『「明治日本と革命中国」の思想史』評 顧嘉晨

投稿者: | 2022年1月17日
『「明治日本と革命中国」の思想史』

「明治日本と革命中国」の思想史
近代東アジアにおける「知」とナショナリズムの相互還流


楊際開、伊東貴之 編著
出版社:ミネルヴァ書房
出版年:2021年07月
価格 7,700円

近代東アジア政治社会思想史の再構築

 

 本書は国際日本文化研究センターにおいて2018年度に実施された共同研究「中国近代革命の思想的起源――日本からの思想的影響を中心に」の報告論集である。近代の東アジア政治社会思想史に関する研究書として、この分野の最新の研究をまとめた論文集と言って良いかもしれない。まずは目次を掲げよう。まえがき、あとがき、人名索引を除き、本書は3部21章から構成されている。章立ては次の通りである。

第Ⅰ部 前史としての徳川日本
 第1章 幕末・維新期の「尊王思想」―その歴史的起源―(小路田泰直)
 第2章 なぜ日本は「帝国」なのか―幕末日本を出発点に―(桐原健真)
 第3章 頼山陽の「利」の観念―道徳の功利的形成―(濱野靖一郎)
 第4章 斎藤拙堂による清朝経世思想の受容―吉田松陰の政治思想の源流を探る―(楊 際開)
 第5章 久坂玄瑞と陽明学―「鍛錬心術脱離生死」のため学ぶ―(一坂太郎)
 第6章 加藤弘之の「鄰艸」―何のための「公会」か―(田頭慎一郎)
第Ⅱ部 明治日本と辛亥革命
 第7章 国体、神道と近代日本の国家権力―「カミ」という視点から―(鍾 以江)
 第8章 外山正一による「社会学」の導入―近代東アジアにおける思想の資源として―(鈴木洋仁)
 第9章 日清戦争と東洋文明回復論―もう一つの義戦論―(中川未来)
 第10章 梁啓超と近代中国の「革命」―「革命」の多義性―(高柳信夫)
 第11章 清末変法志士の維新観―「任俠」を中心に―(孫 瑛鞠)
 第12章 清末革命派知識人の修身・倫理教科書と明治日本―蔡元培・劉師培と井上哲次郎を中心に―(林 文孝)
 第13章 章炳麟の陽明学思想―日中近代における儒学思想の意義―(山村 奨)
 第14章 章炳麟の革命思想―明治国家への対応―(楊 際開)
第Ⅲ部 近代中国の国家建設と日本
 第15章 日本のアジア主義と中国革命―近代化におけるナショナリズムとアジア主義―(姜 克實)
 第16章 汪精衛の日本留学と陽明学―その活動の背景―(関 智英)
 第17章 北一輝と中国革命―近代への模索―(八ヶ代美佳)
 第18章 『華国月刊』に見る司法ナショナリズム―中華民国法のあるべき姿とは―(加藤雄三)
 第19章 蔣介石の明治維新論―「天は自ら助けるものを助く」―(黄 自進)
 第20章 清末民国知識人に見る「文化革命像」―そのスペクトル―(銭 国紅)
 第21章 現代中国における「革命」と「伝統」―「文化大革命」と柳宗元・李白・杜甫―(鐙屋 一)

 まず、簡単に本書の位置づけを紹介したい。本書は、東アジア研究の最前線に立つ研究者によって朱子学、陽明学、ナショナリズム、アジア主義など幅広く、また多様な分野から執筆されている。また本書は、文化交流と思想再建の視点から、「前史としての徳川日本」、「明治日本と辛亥革命」、「近代中国の国家建設と日本」という三部で構成されている。日本の徳川幕府、明治維新、中国の辛亥革命、近代国家建設の流れに沿って、日本の国家思想の形成過程と並行して、中国革命の歩みを窺い知ることができるものである。各部及び各章の構成を一覧してもわかるように、主に近代日中両国における思想家の思索展開や相互作用に着目して精力的な考察が行われている。特に、副題に示されているように、多彩な史料を用いて「知」とナショナリズムという二つのキーワードを絡めて論じ、その相互還流との接続を試みている点が注目に値する。
 次に各部の内容を要約する。第Ⅰ部では、前史としての徳川日本に着目している。最初、第1章において、幕末維新期の日本人が「尊王」に陶酔した理由及び徳川将軍が近代的中央集権国家の中心を占める理由を解明した上で、「尊王思想」の歴史的起源を探っている。続く、第2章では、なぜ日本は「帝国」であったのかという謎を解きながら、近代東アジア(漢字文化圏)独自の「帝国」言説の展開を論じている。第3章以降では、頼山陽、斎藤拙堂、久坂玄瑞、加藤弘之など江戸後期、幕末期の思想家、儒学者(朱子学者、陽明学者)、藩士の思想にも積極的に関与して論が展開されている。様々な視点から、そしてそれぞれの比較がなされていることは、非常に興味深い。
 第Ⅱ部の前半においては、日本に焦点をあてている。まず、近代国家の世俗性と国体、神道の関係性から、幕末維新期「カミ」の歴史を遡って近代日本の国家権力を明確にしている(第7章)。そして、外山正一の「社会学」と進化論との関係を考察することによって、近代における社会学の導入に関する議論が展開される(第8章)。次に、これまでの、日清戦争を正当化する、いわゆる「文野の戦争」論(文明の日本と野蛮の中国)とは異なるもう一つの義戦論――東洋文明回復論の歴史的経緯、位置づけが詳細に論じられている(第9章)。第Ⅱ部の後半では日本思想のみならず、中国側の梁啓超、蔡元培、劉師培、章炳麟など近代中国知識人の各思想について検討し、東アジア全体の政治社会思想史問題を扱う基本姿勢を示す(第10・11・12・13・14章)。すなわち、一国史に限ることなく、変革を模索する近代中国人の日本認識、日本からの影響なども扱われている。日本の政治社会思想は辛亥革命の思想的背景の一つとなっている。この第Ⅱ部は全体的に、両者の関係性を解明することを通して、中国側の対応や思想が変容していく過程をも描き、より強い説得力が感じられる。近代における日中思想の相互作用という観点は、大きな意義があるものである。
 第Ⅲ部では、第Ⅱ部の議論を踏まえた上で、近代中国の国家建設と日本を検証し、近現代東アジア研究にも示唆を与える。最初に、アジアの近代化過程に現れた、東洋的価値観が顕著な「ナショナリズム」と「アジア主義」を取り上げ、近代日中に及ぼした影響を論じている(第15章)。その後、汪精衛、蔣介石など国民党の要人の日本留学歴及び日本思想に関する思索を探り、また、中国革命との接触による北一輝らの思想の変化に言及している(第16・17・19章)。さらに、大虚、章炳麟、但燾、金兆鑾という四人が『華国月刊』に寄せた文章を眺めながら、中国近代の素朴な司法ナショナリズムの方向性を示す(第18章)。第20章では、近代中国における「文化革命像」の形成を遡って近代中国人の文化観の変化の軌跡を見出した。最後の第21章では、ここまでの内容から時代が少し飛び、現代中国に突入し、文革期に唐代の詩人柳宗元・李白・杜甫を研究した章士釗、郭沫若を例として取り上げ、現代中国における「革命」(文化大革命)と「伝統」(古典文学研究)の関係を明らかにした。
 以上不十分ながら、評者の関心に沿って簡略的に本書各部の豊富な内容を概観した。全体として、実証的にきちんと裏付けがなされている本書は、近代東アジア思想史の枠組みを再構築するという意義を有している。そして、特徴的なのは、各執筆者の問題意識及び関心に基づき様々な観点が提示されているが、「近代東アジアにおける「知」とナショナリズムの相互還流」というテーマから外れることはないというところである。特に、近代中国において如何に日本の思想が受容され展開したかを解明したことは、本書のもたらした最大の成果の一つとも言える。従って、本書を閲読する際に、「中国近代革命の思想的起源」と日本思想との繋がりについての問題意識を念頭において、読み始めることをすすめる。
 ところで、本書を読了したところ、率直に印象に残るのは、編者の楊際開氏と伊東貴之氏による丁寧かつ親切な編纂作業である。もちろん、本書成立の大前提として、研究代表者である楊際開氏の雄大な構想や問題意識に基づいていることは、忘れてはならない。そして、各執筆者の史料に対する真摯な姿勢、及び詳細な分析がなされた研究成果の賜物である。しかし、その詳細さと多様さゆえ、徳川日本から近現代中国まで、様々な研究分野を横断しつつ、国家、時代の差異による議論の限界や膨大な内容をまとめるのは決して容易ではない。一見本書の構成は、やや複雑に見えるかもしれないが、思想の相互還流という方針に基づき、各章を巧妙に組み立てている。「前史としての徳川日本」、「明治日本と辛亥革命」、「近代中国の国家建設と日本」という三部構成によって、近代東アジア政治社会思想史への考察をバランスよくまとめている。読者の理解を深めるために、多様な観点をまとめる難しさを克服していると言える。その意図や編纂作業の工夫を感じ取ることができる。
 一方、周知のごとく近年では一国史観に縛られずに、近代日中思想の相互作用に注目する風潮が窺える。先に指摘したように、本書も一国史観の枠を乗り越えるために、各研究分野の最新研究を集め、様々な視点から東アジアの近代を顧み、その多面的かつ複雑な様相を呈している。これらの領域は、それぞれ差異はあるが、東アジア思想と重なり合ってより検討の視野を広めていると実感させられる。さらに、このように新たな興味深い知見を数多く提供しており、学際的な視点から近代東アジア思想史研究の再構築において大きな功績を果たしたと言えよう。
 以上、感想を述べさせていただいたが、評者の未熟さゆえに本書の充実した内容を十分に表現しきれていないところも多いと思う。上述の拙論でも紹介したが、本書の研究対象とする範囲は極めて広く、研究をさらに進めれば、近代東アジア思想全体の進展に寄与するものであると確信する。今後も引き続き各先生方の最新研究成果を待ち望むと同時に、さらに、活発に議論が重ねられていくことに大いに期待したい。多彩な内容を持つ本書は東アジア研究の促進に資するとともに、東アジア思想にも新たな研究の方向性を提示することに止まらず、東洋史、政治学などの隣接分野においても有益な一書となるものとして広く推薦したい。本書から与えられた示唆は数多く、評者の力不足ゆえに謹んで執筆者及び読者諸賢のご寛恕とご批判を乞う次第である。

(こ・かしん 東京大学大学院)

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