漢文怪談 怪力乱神を語りましょう 第五回

投稿者: | 2026年5月15日

「眼から何出した」の説

福田 素子

 映画『下妻物語』(中島哲也監督 2004年)の中に、憧れの神様(アパレル会社社長)に会った主人公桃子がショックで失神すると、それを見た桃子の「ダチ」のイチコが突進して社長にエルボーを叩き込み「お前何した眼から何出した!」と叫ぶ、という名場面がありました。眼から出るのは涙と目やにだけなのに、人は何故眼から「何か」を出すと思いついてしまうのでしょうか…。その謎を探るために袁枚『子不語』巻十一「奇鬼眼生背上」を読んでみましょう。

費密、字此度、四川の布衣、「大江流漢水、孤艇接残春」の句有りて、阮亭尚書の称する所と為り、楊将軍名は展なる者に薦与さる。

 費密という人は、字は此度、四川の在野の人でしたが、「大江流漢水、孤艇接残春」という詩を王士禎に絶賛され、楊展という将軍に仕えるよう、推挙されました……ということですが、これでは時代が合わないようです。まず費密は1625年生まれですが、王士禎は1634年生まれです。年下の人から推挙されるのは一向に構わないのですが、楊展の没年が1649年、その時王士禎はやっと15歳なので、さすがに無理があります。それに「大江…」という詩は、費密が実際に作った「朝天峡」という詩の一節なのですが、これは順治10年(1653)春の作なので、楊展没後の作です。なお、この句を王士禎が絶賛したのは本当のことです。

四川を征するに従い、成都を過(よ)ぎり、察院の楼中に寓す。人相伝うらく、此の楼怪有り、と。楊と李副将と俱に聴かず、費を拉きて同宿す。

 その楊展が四川を征伐するのに従い、成都に到達し、都察院の楼に泊まることになりました。その建物には、あやかしがいる、という言い伝えがありましたが、楊展も副将の李も聴く耳を持たず、費密を引っ張って同宿しました。
 楊展の名は知らなくとも、明末・四川・成都、といえば、張献忠という名前を連想する人は多いでしょう。最近も中国で「張献忠する」が「無差別大量殺人をする」を意味する流行語になりました。張献忠は明末の農民叛乱の指導者の一人ですが、四川省に入ると民の支持を得られず、逆上して大虐殺を行います。この話は、張献忠の巻き起こした惨劇を遠景としている、ということになります。明の将軍楊展が張献忠を成都から追い払ったのは、彭遵泗『蜀碧』によると順治3年(1646)なので、これも順治3年の話、ということになります。『子不語』のいう費密推挙の経緯は出鱈目ですが、費密が若い時に楊展に仕えたことは『清史稿』巻501遺逸2の費密の伝にも見えます。彼は少年時代から大変な親孝行で、張献忠が蜀に侵入して大混乱に陥った時に、雲南の昆明知県をしていて孤立した父を故郷の四川省新繁まで連れ帰る大冒険をして、楊展の眼にとまったのです。

費疑い無きこと能わず、燈を張りて剣を按じ、帳中に端坐す。三鼓の後、楼下に橐橐として声有り、一怪梯を躡みて上る。燈下に之を視るに、頭面有りて、眉目無く、枯柴一段の如し。帳の前に直立す。費剣を抜きて之を斫れば、怪退縮すること数歩、身を転じて走る。一眼の豎に背の上に生ずる有り、長きこと尺許り、金光人を射る。

 費密は(楊展と副将の大丈夫だよ、という言葉を)疑わないことが出来ず、明々と灯りをともし、剣を手にしてベッドの帳の中できちんと座っていました。すると三鼓(夜中の1時前後)の後、下の階から「こつこつ」という音がして、怪しいものが階段を上がってきました。灯りに照らしてこいつを見てみると、頭や顔はありますが眉や目がなく、束ねた枯れ柴のようで、帳の前で直立しています。費密が剣を抜いて切りつけると、その怪しいものはひょいひょいと何歩か退いて、くるっと身を翻して走り出します。その時一つの眼が縦に背中にあらわれます。目の長さは一尺ほど、金色のビームが出て、人に向かって発射されます。
帳のあるベッドの図。韓邦慶『海上花列伝』挿絵より

漸く行きて楊将軍の臥所に至り、其の帳を掲げ、背を転じて光を放ちて之を射る。忽ち将軍の両つの鼻孔の中より、亦白気二條有るを見る。怪の吐く光と相抵拒(ていきょ)を為す。白気愈(いよいよ)大に、則ち金光愈小に、旋滾(せんこん)して楼下に至りて滅す。楊将軍終に知らざるなり。

 怪しいものはしばらくうろうろしてから楊展将軍の寝所に入り、帳を掲げてくるっと背を向け、光を浴びせかけました。すると忽ち、楊展の鼻の穴から、二筋の白気があらわれ、怪しいものの眼が発する光とせめぎ合いました。白気はますます強く、金光はますます弱くなり、怪しいものはよたよたふらふらしながら階下に逃げて行き、消えてしまいましたが、その間楊展はぐっすり寝ていて、全く気づきませんでした。

未だ幾ならずして、又た梯の響くを聞き、怪仍(かさ)ねて楼を上り、李副将の所に趨る。副将方に熟睡し、鼾声雷の如し。費以為(おもえ)らく、彼更に勇猛なれば、尤も虞ること無かるべし、と。忽ち大叫すること一声を聞く、之を視れば、七竅より流血して死す。

 それからいくらもたたないうちに、また階段をのぼる音がしました。怪しいものはまた階上にやってきて、今度は李副将の寝所に走ります。副将も熟睡中で、雷のような鼾をかいています。費密は思いました。「李副将はもっと勇猛なのだから、心配はないだろう。」ところが「ぎゃああ」と絶叫があがり、見に行ってみると、李副将は頭にある七つの穴(眼・耳・鼻・口)から血を流して死んでいました。
 ここで「おや」と思うのは、費密の「彼更に勇猛なれば、尤も虞ること無かるべし」という言葉です。つまり青年費密は、楊展よりも李副将の方が勇猛で人物も大きいと考えていたことになります。中国の怪異小説には「鬼はえらい人・えらくなる人には手出しが出来ない」という話があります。大抵「えらい人」がまだ若く地位も何もない時に鬼に遭遇して、鬼の反応から自分が将来「えらい人」になることを知る、という粗筋なのですが、この話もその一つのようです。費密が内心「李副将よりたいしたことない奴だ」と思っていた楊展は、寝たまま鼻から白気を出して鬼を撃退してしまいました。楊展は、殺人鬼張献忠を成都から追い出し、決定的に没落させたことで歴史に名を残しました(しかし張献忠の息の根を止める前に、味方の裏切りにあって非業の死を遂げます)。費密から見て総大将より勇猛に見えた李副将は、あっさり鬼に殺されてしまいました。そして費密は、鬼に遭うのを恐れ、剣を握りしめてコチコチに緊張していましたが、彼が剣を振り回すと、鬼はあっさり逃げていきました。費密はその後、王士禎に詩を褒められ、『清史稿』にも立伝され、Wikipedia(中国語版 https://zh.wikipedia.org/zh-tw/%E8%B4%B9%E5%AF%86にも項目が立つ大学者になったのでした。
 若い費密には、まだ周囲の大人の、そして自分の真価が見えていない、見えていないけれど真価はある、そこがこの話の面白いところのような気がします。

 さて「眼から何か出る」の件ですが、この怪人の目は顔にではなく、背中についており、その上長さが30センチもあって、縦についています。このような怪人の話は未だに読んだ事がありません。とりあえず手元の『山海経』を見てみましたが、これと同じようなものは見つかりませんでした。「枯柴一段の如し」というテクスチャは、ジブリアニメ『もののけ姫』に出てくるタタリ神を乾燥させたような感じですが、やはり類例が思いつきません。
 『聊斎志異』には、于七の乱(順治5年~18年にかけて山東省を席巻した農民叛乱)の大虐殺の後には、「野狗」という妖怪が死屍累々の山中を徘徊して、死者の脳を吸う話があります。『蜀碧』にも野狗に似たような死者の脳を吸う怪物があらわれたことが見えます。これらは一人の怨霊というものでは到底間にあわない、集団的な怨念のようです。
 それにしても成都からほど近い三星堆からは、「縦目」のブロンズ像が出土しています。あらためて見てみると、この瞳から伸びる何かが「金光」に見えてきます。これらの神像が、「奇鬼眼生背上」の怪人と何かつながりがあったら面白いなあと思います。

 

参考文献:

彭遵泗、朱子素、王秀楚著、松枝茂夫訳『蜀碧・嘉定屠城紀略・揚州十日記』(平凡社東洋文庫 1965年)
黒田真美子・福田素子『閲微草堂筆記 子不語 続子不語』(明治書院 2008年)「奇鬼眼生背上」注

(ふくだ・もとこ 聖学院大学非常勤講師)

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