『絶縁』評 大恵和実

投稿者: | 2023年4月14日
『絶縁』

絶縁


村田沙耶香,アルフィアン・サアット,郝景芳,ウィワット・ルートウィワットウォンサー,韓麗珠,ラシャムジャ、グエン・ゴック・トゥ,連明偉,チョン・セラン 著
藤井光,大久保洋子,福冨渉,及川茜,星泉,野平宗弘,吉川凪 訳
出版社:小学館
出版年:2022年12月
価格 2,200円

『絶縁』評――絶縁が映すアジアの今と未来と

 

 2022年12月に日本と韓国で同時発売された『絶縁』(小学館)は、アジア9地域の作家が集ったオリジナルアンソロジーである。参加作家は、村田沙耶香(日本)、アルフィアン・サアット(シンガポール)、郝景芳(中国)、ウィワット・ルートウィワットウォンサー(タイ)、韓麗珠(香港)、ラシャムジャ(チベット)、グエン・ゴック・トゥ(ベトナム)、連明偉(台湾)、チョン・セラン(韓国)。いずれも1970年代後半から1980年代に生まれ、各国で活躍している若手・中堅作家である。さらに収録作のうち7作が本書のために書き下ろされた新作である。
 『絶縁』は、小学館の編集部が日本・韓国の作家の共作を模索していたところ、チョン・セラン氏より「アジアの若手世代の作家たちが同じテーマのもと短編を書く――そんなアンソロジーを作ってみませんか。今、思い浮かんでいるテーマは“絶縁”です」(『絶縁』414頁)と提案されたことをきっかけに話が動きだした(1)。新型コロナの世界的流行、様々な差別に抗するうねり、地球から消えることのない戦火。人々は激変する世界で様々な別れを経験している。チョン・セラン氏は「この時代は人と人が別れる時代なんだな、そのことについてアジアの作家のみなさんと語り合ってみたい」と思い、「絶縁」を共通テーマにしたという(2)
 アジア各地の若手・中堅作家が一つのテーマに取り組んだアンソロジーはそうそうお目にかかれない。そのためもあってか、本書はすでに多くの雑誌・新聞にとりあげられている(3)。そこで本稿では屋上屋を架すことをさけるため、評者の得意とする領域が中国SFであることを踏まえ、SF的想像力に焦点をあてて評していきたい。

 巻頭は村田沙耶香「無」。2016年に『コンビニ人間』で芥川賞を受賞した彼女は、いわゆる純文学の作家とみなされているが、10人出産すれば1人殺しても良い「殺人出産制度」が認められた世界を描いた『殺人出産』(講談社2014年)や、人工授精が常識となって家族も消滅している『消滅世界』(河出書房新社2015年)といったジェンダーSFも次々に発表している。
 そんな彼女が『絶縁』によせた「無」は、現代とおぼしき日本を舞台にした作品。「グリーン・ギャル」や「喪服ガール」などその時々のブームにあわせて生き、「リッチナチュラル世代」を自認する白倉美代。そんな彼女も若者の間で流行っている「無」にはピンとこない。「老後のための家畜」として産んだ娘の白倉奈々子も、「無」にあこがれて五年前に「無街」に行ってしまった。その「無」にあこがれる人々は、個性を喪失させ、感情や記憶を忘却し、無私無欲の存在を目指している。しかし、白倉奈々子は「忘却」の達成度をめぐる優劣にやきもきし「無」に到達できない。そんなある日、美代とその知人の娘(小学生)が「無街」の見学に訪れる。これを境に、白倉奈々子の心境に変化が生じ、そして美代も大きく変貌していく……。
 戯画的に描かれた世代論やブーム、「無」をうたいながら優劣や格差が生じる矛盾、子に親の介護を執拗に求める社会・政治を穿つ「老後のための家畜」というグロテスクな表現にも目がひかれるが、なんといってもここで注目すべきは「無」そのものである。作中の「無」が目指す境地は、個性・感情・記憶を忘却・喪失すること、すなわち意識を「無」にすることである。21世紀に入ってSFでは、人類の意識と知性の関係に注目が集まってきた。伊藤計劃『ハーモニー』(早川書房2008年)では、全人類の意識喪失を目指すテロリストが登場する。ピーター・ワッツ(嶋田洋一訳)『ブラインドサイト』(創元SF文庫2013年、原書2006年刊行)は、知性にとって意識は必然的なものではないとする。中国SFでも蘇民(池田智恵訳)「ポスト意識時代」(武甜静・橋本輝幸・拙編『中国女性SF作家アンソロジー 走る赤』中央公論新社2022年)が徐々に意識を喪失して「ポスト意識」時代に移行しつつある人類の不安と葛藤を描いている。村田氏が『絶縁』に寄せた「無」は、SF的意匠をまとっていないものの、こうした人類の意識に着目する現代SFと近接しており、読み応えのある作品となっている。

 次に取り上げるのは、郝景芳(大久保洋子訳)「ポジティブレンガ」。天体物理学と経済学を修め、「折りたたみ北京」がヒューゴー賞(アメリカのSF賞)・星雲賞(日本のSF賞)を受賞した郝景芳氏は、日本での人気も高く、すでに短篇集2冊と長篇2作が翻訳されている(4)。彼女については、拙稿「中国文学の最前線―躍進する中国SF②第二回 中国の女性SF作家」(web東方2022年5月16日公開)でも紹介したが、社会問題や若者の揺らぎといった現代的テーマに取り組み、中国SFのアクチュアリティ(現在性)を強く感じさせる作家である。
 絶縁に寄せた「ポジティブレンガ」は書き下ろしではなく、『天涯』2019‐5が初出。郝景芳『長生塔』(貴州人民出版社2020年)にも収録されている。「ポジティブシティでは、建物や家具は人間の感情を感知し、触れさえすれば、……感情因子に対応して色を変える。ポジティブな感情は暖かい色に、ネガティブな感情は黒に。」(『絶縁』110頁)常にポジティブであり続けることを求められるポジティブシティ。コネで横入りされてチャンスを逸した周錯は、ネガティブ感情が正常範囲を超え、拘置所に収監されてしまった。彼は脱走を図るが、思わぬ大騒動が発生し……。
 筆致はユーモラスだが、感情が可視化され、ポジティブ思考が強要されるポジティブシティは、ネガティブ思考を抑圧するグロテスクなディストピアである。本作は「暮らしの中で抱く感情は、輝かしくポジティブであること、愉快で楽観的なことこそがまともであり、怒りや悲しみはまともではなく、消してしまわなければならない」(『絶縁』137頁)とする母との対話がきっかけとなって書かれたという。著者自身は中国における世代的特徴や伝統の影響ととらえているようだが、このような考え方は、中国だけでなく日本社会をはじめ、普遍的に存在しているのではないだろうか。彼女の作品は中国の社会問題に迫るだけでなく、現代社会に生きている人々全てに向けて書かれているのだ。

 続いて韓麗珠(及川茜訳)「秘密警察」をみていこう。香港の作家である彼女が『絶縁』に寄せたのは、監視社会下に生きるある女性を描いた「秘密警察」。ウイルス対策による隔離政策が徐々に拡張し、いたるところに秘密警察が入り込んだ都市。ある日猫を拾った「私」は、携帯ショップの店員Oと出会い、閉塞的な日々に変化が生じる。「窓」と呼ばれる集会に参加した「私」がみつめる「秘密」とは。
 一読して分かる通り、本作は2014年の「雨傘運動」、2019年の「逃亡犯条例改正反対運動」を経て、2020年に「香港国家安全維持法」が施行され、急速に一国二制度が有名無実化しつつある香港の現状がストレートに反映されている。そのことは及川茜氏による訳者解説に詳しい。
 ジョージ・オーウェルの『1984年』をはじめ、監視社会を描いたディストピアSFは数多く書かれてきた。そして現在では科学技術の進展により、中国をはじめ世界中でSF的な監視社会が巧妙な形で実現しつつある。韓麗珠「秘密警察」は、現実の延長線上に描かれており、SF的ガジェットはほぼ登場しないが、こうしたディストピアSFの一端に連なっているといえよう。

 アンソロジー中で最もストレートに絶縁を描いたのは、チョン・セラン(吉川凪訳)「絶縁」である。チョン・セラン氏はSF・ファンタジー・純文学の枠を超えて活躍しており、SF・ファンタジーに属する作品としては、SF短篇集『声をあげます』(斎藤真理子訳、亜紀書房、2021年)、養護教諭のアン・ウニョンが学校に巣食う怪異と戦う『保健室のアン・ウニョン先生』(斎藤真理子訳、亜紀書房、2020年)、宇宙人が地球の女性に恋する『地球でハナだけ』(すんみ訳、亜紀書房、2022年)が日本語に訳されている。近年、韓国ではフェミニズムやジェンダーの視点にたった小説が次々に出版されて高く評価されている。その流れは韓国のSF小説にも及んでおり、女性読者の比率が高いといわれている(5)。チョン・セラン氏もそうした韓国SFを牽引する作家の一人である。
 SFも手掛ける彼女だが、今回の「絶縁」はSFではない。映像製作会社に勤めるウンは、フリーの女性放送作家に次々に手を出して告発されたユンチャンへの対応をめぐって、親しい先輩夫婦のソンジョンヒョンと対立して絶縁に至る。「文学界で問題を起こした人物が復帰する際に繰り返されるパターンについて書きたい気持ち」が執筆のきっかけの一つだったという(6)本作は、韓国の女性をとりまく複雑な現状を反映した作品である。そして、こうした状況は韓国に限った話ではなく、日本も含め、全世界で起きている。価値観が変わりゆく世界で、どのように縁を結び、縁を絶つのか、誰しもが悩みまどっている。まさに現代の「絶縁」を体現した作品といえよう。

 そのほかSFではないが、中華圏に関する作品には次の二作がある。チベット出身のラシャムジャ(星泉訳)「穴の中には雪蓮花が咲いている」は、都会で追い詰められたチベット人青年が早婚のうえに事故死した幼馴染の少女を追憶する作品。経済成長著しい中国におけるチベット人の苦境と苦悩、微かな希望の種を詩情豊かに描き出す。台湾の連明偉(及川茜訳)「シェリスおばさんのアフタヌーンティー」は、台湾と外交関係を持つセントルシア(カリブ海の島国)を舞台に、国籍の異なる三人の卓球少年の青春といらだちをとらえた作品。
 また、タイのウィワット・ルートウィワットウォンサー(福冨渉訳)「燃える」は、近年のタイの民主化運動・香港のデモを背景に、四人の男女の希望と絶望とそれでも生きていく姿が描かれる。語りの視点を惑わす二人称の「あなた」が効果的。シンガポールのアルフィアン・サアット(藤井光訳)「妻」とベトナムのグエン・ゴック・トゥ(野平宗弘訳)「逃避」は、女性と家族の関係を問う作品。
 『絶縁』に寄せられた9作はまさに多種多様。「絶縁」という言葉から、SF的想像力を含め、これほど鋭く豊かなアンソロジーが生まれるとは驚きの一言である。アジアの今と未来が窺える本作をぜひ一読してほしい。

【注】

(1)出版に至る経緯は、Webの小説丸で、「アジア9都市アンソロジー『絶縁』ができるまで」と題して10回にわたって連載されている。多地域・多言語によるアンソロジーを組む難しさと楽しさがうかがえる。

(2)「特別対談 村田沙耶香×チョン・セラン アジア文学という冒険がはじまる 日韓同時刊行アンソロジー『絶縁』をめぐって」(『文藝』2023春季号、301頁)

(3)書評家・翻訳家による書評の一部を示すと以下のようになる。永江朗(『週刊朝日』1/27号)、佐久間文子(『週刊新潮』1/26号)、長瀬海(『週刊金曜日』2/3号)、鴻巣友季子(『STORY BOX』2023年2月号)、石川美南(『本の雑誌』3月号)、瀧井朝世(『クロワッサン』2/25号)、小佐野彈(『信濃毎日新聞』2/18)、八木寧子(『北海道新聞』3/5)など。

(4)短篇集は、『郝景芳短篇集』(及川茜訳、白水社、2019年)、『人之彼岸』(浅田雅美・立原透耶訳、早川書房、2021年)。長篇は『1984年に生まれて』(櫻庭ゆみ子訳、中央公論新社、2020年)、『流浪蒼穹』(及川茜・大久保洋子訳、早川書房、2022年)。

(5)住本麻子構成、すんみ取材・翻訳「現実を転覆させる文学―現地の編集者に聞く、韓国SF小説の軌跡」(『文藝』2020冬季号)、橋本輝幸「私たちの相違と共鳴―世界SFを俯瞰して」(『文藝』2021春季号)参照。

(6)「特別対談 村田沙耶香×チョン・セラン アジア文学という冒険がはじまる 日韓同時刊行アンソロジー『絶縁』をめぐって」(『文藝』2023春季号、306頁)

(おおえ・かずみ 中華SF愛好家)

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