「中国古典小説研究会」について
◇会のあらまし
1986年8月に、当時の若手研究者たちが呼びかけ人となり、中国古典小説を研究対象とする研究者が集まって、2泊3日の合宿が開かれました。それをもって発足したのが中国古典小説研究会です。つまり、この研究会は規模こそそれほど大きくはないものの、既に40年近い歴史があります。
発足から10年弱の間は、呼びかけ人の一人だった大塚秀高氏が中心となって別に作った「『中国古典小説研究動態』刊行会」が出す同人雑誌『中国古典小説研究動態』に会での研究成果を発表できるようにした上で、規約も役員組織も定めないゆるやかな集いとして、順調に会員を増やしてゆきました。その後、1995年に中国古典小説研究会の刊行する査読付き雑誌として『中国古典小説研究』を創刊した上で(これに先立って『中国古典小説研究動態』は第7号で終刊となり、同刊行会も解散しました)、初めて会則を定め、役員も置くことになりました。
それ以降は、中国の古典小説及び関連する研究を行う会員相互の親睦を目的として、年1回の大会の開催や、会誌『中国古典小説研究』の刊行、不定期での例会の開催、といった活動を続けています。もともと当時の若手研究者を中心に発足した会だということもあって、会長はこの手の会の代表者にしては比較的若い、40代の研究者が務めることが多くなっています。会長は大塚秀高氏、鈴木陽一氏、金文京氏、岡崎由美氏、笹倉一広氏、中川諭氏、竹内真彦氏と移り変わり、2025年5月からは筆者こと上原究一が担当しています。
まだインターネットも携帯電話もなかった時代に本研究会が発足し、若手研究者が所属大学の垣根を超えて研究上の関心や問題意識を語り合う場となったことの意義は、とても大きなものだったと聞き及んでいます。もっとも、ネットやケータイがあることが当たり前になっていた2003年に修士課程の大学院生として入会した筆者は、会の草創期を直に体験してはいません。そうした時期のことについては、発足から15年目に書かれた中里見敬「中国古典小説研究会の紹介」(『日本中国学会便り』2001年度第2号)や、本研究会の30周年を記念した国際シンポジウムでの報告にもとづく大塚秀高「中国古典小説研究会誕生のころ──あわせて『中国古典小説研究動態』刊行会について」(『アジア遊学218 中国古典小説研究の未来──21世紀への回顧と展望』、勉誠出版、2018)といった文章で、既に詳しく紹介されています。そこで、以下では近年の活動状況を中心にご紹介したいと思います。
◇「古典小説研究」の視野
ひとくちに中国古典小説と言っても、六朝志怪や唐代伝奇や清代の『聊斎志異』のような文言文(文語体の文章。いわゆる漢文の文体)で書かれたものもあれば、四大奇書や『紅楼夢』に代表される白話文(口語体の文章)で書かれたものもあって、時代も内容も長さも非常に多岐に渡りますが、本会は清朝以前のものであれば、文言小説も白話小説も、短篇も長篇も、いずれも対象としています。
それだけではなく、古典演劇や語り物の研究についても、「関連する研究」だということで歓迎しています。伝統的な通俗文芸の世界では、物語や信仰や価値観がそうしたジャンルの枠を超えて共有されていて、互いに影響を与え合いながら作品が生み出され、更には作り変えられ続けていました。ですから、「古典小説研究会」と名乗っているからといって、小説だけをやっていればいいという訳にはいかないのです。
本会のホームページhttps://zgxy.main.jp/で『中国古典小説研究』各号の目次や大会・例会の発表題目をご覧頂ければ、扱う対象が非常にバリエーションに富んでいることがお分かり頂けるでしょう。
◇大会開催形式の変遷
本研究会の大会は、もともと2泊3日の合宿形式で、全国各地の大学の宿泊施設や旅館などで開催していました。昼間の研究発表だけではなく、深夜まで大勢で飲み食いしながら語り合えるというのは素晴らしい利点で、この研究会の大きな特徴でもありました。
ところが、2000年代の後半あたりから、合宿への参加率や、新規会員の加入数が徐々に低迷するようになってきてしまいました。旅館での開催だと学生やオーバードクターには費用の負担が重くて参加しづらいという声が寄せられるようになってもいましたから、長期に及んだ景気の低迷や、深刻化の一途をたどった若手研究者の就職難の影響が大きかったのでしょう。そうした実情に鑑みて、2010年代以降の大会は、昼間の研究発表の時だけ大学の教室に集まる形式──要するに一般的な学会と変わらない形──にして、日程も1日だけとなることが多くなっています。
更に、コロナ禍に見舞われた2020年から2022年にかけては、大会はオンラインのみでの開催とせざるを得ませんでした。対面での大会開催を再開した2023年からは、Zoomによるオンラインとのハイブリッド形式を導入しています。それによってより多くの会員が参加しやすくなったのは大いに好ましいことなのですが、その一方でオンライン参加ではどうしてもただ発表を聞くだけになってしまいがちで、合宿形式で開催していた頃のような親密な交流には繋がりにくいきらいもあります。より多くの会員が気軽に参加できて、なおかつ活発に交流も深められるような開催形態の模索を続けているところです。
また、合宿形式か学会形式かを問わず、大会が他の研究会とのコラボ開催となったことや、中国の研究者がまとまって大会にゲスト参加したことが何度かあって、会員間の相互交流のみに止まらない研究者間の幅広い交流の場であり続けるべく努めています。
因みに、2018年度には9月初旬に2日間連続で開催する予定だった大会が関西地方を直撃した台風21号の影響で1日だけに短縮せざるを得なくなったり、2024年度には8月下旬にハイブリッド形式で開催予定だった大会が台風10号の影響でオンラインのみでの開催に切り替えを余儀なくされたりと、近年はしばしば台風に泣かされてしまってもいます。会員の多くが所属している別の大規模な学会では、10月上旬の大会が台風の直撃によって中止に追いこまれてしまった年もありました。中国古典小説の研究などというおよそ浮世離れしたことをやっていても、社会情勢や気候変動の影響は避けられないようです。
◇公開シンポジウムの試み
年に一度の大会の他に、準備が整うごとに随時開催する例会もあります。例会の開催頻度や形式は時期によって大会以上に大きく変わっていますが、大会が合宿形式ではなくなってからは、大会を首都圏で開催した年度は京阪で関西例会を行い、首都圏以外の地域で行った年には首都圏で関東例会を開く、というケースが多くなっています。もちろんこちらも現在ではオンラインとのハイブリッド形式にしています。
また、近年は非会員も参加可能な公開シンポジウムの形で開催して、研究者ではない一般の方々に中国古典小説の魅力をお伝えすることも試みています。
例えば、2019年3月の関東例会では、午前中は会員のみが参加する研究発表にあてた上で、午後に「中国古典白話文芸の再生~翻訳・翻案の歴史・現状・展望~」と題する公開シンポジウムを開催しました。このシンポジウムでは、いずれも会員が翻訳を手掛けた田中智行訳『新訳金瓶梅』(鳥影社、全3巻、2018~2025年)、二階堂善弘監訳・山下一夫・中塚亮・二ノ宮聡訳『全訳封神演義』(勉誠出版、全4巻、2017~2018年)、後藤裕也・西川芳樹・林雅清訳『中国古典名劇選』(東方書店、2016年。その後、訳者を増やしながらⅡとⅢの2冊も既刊)、岡崎由美・松浦智子訳『完訳楊家将演義』(勉誠出版、全2巻、2015年)の各書をめぐるトークセッションを行いました。更に、現代中国小説の翻訳家である泉京鹿氏のご講演や、中国もの作品を数多く手掛けられている漫画家の青木朋氏と滝口琳々氏らをゲストに迎えてのトークセッションも設けて、「中国文芸」と「翻訳」、そしてそれらを踏まえた「翻案」「創作」などの視点から、日本における中国古典白話文芸の受容・展開について討論しました。翻訳をめぐる問題意識やさまざまな裏話は、研究者にとって大いに参考になるものであったばかりでなく、一般の方々にも楽しんで聞いて頂けたようです。これらのトークセッションの中身は、『中国古典小説研究』第23号(2021年)に文章化して掲載しています。
また、2025年3月の関西例会は、全体を「『中国古典小説のここが面白い!』第1回「研究者、推し作品を語る」」と題する公開シンポジウムとしました。これは堅苦しい研究発表ではなく、9人の研究者が各自20分の持ち時間の中で自分の「推し」である中国古典小説のどこがどう好きなのかを最大限にアピールし、聴衆との質疑応答を通じて推し作品への思いを共有しよう、という企画です。50人ほどが参加した会場では会員と非会員がほぼ半々で、オンラインでも常時150人前後の接続があるという盛況でした。会場では非会員の方も歓迎しての懇親会も行いましたが、そこでも会員と非会員の人数がほぼ拮抗して、研究者と一般の方が「推し」や「好き」を語り合う楽しいひとときとなりました。
因みに、この時の発表者9人は全員が会員でしたが、30代から60代までの各年代が2人ずついて(40代のみ3人いました)、男女比も5:4と、特に意識した訳でもないのですが、年齢もジェンダーも非常にバランスの取れた構成となっていました。また、これもまったくの偶然で後から気付いたことなのですが、なんと9人とも学部の際の出身大学が違っていたようです(出身大学院は同じだとか、指導教員と教え子の間柄だったとかいった組み合わせはいくつかありますが)。こうした会員の多様性は、発足当初からの良き伝統です。
今後も2025年9月14日(祝)に公開シンポジウム「『中国古典小説のここが面白い!』第2回「研究者、推しキャラクターを語る」」の開催を予定しており、準備が整い次第詳細を公開いたしますので、会のホームページや公式X(旧Twitter)をご覧頂ければと存じます。
◇「面白いのか?」から「面白い!」へ
先に触れた中里見敬「中国古典小説研究会の紹介」によると、最初の合宿では呼びかけ人のお一人であった今西凱夫氏から、「中国の小説のどこがおもしろいのか」という問題提起があったそうです(9頁)。また、『中国古典小説研究』第11号(2006年)に掲載されている、会の草創期から活躍された日下みどり氏への追悼文である鈴木陽一「中国の小説は面白いのか?──日下みどりさんが私たちに問いかけたこと」では、「但し、私たちの世代を含めたほとんどの日本人或いは日本語を母語とする人間は、西欧近代文学の翻訳とその影響下に成立した日本の近現代文学を読書の核として育ってきたし、そこで培われた文学観、美意識、倫理観から一歩も出ることはできないことを常に肝に銘じておく必要がある」(102頁)と述べられています。
ですが、ちょうど鈴木氏の子供くらいの世代に当たる筆者は、幼少期から中国古典小説にもとづいた漫画やテレビゲームに親しみ、その流れで読み始めた中国古典小説の翻訳を読書の核として育ってきたと自任しています。正直に告白すると、筆者は西欧近代文学も日本の近現代文学もそもそもろくに読みもしないまま、当たり前に面白くてたまらない中国の古典小説を研究しようと中国文学研究室の門を叩いたのです。程度の差はあれ、これは中堅以下の世代の会員においては、決して筆者のみに当てはまる話ではないでしょう。また、中国語圏からの留学生の会員も年々増え続けています。
そうした変化に伴って、会員の「文学観、美意識、倫理観」や研究上の問題意識も、会の草創期とは大きく変わってきているように思われます。発足15年目の時点で、筆者と鈴木氏のちょうど中ほどの世代の中里見氏は、大上段に構えすぎなきらいがあると自ら認めつつも、「これまでの文学研究が、文学至上主義とでもいうべき価値観、実は近代国民国家やロマン主義、リアリズムといった歴史的な価値観を前提としていたのに対して、ここ10年あまりの古典小説研究はそうした価値観によって排除されてきたものの中に、広大な中国の物語世界の鉱脈を再発見してきたのである」(9頁)と述べていました。そこから更に四半世紀近くを経て、本研究会は発足当初には「面白いのか?」と自問自答しながら研究していた中国古典小説を、ついに「ここが面白い!」と堂々と銘打って一般向けに紹介できるようになったのです。
とはいえ、西欧近代文学の翻訳や日本の近現代文学を飛び越えて中国古典小説の翻訳に親しむことができるような環境が整っていること自体、本研究会の創設以前からの長い長い研究の積み重ねがあればこそです。草創期の苦悩にも思いを馳せながら、次世代にバトンを渡し続けてゆけるように、本研究会の活動を続けていく所存です。
*本会ホームページ :https://zgxy.main.jp/index.html
*公式X(旧Twitter) :https://twitter.com/ZXiaoshuo?ref_src=twsrc%5Etfw
(中国古典小説研究会会長 上原 究一)