沈黙の中国語 心の中でつぶやく中国語 第0回

投稿者: | 2026年9月15日

趣旨説明、「語られない言葉」へようこそ

氷野善寛&茜千里

■この連載について

 外国語の教科書は、たいてい「話すための言葉」を教えてくれます。”你好”、”谢谢”、 ”这个多少钱?”。どれも声に出して、相手に届けるための中国語です。
 でも、考えてみてください。私たちが一日のうちで頭の中に浮かべる言葉の量は、実際に口から出す言葉の何倍もあります。満員電車で、お見合いの席で、会議中に、レジに並んでいるときに。「写真とちょっと違うかも……」「この会議、何分で終わるのかなあ……」。口には出さない、出せない、出さないほうがいい言葉たち。
 考えてみれば、外国語を学ぶとき、私たちはいつも「正しく話す」練習ばかりしてきました。でも、その国の人と本当に分かり合いたいと思ったら、相手が「何を言ったか」より、「何を言わなかったか」のほうが大事なときがあります。黙ってうなずいたあの人は、納得したのか、それとも諦めたのか。笑顔で「大丈夫です」と言ったあの人の、その笑顔の裏側には何があったのか。心の声が分かれば、同じ会話がまるで違って見えてきます。
 この連載は、その「語られなかった言葉」、沈黙の背後にある心の声を、日本人と中国人それぞれのモノローグとして、日中対訳で描いていく試みです。同じ場面に置かれた二人が、口では似たようなことを言いながら、頭の中ではまるで違うことを考えている。あるいは、まるで同じことを考えている。その「ずれ」と「重なり」こそが、この連載の見どころです。

■たとえば、こんなふうに

 お見合いの席。日本人女性の頭の中、
「これ、何分くらいで終わるのかなあ……」
这个要聊多久才能结束啊……
・”要〜多久才能〜“は「〜にはどれくらいかかるのか」という焦りの文型。”“で独り言の語気になる。

 同じころ、中国人女性の頭の中では、
我的脸都快笑酸了……
→もう、笑いすぎて顔が痛くなりそう……     
・”都快〜了“は「もうすぐ~になりそうだ」「今にも~しそうだ」という意味。”笑酸了“は、笑顔を長く続けたせいで顔の筋肉が疲れ、痛くなることを表す。

 また、満員電車で足を踏まれた日本人会社員は、こう思うかもしれません。
「すみません、踏んでるの私の足なんですけど……」
不好意思,您踩的是我的脚……
・”“は「踏む」。”“とていねいに言いながら、内心は抗議している。この温度差が、つぶやきの面白さです。

 そして深夜のコンビニ。レジに立つ中国人店員の頭の中では、こんな声がするかもしれません。
这个点儿还来买烟,是烟瘾真的那么大还是不想回家?”
→こんな時間にまでタバコを買いに来るなんて、そんなに吸いたいのか、それとも家に帰りたくないのか。
・”这个点儿“は「こんな時間に」「こんな遅い時間に」という意味。”烟瘾“は、タバコを吸いたくてたまらない気持ちや、タバコへの依存を指す。”是~还是~“は「~なのか、それとも~なのか」と二つの可能性を並べる表現。客の行動を眺めながら、その人の事情を勝手に想像している。

 口に出る言葉が「建前」だとしたら、つぶやきは「本音」。そして本音にこそ、その国の文化がいちばん濃く宿ります。同じ場面で、日本人は何を飲み込み、中国人は何を飲み込むのか。あるいは、飲み込まずに言ってしまうのか。その差を並べていくと、ふだんは見えない「心の作法」が、すこしずつ形を現してきます。

■進め方

 毎回ひとつの場面と、ひとりのペルソナ(人物像)を設定します。書店員、コンビニの深夜バイト、美容師、就活生、付き添いの娘。その人が特定の時間に特定の行動をとりながら、頭の中で考えていそうなことを、日中それぞれ5つ前後のつぶやきにします。
 各つぶやきには語彙と文法の解説を添えるので、「使える表現」としても持ち帰れます。教科書には載らないけれど、中国のSNSや日常会話では毎日飛び交っている、生きた口語です。”i人”(内向的な人)、”内卷”(過当競争)、”打工人”(労働者の自虐)といった近年の流行語も、つぶやきの中で自然に覚えられるよう拾っていきます。
 なぜ「つぶやき」なのか。声に出した言葉は、相手や場に合わせて整えられ、角が取れています。けれど頭の中の言葉は、整える前の素のままです。そこには、その人の本音と、その人が育った社会の「あたりまえ」が、むき出しで残っている。だから心の声を日中で並べると、教科書的な「正しい中国語」よりも、ずっと生々しい文化の違いが見えてくるのです。
 そして最後に、筆者二人(氷野×茜)の対談で、つぶやきの背後にある日中の文化の違いを掘り下げます。茜は中国出身、氷野は非母語話者として中国語を学んだ日本人。一方が「これは中国ではこう」と言えば、もう一方が「日本だとこうですね」と返す。その往復の中で、つぶやき一つひとつの奥行きが見えてくるはずです。
 タイトルの「沈黙の中国語」には、二つの意味を込めました。ひとつは、声に出されない中国語、つまり心の中のモノローグ。もうひとつは、「なぜそこで黙るのか」という、沈黙そのものの文法です。日本人の沈黙と中国人の沈黙は、同じ無音でも中身が違う。遠慮の沈黙もあれば、計算の沈黙も、思いやりの沈黙もある。その違いが分かると、会話の表面だけでは見えなかった相手の輪郭が、すこし立体的に見えてきます。
 読み方は自由です。語学教材として表現を拾うもよし、日中比較のエッセイとして読むもよし、「あるある」として笑うもよし、「いやいや、そんなことはない」と心の中で突っ込みながら見るもよし、それぞれの回は1回で完結するので、気になる場面からどうぞ。中国語をまだ学んでいない方も、対訳と解説を追えば置いてけぼりにはなりません。むしろ「日本人と中国人って、こんなところで考え方が違う(あるいは同じ)のか」という発見を、肩の力を抜いて楽しんでいただければと思います。
 それでは、ページをめくるように、いろいろな人の頭の中をのぞいていきましょう。声にならなかった言葉のほうが、その人を雄弁に語ることがある。この連載が、そんな「沈黙の聞き方」を持ち帰ってもらうきっかけになればうれしいです。
 
 はじめる前に、まずはこれからの予告編を含めた対談から。

氷野:茜先生、この連載、ひとことで言うと何の連載なんでしょうね。
茜:「心の中をのぞく中国語」でしょうか(笑)。教科書の中国語って、みんな元気にはっきり話すじゃないですか。でも実際の人間は、言わないことのほうが多い。
氷野:そうなんですよね。むしろ「言わなかった言葉」を並べてみると、日本人と中国人の違いがくっきり見えてくる。沈黙の中身が違うんです。
茜:日本人は「角を立てないため」に飲み込み、中国人は「言っても仕方ないこと」だけ飲み込む、みたいな傾向はあるかもしれません。でも実際に書いてみると、「あ、ここは同じなんだ」という発見も多くて。
氷野:そうそう。たとえば病院の待合室の回。日本は番号札を握って静かに待ち、中国は朝6時の行列から、声を張り上げて親のために順番を勝ち取る。待ち方は正反対なのに、「親が無事なら、それでいい」という祈りだけは、日本も中国も驚くほど同じでした。違うと思って並べたのに、同じだった。それはそれで、すごく大事な発見なんですよね。
茜:逆に、美容院の回はびっくりしました。「中国人はおしゃべり好き」ってよく言われるのに、今の若い子は美容師さんに話しかけられたくない、静かに切ってほしい、と。日本人より無口かもしれない(笑)。だから、思い込みのまま「中国はこう」と決めつけないように、というのは、二人でいつも気をつけています。
氷野:その意味で、この連載は「正解集」ではないんです。むしろ、読んだ人が「自分の国だとどうかな」と考えるきっかけになればいい。最後にお断りをひとつ。ここに登場するつぶやきは、SNSの投稿や私たちの見聞をもとにした、筆者二人の独断と偏見によるフィクション的観察です。すべての日本人・中国人がこう考えるわけではありません。
茜:「うちの国のここ、わかる!」も「いや、私は違う」も、どちらも正解です。そのツッコミごと、楽しんでいただけたら(笑)
氷野:では、第1回の場面に行きましょう。お見合いの席の「心の声」です。

(ひの・よしひろ 目白大学/あかね・せんり 関西大学)

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