研究の流儀

投稿者: | 2024年3月15日

西澤 治彦

 

■リサーチ・研究・学問

 これまで教育や研究に関するエッセーをいろいろと書いてきたが、シリーズの最後に、研究者の端くれとして、「研究の流儀」を書きたいと思う。私ごときが自分の研究について語ったところで、同業者にはたいした参考にもならないであろうが、少なくとも研究者を目指している若い世代の人には、私の反省と自戒をこめたエッセーにも何がしか、役に立つものがあるかも知れないからである。
 現在の研究者は大学院に進学することで養成される。学士論文から始まって、修士論文、博士論文と書いていくわけであるが、今にして思うと、卒論レベルはリサーチに相当していた。修論でやっと「研究をしている」という感覚になれたが、博論を提出してもまだ「学問をしている」という自信はもてなかった。なので、研究者とは自称できるが、学者と自称したことはない。
 私の場合、卒論から博論まで、一貫したテーマを追い続けてきたので、感覚としては、一つの宇宙を拡大し続けてきたようなところがある。小さなリサーチから始まって、やっと学問の入口まで辿り着いたというところだ。これはこれで一つの進め方であるが、逆に言うと、最初の発想の出発点は20代の卒論からさほど変わっていないことになる。よく、理系の研究者は、頭の柔らかい30~40代が勝負という。対して、文系は蓄積がものを言うので、50~60代にピークが訪れると言われる。私もそう思っていた。しかし、その年齢になって振り返ってみると、必ずしもそうとは言えないと思うようになった。と言うのも、研究の発想そのものは、若い時のものだからだ。どうやら、文系といえども、若い時が勝負のような気がする。そして、その後の研究生活は、若い頃の発想や構想の細部を詰めていく作業をする時間となる。この長い時間が、研究の内容を豊富なものにしていくことは間違いないが、若い頃の発想を超えることは容易ではない。
 私の時代は、文系の場合、発展性のある修論を書いて、数本の論文があれば、博士の学位をもってなくても、就職ができた。成果よりも将来性を買ってもらえた。職を得て安定した状態でじっくりと研究を進め、50代以降にそれまでの研究をまとめて論文博士を取る、という道筋であった。今は、職を得るには博士の学位をもっていることが最低限の条件となり、できれば本として出版しておくことが望ましい。まだまだ研究の裾野を広げるべき30代で、こうした成果を求められるというのは、果たしていい制度なのだろうか、と思うことがある。というのも、燃え尽き症候群ではないが、その後、何を研究していいのか、見つけ出せなくなってしまうケースが見受けられるからだ。
 ライフワークをまとめるのは、やはり研究者人生の晩年がいいと思う。焦らなくとも、地道に研究を続けていれば、情熱が消えることはないからだ。ブローデルの本を読んでいたら、「研究者魂」という言葉があった。いい言葉だ。いやしくも研究者を目指したのなら、「研究者魂」を込めたものを残したいものだ。自分がそれをできたかどうかは別として、自分は大らかでいい時代に研究者としてのスタートを切り、研究環境が大きく変わる前に退職することができたので、好運であったと思っている。

■大宇宙と小宇宙

 研究のテーマには、明快な答えを出せるものと、出せないものとがあると思う。前者なら、答えを出した段階で研究は「打ち止め」となってしまうし、後者なら、研究はどんどん展開していく。本来、文系、理系を問わず、研究者が問う問題は、明確な答えの出ないものが多い。知の世界というのは、知れば知るほど、分からないことが広がっていく、という性質のものだ。その中でも、より発展性のあるテーマを見つけ出せれば、研究はどんどんと広がっていき、興味は尽きなくなる。喩えるなら、小さかった宇宙が、数十年という長い年月をかけながら徐々に広がっていく感覚だ。但し、宇宙は風船を膨らませるように、全方位に広がるので、きれいな円形にしていくには、あらゆる方面の知識を増やしていく必要がある。これを山に喩えるなら、富士山がいい例で、高い頂きには広い裾野が必要ということになる。
 宇宙を広げるということは、言い換えると、研究を「深化」させていく、ということでもある。この深化の過程は、文字通り、奥深い世界に分け入っていくことだ。具体的には、より細かな差異を分別し、体得していく。物質や生物の研究の如く、このベクトルは際限なく細かな世界に分け入っていく。その際に道しるべとなるのが名付け、即ち概念化である。そのプロセスが面白く、気がつけば、どんどんと深みにはまっていく。しかしながら、このベクトルは細部に分け入るだけでしかない。物質のミクロな研究が、実は広大な宇宙の研究と繫がっているが如く、文系の場合も、どこかで「反転」し、統合化の方向に向かわなければならない。つまり、開拓した世界の細部を繫いでいき、一つのモデルを描いていく作業が残されているのだ。このタイミングは、細分化を進めていけば、自ずとその時が来るような気がする。思うに、小刻みに反転を繰り返しながら前進していき、最後に大きな反転の時期が来るのが理想かも知れない。
 ところで、研究という宇宙は一つではない。人によっては、一つの宇宙をどんどんと広げていくことに専念する人もいようが、宇宙の数そのものを増やしていくタイプの人もいる。もちろん、人間のやることなので広げられる宇宙の総量には限りがある。メインとなる大宇宙をもちつつ複数の小宇宙をもつというやり方もあれば、同じ様な大きさの中宇宙を複数もつやり方もあろう。これはスペシャリストを目指すか、ジェネラリストを目指すかの選択と言ってもいい。学問分野が細分化されている現在では、前者が王道であり、また独り立ちする近道であろう。対応力の広さで言えば、強いのは後者であるが、下手をすると評論家的になってしまうきらいもある。ものになるまでに時間がかかるという点では、あきらかに回り道である。
 私の場合、文学から学問の世界に入り、歴史学や人類学と出会った。しかも対象地域が中国だったので、いろいろな研究領域に頭を突っ込んだというか、広げざるを得なかった。最終的な研究の成果から言えば、スペシャリストの場合は、再び山に喩えれば、富士山型に、ジェネラリストの場合は連峰型になると言えよう。最終的にどのような頂きに登るかは、個人が決めることである。性格もあろうが、私は結果的にジェネラリストの道を進んだようで、研究の成果も各方面に分散しているので、後者の方に分類されると思う。一つのことに集中していれば、と思わないこともないが、これまで歩んできた道に後悔はない。

■自分のテーマか与えられたテーマか

 少なくとも学位論文までは、自分で決めたテーマの研究をするものであるが、研究生活を続けていると、研究会での発表や論集への寄稿など、人から与えられたテーマで論文を書くという機会も増えてくる。特に若い時は、来た仕事を断れる立場ではない。しかし若い時ほど自分が集中したいテーマがあるものだ。思い起こせば、今までずっとこうした葛藤の中で研究を続けてきたと思う。
 ところがある日、荏開津典生の『「飢餓」と「飽食」』を読んでいたら、あとがきにて、編集者への感謝をつづる文脈で、「生まれつきの懶惰のため私の一生はほとんど単純未来で、修士論文以外はすべて誰かの意思や何らかのめぐりあわせで書いたような気がする」という一文に出会った。そうか、誰しもそういうものなんだ、と安心すると同時に、自分が決めた道だけをひたすら突き進むよりも、何らかの巡り合わせで新たな世界に挑戦してみるというのも、宇宙の広げ方の一つであるな、と納得するようになった。特に、小宇宙の数を増やすには、こうした起爆剤がないとなかなかできないものだ。文系の場合であっても、研究は山にこもって一人でするものではない。声をかけられるだけあり難いと思わなければならない。とは言え、今にして振り返ると、時には断る勇気も必要であったかな、と思うことがなくもない。しかし、この方針で行く限り、それも誤差の内と受け入れるしかなかろう。全体としては、失うものよりも得るものが多いからだ。

■論文か本か

 思うに、理系も文系も、研究という営為は、新しい世界を開拓していくことにある。これは共通しているが、その発表の仕方に違いがある。
 理系の場合は、査読つきの学会誌、できれば国際的に評価されている学会誌に掲載された論文が評価の対象となる。理系が学会誌に掲載された論文を重視するのは、査読を経ていることによって、一定の水準が担保されているからでもある。対して、理系にとっての本は、最先端の研究を広く一般読者に紹介するものでしかない。研究には、深く掘り下げる人も必要だが、横に知識を広げる人も必要だ。器用な学者はこの二つの仕事を一人でこなすこともあるが、現在では科学ジャーナリストが後者を担うという分業体制が出来上がっている。なので理系の研究者は、同業者を対象とする論文に専念するだけでいい。
 文系の場合も、論文として執筆する点では同じであるが、理系と違うのは、最終的には専著として研究の集大成を残すことにある。この本の位置づけが、理系と文系とでは異なる。文系の人間が書く本の場合は、専門的な研究を発表するものであっても、それを一般読者に紹介するという役割を兼ねていることが多い。これが可能なのは、それだけの読者層がいるからでもある。但し、本によっては、専門性よりも一般読者向けの方に比重が傾いているものもあり、この両極の間はグラデーションとなっている。しかも、本として出版できるかは、いくつかの要因があり、必ずしも学問的な水準が高ければ本にできる、という訳でもない。極端なことを言うと、自費出版でも本を出すことができる。これを考えると、本に対する評価が理系では低くなるというのも分からないでもない。しかし、理系の評価基準では計れないものが、文系にはあると思う。
 私自身、論文と本の両方を書いてきたが、やはり論文と本とは、本質的に別物であると思う。論文はワンテーマの論考であるのに対し、本は、関連する資料や議論を重層的に積み上げていき、最後にその背後に隠されていた大きな問題が浮かび上がるようにつくることができる。換言すれば、著者の思索の全貌が姿を現わす。これが可能となるのは一定の分量が必要である。しかも、テーマが異なる複数の論文をただ束にしただけで作り出せる世界ではない。当然、著述にかけるエネルギーも論文とは比較にならない。それだけに、天才肌の碩学は別として、専著は一生の間に何冊も書けるものではない。昔は、一般読者向けの啓蒙的な新書を書くと、研究者としては「上がり」と言われたものだが、大家が書くものなので概説書でも深みがあった。今は逆で、若手でも最初から手っ取り早く新書でデビューしたがる傾向があるようだが、ここで言う専著とはその手の新書の類ではない。
 通常、本と言えば書き下ろしの専著をイメージするが、体系的に論文を書いていき、それを編集して本にするというやり方でもほぼ同じものが出来なくもない。それを行なうには、論文を書きながらも将来の本の全体像を意識することであろう。教育にも時間を割かなければならない研究者にとっては、この方式が現実的だ。
 本と言えば、私が敬愛する宮崎市定のエッセーに、「本を語る」というのがある(『宮崎市定全集』第24巻所収)。その中で、「人文科学においては何といっても本が生命である」と言い切っている。やはり、文系の研究者の目標は本を書くことに尽きるようだ。「本を語る」の趣旨は、学問や研究というものは、面白いものには違いないが、それは単なる娯楽とは違って、どこかに必ず苦心のいる所があるものだということ、但し、後に続く人が、前の人の苦しんだ所を同じように苦しんでいたのでは、何時までたっても学問が進歩しない、後ろの人には後ろの人で別に苦しんでもらう所がある筈である、と述べて、後学のための概説書や辞書、索引などの工具書が如何に大きな貢献を為すか、ということを説いている。
 本の位置づけは異なるにせよ、このことは理系、文系を問わず全く同じだ。続く研究者の役に立つ基礎的な研究をしてこそ、次の代が楽をする。そうやって学問は進歩していく。つまり、研究とは、同時代においても一人で出来るものではないが、歴史的な時間軸の中においても、先人の研究を継承し、続く世代に橋渡しするという意味で、やはり一人だけの営みではない。その継承の過程で、何らかのオリジナルなものを少しでも付け足すことができれば、それで十分なのである。

(にしざわ・はるひこ 武蔵大学)

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