『中国漢字学講義』評 宮島和也

投稿者: | 2022年11月15日
『中国漢字学講義』

中国漢字学講義


裘錫圭 著
稲畑耕一郎 崎川隆 荻野友範 訳
出版社:東方書店
出版年:2022年06月
価格 6,930円

どの分野にも長年に亘って読み続けられている、その分野を本格的に学ぼうとすれば必ず読むべき「古典」と言って良いような著作があるのではないだろうか。本書の原著『文字学概要』(以下「原著」)は、漢字研究においてまさにそうした著作である。
 原著の著者である裘錫圭氏は中国文字学の権威であり、この分野に関心のある方であれば知らない人はいないであろう。裘氏の研究は、甲骨文・金文や戦国文字といった古文字学から、古文献学や歴史・思想まで多岐にわたり、発表された著作はどれも必読と言って良い重要なものである。中でも原著は、訳者が「著者の漢字に対する基本的な考えは、本書の中に最も集約的かつ体系的に記されている。著者の「漢字学」の核心となる著作である。」(561頁)と述べるとおり、著者の数々の業績の中にあって大きな意味をもつものであると言えよう。
 また冒頭で述べたように、原著は1988年の初版以来、中国語圏はもとより日本やその他の地域でも、多くの研究者・学生(あるいは更に一般の読者)に読まれ続けている。原著はその内容のみならず、学界に与えた影響という意味でも重要な著作であると言える。
 本書の構成は以下のとおりである。

第一章 文字形成の過程
 第二章 漢字の性質
 第三章 漢字の形成と発展
 第四章 形体の変遷(上)―古文字段階の漢字
 第五章 形体の変遷(下)―隷書・楷書段階の漢字
 第六章 漢字の基本類型の区分
 第七章 表意文字
 第八章 形声文字
 第九章 仮借
 第十章 異体字・同形字・同義換読
 第十一章 文字の分化と合併
 第十二章 字形と音義の錯綜した関係
 第十三章 漢字の整理と簡略化

ここに示した章立てからも分かるように、本書では「漢語を表記する文字としての漢字」に関する本質的な問題が広く深く議論されている。漢字研究の出発点として、まず参照すべき著作と言って良い。
 また本書の第七章や十二章でも触れられているが、音と意味をもつ語と、それを表す文字とは本来区別して考えなければならないが、漢字に対する伝統的な(あるいは現在でも一部で行われている)見方では両者の区別が曖昧であった。本書では漢字の字形を「 」で(原著では“ ”)、語を{ }で示し、両者をかなり明確に区別し議論を行っている。この点も重要であると言えよう(ちなみにこの記号の使い方じたいも影響を与えており、特に近年の中国語圏の論文では本書に倣い字を“ ”で、語を{ }で表示することが多い)
 以下、いくつかの章に絞ってその内容を紹介してみたい。
 第二章では、「表意文字」「表語文字」などと呼ばれることのある漢字を、どういったタイプの文字であると考えるべきかという議論が行われる。本章で著者は「字符」という概念を導入し、その特徴によってそれぞれの文字体系を分類すべきであると言う。「字符」とは文字を構成する符号で、文字が表す語の意味と関係を持つ字符を「意符」、音と関係を持つ字符を「音符」、意味とも音とも関係を持たない字符を「記号」と呼ぶ。例えば{花}という語(形態素)を表す「花」字は、意符「艹」と音符「化」という2つの字符から構成される。漢字という文字体系で用いられる字符は、形態素のレベルで働く機能をもつ意符・記号と、音節を表す音符であることから、著者は漢字を「形態素―音節文字」と言うべきであると述べる。
 本章の内容は「文字論」的な議論であり、文字一般の観点から見た漢字の特徴を考える上で大いに示唆に富むものであると言える(「文字論」については河野六郎「文字の本質」(『文字論』所収、三省堂、1994年)等を参照されたい)
 第四章・五章では、出土文字資料を豊富に提示しつつ漢字の形体(書体)の歴史が概述される。本章を通読することで、甲骨文から楷書に至るまでの漢字のダイナミックな変化の流れを掴むことができるだろう。原著の初版は1988年であり、その後発見された資料やそれによる知見は数多いが、本章の記述は古びていない。また修正点等は原著の修訂本(2013年)に加えられた注によって適宜補われている。
 第六章から第九章にかけては、漢字をどういった基準で、どのように分類し分析すべきかという議論が行われる。すなわち、伝統的な「六書」(象形・指事・会意・形声・転注・仮借)の問題点を指摘した上で、陳夢家氏の「三書」説に基づきつつ、「表意文字」「形声文字」「仮借文字」という三書説を提唱し、その下位分類や、それぞれに含まれる漢字の特徴や成り立ち等が詳しく述べられている。この三書という枠組みはもちろんのこと、本章で挙げられている個々の漢字に関する著者の解釈じたいも参照する価値が高いものである。
 なお、第六章では六書の「転注」が何を指すのかについての議論が行われているが、ここで紹介されていない有力な説として河野六郎氏の説がある。河野氏は「同字異語」、すなわち第十章で扱われている「同義換読」(「訓読」)のような、「既製の文字を…(中略)…意味上関連のある他の語に転用する方法」(「転注考」、上掲書60頁) が「転注」にあたると指摘している。
 タイトルが与える印象とは異なり、本書の内容は必ずしも易しくない。評者も学生時代、まずは原著の旧邦訳を、そして中国語を理解できるようになってからは原著を読んだ。原著は比較的平易な文体で書かれているが、内容に関しては何度か読み返してようやく腑に落ちたと感じる部分も多い(もちろん評者の能力の低さという要因もあるが)。今回、本書を読み直して改めて気づいたことも多々あったが、読むたびに新たな発見があるというのも、原著が「古典」たる所以であろう。

最後に、翻訳書としての本書について述べておきたい。
 本書には原著には無い「小見出し」「文字索引」が付されており、内容の理解を助け、また研究書としての「利便性」を高めている。訳文に関しては、全体を通し良く練られたものであり、日本語として読みやすいものとなっている。僅かながら翻訳の経験のある評者としては、訳者の丁寧な仕事に反省させられる部分が数多くあった。
 しかしどんなに優れた翻訳書であれ、誤訳や誤解はつきものである。本書においても翻訳上の問題が些か存在し、それが内容の理解を妨げている箇所もある。原著を参照することが難しい読者もいることに鑑み、紙幅の都合上ここではその中の2点だけ指摘しておきたい。
 例えば本書198頁、唐蘭氏が漢字の所謂「形・音・義」に対応させる形で、「象形字・形声字・象意字」という「三書説」を提唱したことの問題点を指摘した箇所がある(下線は評者による)

字形とそれが表す語のあいだに関係が取り結ばれる過程を考えてみるなら、象形字と象意字のあいだに大きな違いはありません。なぜなら、象形字が象る形とは、語の指し示す事物の形であり、語の指し示す事物とは、語の意味内容にほかならないからです。象形字の字形は象意字の字形と同じく、やはり字義を表したものです。語は決して語義の外側に独立して存在するものではなく、また象形字が象った「形」でもあります。

下線部の意味は(少なくとも評者には)理解し難い。原文は「词并没有一个独立在词义之外的、可以为象形字所象的“形”」とあり、「語義の外に独立して存在し、象形字によって象ることのできるような“形”を、語は持っていない」といった意味であろう。すなわち、「虎」「象」など事物の形を描写した「象形字」であれ、実際にはその字形は語の意味と関係しているのであって、その点は唐蘭氏の言う「象意字」と何ら変わりない、というのである。
 また例えば335頁には以下のような記述がある。

そうした後起本字の中には、その使用頻度がきわめて少ないために、一般には知られていない仮借文字もありますが、そうした文字のことを仮借文字と呼ぶことは、やはり相応しくありません。…(中略)…「後起本字のために使われなくなった仮借文字」と呼ぶのがよいでしょう。

本書の内容によれば、仮借によってある語を表記するようになった字を「仮借文字」、中でも本来その語を表す文字(本字)が元から存在していた場合を「通仮(字)」と呼び、本字が仮借文字より後に作られた場合、それを「後起本字」と呼ぶが、この部分の記述は錯綜している感がある。
 原文は「对那些后起本字由于极少使用而不为一般人所知的假借字,称它们为通假字实际上是不合理的。…(中略)…可以称它们为后起本字不通行的假借字」とあり、ここは「仮借文字の中には、後起本字の使用頻度がきわめて少ないため、(後起本字が)一般には知られていないものもありますが、そうした仮借文字のことを通仮字と呼ぶことは相応しくありません。…(中略)…「後起本字が広く使われることのなかった仮借文字」と呼ぶのがよいでしょう」といった意味ではないだろうか。
 無論、こうした箇所は全体から見れば少数であるし、本書の価値を大きく損なうものではない。

「訳者あとがき」でも触れられている通り、本書の訳者を中心としたグループによって原著の邦訳は過去に出版されていたが、必ずしも多くの人が目にしやすいものではなかった。今回、広く流通する形で出版され、様々な分野の研究者や一般の読者、あるいは漢字研究に興味を持った学生等が本書を手に取りやすくなったことは大変意義深く、日本における漢字研究の発展に大いに資するものであると言えよう。

(みやじま・かずや 成蹊大学)

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