『日中文化のトランスナショナルコミュニケーション』評 田辺義明

投稿者: | 2021年12月15日
日中文化のトランスナショナルコミュニケーション

日中文化のトランスナショナルコミュニケーション
コンテンツ・メディア・歴史・社会


江藤茂博・牧角悦子 監修
松本健太郎・王怡然 編
出版社:ナカニシヤ出版
出版年:2021年03月
価格 3,520円

西遊記からコロナ禍まで、文化交流の細やかな分析

 

■はじめに

 評者は本書を読み込むまで、それが大学のシンポジウムとしての企画であるとは思わなかった。本書は監修者、編者、論文執筆者、コラム執筆者、翻訳者など関係29名による精華である。二松學舍大学の東アジア学術総合研究所という、学内の研究機関がプロデュースしたらしい。かつては陽明学研究所と言った筈だが、調べると陽明学研究センターとして、この総合研究所に取り込まれたようだ。その29名の業績を一部しか紹介できないのは残念だが、論文著者とタイトルのみ列挙しよう。同大学といえば漢文、書道に長けており、古典に強いというイメージで、このように現代モノを扱うとは意外だった。思想、言語などハイカルチャーへの先行研究は豊富だが、ポピュラーカルチャーこそ重要と、江藤茂博教授の前書きにある。
 評者は社会学を専攻しており、コミュニケーション論も研究対象とする。トランスナショナルコミュニケーションというのは、異文化コミュニケーションという表現が日本にあって、それと同義であろう。後者のほうが通じるが、あえてトランスナショナルなのだ。これはグローバライゼーションとは違い、特定の国家社会の枠組みを越えての文化伝播となる。トランスナショナル論の嚆矢を放ったのは、社会学者のスティーブン・バートベックである。
 本書は第Ⅰ部と第Ⅱ部の2部構成になっている。第Ⅰ部に「コンテンツ」と「メディア」からみる日中文化のトランスナショナルコミュニケーション、第Ⅱ部に「歴史」と「社会」からみる日中文化のトランスナショナルコミュニケーションを扱っている。

■全体構成

 第Ⅰ部
01「中国の国産アニメとその発展のプロセス」范周
02「戦後日本のアニメにおける『西遊記』のアダプテーション」秦剛
03「中国市場における“日本動漫”」沈浩
04「日中両国のコロナ禍における映画の劇場配給」劉心迪
05「中国における日本のギャグマンガの受容と拡散」楊駿驍
06「中国における日本のライトノベルの受容について」張文穎
07「中国ゲーム史における日本産ゲームの位置」鄧剣
08「ゲームのなかで、人はいかにして“曹操”になるのか」松本健太郎
 第Ⅱ部
09「図像から考える日中欧の医学交流」ヴィグル・マティアス
10「近藤勇と関羽」伊藤晋太郎
11「清国留日生が創刊した『農桑学雑誌』について」王怡然
12「『地球の歩き方 中国』における“旅”から“観光”、そして文化伝播の痕跡」江藤茂博
13「アジアにおける現代アートと現代観光の出会いについて」須藤廣
14「中国における日本のゆるキャラの受容」林茜茜
15「中国のシェアリング自転車をめぐる社会事情について」楊爽
16「越境文化としての化粧」廖静婕・高馬京子
以上、サブタイトルは省かせていただいた。また監修者の牧角悦子教授も、日本漢学の伝統と革新の立場から本書をサポートしている。

■社会学から

 コミュニケーション論はもともと社会学である。しかしトランスナショナルコミュニケーションとは日本の社会学でも耳目に新しい。日常コミュニケーションの研究は日本では、1967年に米ハロルド・ガーフィンケルが提唱した「エスノメソドロジー(ethnomethodology)」として、社会学者に普及している。これはミクロな対人関係の記述分析法である。
 日本と中国は漢字文化を共有するが、例えば中国の社会学者は、〈群衆〉というワードを頻繁にかつ肯定的に使う。しかし日本語で群衆は「群衆が暴徒化して……」というように無秩序な、というマイナスの意味がある。同じ社会学といえども、概念用具は異なっている。本書の構成は行き届いているものの、日中いずれも社会学者が加わっていないと、落ちこぼれ社会学者の評者は思う。

■西遊記の不思議

 本書ではまずコンテンツとして、日本文化産業の旗手で、またサブカルチャーからメインカルチャーに移行しつつある「アニメ」の中国への浸透が分析される。第Ⅰ部にゲームソフトも含めたアニメ論が4本並ぶ。また同様にライトノベルの中国での受容も論じられている。
 日本にも宮崎駿監督の高品質な作品群がある。だが実際には、中国にやや粗製な日本アニメが、大量に流入した。これは北京の中国社会科学院にいても、妻の実家の新疆にいても同じであった。しかし日本でも「西遊記」のアニメが、8本制作されていたことは知らなかった。本書の文化伝播も主に一方通行だ。評者は相互作用で社会は変動してゆくと思う。社会学ではシンボリック相互作用論(Symbolic Interactionism)という。「言語」、「文字」、「画像」など記号、つまりシンボルを使った相互作用である。

■映像表現の世界

 化け物ばかりのシルクロードが日中両国ともに西遊記では描かれる。それは共通だが、中国には現代戦争のアニメもあって、日中の表現の違いに驚く。中国式表現では解放軍兵士が射撃すると、敵兵を直撃して、身体に穴があき血が噴き出す。
 またニュース番組でも、地下鉄サリン事件の画像では、日本ではカットされる被害者の嘔吐や、死傷者が魚市場のように横たわるシーンが流される。こういう映像表現の分析も、監修者の江藤茂博教授のご専門と思う。

■地球の迷い方?

 監修者の江藤茂博教授は自ら第Ⅱ部に、ダイヤモンド・ビック社の『地球の歩き方』について執筆している。同誌は「地球の迷い方」などと悪口を叩かれながらも、バックパッカーの羅針盤となっている。読者のフィードバックで誌面を作る、という発想はそれまでなかった。JTB出版の『るるぶ』とは取材姿勢が違っている。
 しかしシェアリング自転車の論考は実証的だが唐突で、トランスナショナルコミュニケーションとは接点が少ない。システムとして始まったのは中国のスマホアプリからある。

■日中韓の医学伝播

 第Ⅱ部冒頭の論文は、漢方医学の日本への伝播で、ここだけが文化の伝播方向が中国から日本へと大きく違う。しかし第三国の研究者であるマティアス氏が「図像」をキー概念として、近代日本への漢方医学移入を分析すれば、なるほどと思える。経絡、ツボは図版や人形で、日本に伝えられた。これこそ江戸末期の中国漢方医学の日本移入である。日中韓の「本」、「人」、「モノ」のダイナミックな交流としている。かつて評者は北朝鮮の医学者から、漢方と朝鮮方は違うと強く指摘された。韓国、北朝鮮は薬用人参などを朝鮮医学と考えている。のちいずれにも西欧医学は伝わった。
 ただ本書の欠落点とは言い切れないが、日本の中国文化受容も、社会学的研究として興味がある。日常的には中華料理が典型であろう。また例えば日本に定着した習慣としては、来客や成功者を讃える拍手に、自らも応えて拍手をすることがある。毛沢東主席は拍手をしながら入場した。

■世の中と因縁

 本書の前書きに、監修者の江藤茂博教授は長崎市の書店で、赤い『毛沢東語録』を買ったとある。江藤教授が中学生時代に手にしたのは、竹内実訳『毛沢東語録』角川文庫であろう。訳者の竹内実京都大学名誉教授は他界されたが、いま江藤教授が学長を務める二松學舍大学の前身、二松學舍専門学校から学徒出陣、帰還している。
 また本書で、三国志の関羽と対比される新選組の近藤勇だが、その墓(境外墓地)は、JR板橋駅東口にある。菩提寺の住職は二松學舍大学卒業の新井京誉師(女性)で、先代住職は二松學舍大学の宗教学教授であった。これらも因縁というものだ。

■おわりに

 監修者、編者らは、中国への文化伝播を中国人研究者が、自ら指摘することに意義を見出している。日本社会には、中国が先端技術に後れ、コピー製品ばかりと思っている方々がいる。また中国を嫌悪する風潮もある。いまや中国は米国が本気で悩む技術大国となった。本書は中国社会が日本の現代文化を受容しつつ、文化大国となる過程の産物である。これは社会学的にも、優れた視点と言える。もちろん評者も読者諸賢も、現代中国について認識のアップデートには、トランスナショナルコミュニケーションが必要だろう。ぜひ本書を書店でご覧いただきたい。頭脳システムの再起動が必要かも知れないが。

(たなべ・よしあき 社会学者)

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