている。非常に貴重な記録であり、しかもそれを日本語で読めるのであるから、これほど有難いことはない。
本書の構成は以下のとおりである。
訳者まえがき―アデル・M・フィールドとバイブル・ウーマン
はしがき
序文(ジョセフ・クック著)
第一部 女性が語る女性の物語
第二部 社会と習慣
第三部 布教と女性信者
図版一覧
訳者あとがき
「訳者まえがき」では、訳者である蒲豊彦氏によって、フィールドの来歴や中国布教での彼女の貢献などが説明されている。さらに、フィールドが残した文章が、19世紀中国の庶民、とりわけ農村に住む女性の状況について知る上でどのような意義があるのかについても述べられている。
それに続く「はしがき」から「第二部 社会と習慣」までは、フィールドが1884年に刊行したPagoda Shadowsのほぼ全訳である。そのうち第一部には、広東省東部に住んでいた中国人女性20人の生活史が収録されている。その多くは、苦難のなかでクリスチャンとなり、後にバイブル・ウーマンとして活躍した女性たちについての物語である。ただ、キリスト教と出会う機会を持たないまま、結婚生活での苦しみから自ら死を選んだ女性についての話なども含まれている。
他方で第二部では、15年以上にわたる中国での布教を通してフィールドが学んだ中国社会の有り様(女性の置かれた立場など)や各種習慣などが語られている。その内容については、目次を示したほうが分かりやすいだろう。
女性の地位/子供の生活―四男の物語/嬰児殺し/纏足/結婚式/姿を見せない花婿/住居/異教徒の風習の不便さ/心霊術/かまどの神/ある祝宴の起源/木彫りの裁判官/石の女神とその隊列/尼僧/講/私たちの薬屋/旅のあれこれ/中国人女性伝道師/言語、文学、民話
天后廟祭礼の行列や、バイブル・ウーマンの活動などに関する具体的な記述もあり、貴重である。
第三部には、Pagoda Shadows以外の書籍・雑誌で発表されたフィールドの文章を翻訳したものが8篇収録されている。それぞれの文章から、フィールドがどのような布教活動を実施し、彼女と接した女性信者たちがどのような人々だったのかがよく分かる。ただ、最後の1篇「民話『アリの起源』」は少々異色で、フィールドが後年研究することになるアリに関する民話である。あるバイブル・ウーマンがフィールドに語ったものだという。
本書を通読して筆者の心に最も強く残ったのは、様々な背景のもとで生存を妨げられ、生き残ったとしても次第に追い詰められていく中国女性の姿であった。以下、本書から読み取れたことを大まかにまとめてみたい。
男児が貴ばれたという理由で、生まれてすぐに殺されてしまう女児が伝統中国において少なくなかったことはよく知られているが、仮に殺されなかったとしても、そうした女性のすべてが生家で安心して育っていけたわけではなかった。出生後すぐに捨てられたり、孤児院に連れていかれたり(最終的に売られたり)、他家に質入れされたりした女性の話は本書に散見される。また、尼寺に売られた女性もいたが、尼寺も決して安息の地ではなかったようである。当時の尼寺では売春行為もなされていたからである。
無事に生家で成長できた女性でもやはり苦難はある。纏足の苦しみはもちろんのことだが、親同士の話し合いで、会ったこともない男性との結婚が勝手に決められたり、幼い頃から婚約相手の家での生活を強いられたりした。また、結婚しても夫の母からひどくいびられ、頼りになるような夫も近くにおらず(本書で扱う地域では、成人男性の多くが海外に長期出稼ぎに行っていた)、自身の親も助けてくれず、そのような情況に耐えかねて自ら死を選ぶ女性もいた(似たような境遇の女性らと集団自殺を図る場合もあった)。たとえ自分の味方になってくれるような夫が身近にいたとしても、当時の広東省東部は大変治安が悪く、かつ病気も度々流行していたことから、頼るべき存在を突然亡くすことが多々あった。
そうした中で彼女らは様々なものに依存しようとした。本書には占い師、霊媒師、中国の様々な神々などに頼ろうとする女性があまた登場する。ただ、それらによって与えられた啓示には、当然のことながら外れるものもあったため、そのたびに彼女らは、より信頼性の高いものに依存対象を移していった。本書に登場する女性の多くは、その過程でキリスト教に巡り合ったのである。
以上が本書から読み取れた中国女性の境遇であった。そこに含まれる個々の事象にはこれまでの歴史研究の成果から知られているものも少なくないが、何といっても本書の強みは、その素材としての価値である。字の読み書きができる女性が大変少なかった19世紀後半の中国において、女性、とりわけ農村に住む女性が自らの境遇について書き残したものはほとんどない。そのため、女性宣教師フィールドによって掘り起こされた中国女性らの声、そしてフィールドによって観察された当時の中国女性像を、オリジナルの素材として収録した本書の史料的価値は、極めて高いと言える。また、特に第一部では個々の女性の物語というかたちを取っているため、彼女らの苦難を読者が追体験しやすい点も評価できる。
他方で、読み解く上で一定の注意も必要である。それは、本書の著者がアメリカ人の宣教師という点に起因するところの限界性である。本書において、中国の在来宗教などに対するフィールドのまなざしは、概して批判的であり、当然のことながらキリスト教の神のみが救いの神であるとしている。ただ、西洋人が「迷信」と呼んだ在来宗教の中には、中国の社会を構成する上で積極的な意味を持つものもあったことが、これまでの研究で知られている。また、本書で登場する中国人女性の多くは、ある意味で模範的なクリスチャンであり、模範的でないクリスチャン女性(場合によっては、その後信仰を棄てる者も)も少なくなかったことが予想されるが、そうした女性に対する言及はあまりない。実際にはキリスト教も、中国女性が依存しようとした数あるものの一つであったという視点が必要である。
ただ、それによって本書の価値が下がるということはまったくない。中国近世・近代の女性やキリスト教の歴史を考える上での基本文献として、多くの方々に読んでいただければ幸いである。
ところで、訳者の蒲豊彦氏は長らく中国・華南地方の近現代史を研究されているが、氏の近著『闘う村落―近代中国華南の民衆と国家―』(名古屋大学出版会、2020年)では、明代から中華民国期の広東省東部におけるキリスト教と民衆との関わりについて詳しく論じられている。『私がクリスチャンになるまで』と地域・時代ともに一部重なるので、合わせて読むことでより理解が進むだろう。
(とべ・けん 静岡大学)
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