![]() (6)包山楚墓竹簡 |
近年、中国古代を研究する者にとって、絶好の機会が到来している。甲骨文・金文資料に加えて、竹簡や帛書などの大量の一次資料が次々と発見・整理されているためである。19世紀末以降、敦煌文書や居延漢簡をはじめ、長沙の馬王堆帛書・山東の銀雀山漢簡など、社会の実相や人々の思想・文化を検討する上で重要な文献が陸続と出土している。中でも特に、戦国期の楚国と密接に関わる竹簡(いわゆる楚簡)の発見は膨大な数に上り、内容も卜筮祭禱記録や行政文書から、経書や歴史書などの典籍に至るまで極めて多岐に渡っている。そのため、興味関心があっても、一体どこから手を付ければよいのか、どのような資料に目を通せばよいのか、インターネット上の論壇に掲載された札記も含めて先行研究が氾濫する中で、困惑することも多かった。
その様な状況の中、「陳偉・彭浩主編『楚地出土戦国簡冊合集』全6冊(文物出版社)」が出版された。本書には「教育部哲学社会科学研究重大課題攻関項目“楚簡綜合整理与研究”」の成果が収録されており、2009年に刊行された『楚地出土戦国簡冊[十四種]』(陳偉等著、経済科学出版社)を元に、大幅に増補改訂が加えられ、各楚墓(竹簡群)ごとに分冊形式で出版されている。
本シリーズ全6冊の書誌情報を挙げれば、次の通りである。
本シリーズには、湖北省・河南省に跨がる戦国期の楚国の支配領域から出土した竹簡の釈文と図版とが収められている。具体的には、湖北の郭店楚墓・曾侯乙墓・望山楚墓・曹家崗楚墓・九店楚墓・包山楚墓、河南の葛陵楚墓・長台関楚墓の8つの墓葬より出土した竹簡群が掲載されている。ここでは紙幅の関係上、各分冊に収められた内容を逐一取り上げて紹介することはできないが、評者の興味に従って、本シリーズ全体の意義と留意点とを述べてみたい。
各分冊冒頭に見える陳偉氏の「序言」にも示されているが、本シリーズの意義としては、まず、最新の赤外線技術を用いて撮影された画像を活用し、また膨大な先行研究を利用して、竹簡の綴合から釈読までを再検討している点があげられよう。釈文・注釈には、各分冊が出版された時点における注目すべき最新の研究が取り入れられており、これまでの研究状況を概観できる。特に、本シリーズに収載された文献(葛陵楚墓竹簡・望山楚墓竹簡・九店楚墓竹書・包山楚墓竹簡)の中には、卜筮祭禱簡や日書の類いが数多く含まれている。これらは、近隣の地より出土した「睡虎地秦簡」の日書や、その他の卜筮祭禱簡との比較研究に有益な情報を提供するものであると言える。
また、評者の関心から言えば、儒家や道家関連の思想文献が含まれた郭店楚墓竹簡(郭店楚簡)の釈文及び図版が整理されたことは大変有り難い。葭森健介氏らは、「『老子』には「六親が和やかでないと孝慈が尊重され、国家が混乱すると忠臣が尊重される」(18章)とあり、君臣道徳を忠と称することが見える。孝が子の父に対する、慈が親の子に対する徳目である家族道徳とされるが、忠が臣の君に対する徳目の称呼に用いられた初期の例かと思われる。」(『中国思想文化事典』東京大学出版会、2001年7月所収 「忠・孝」の項目)と述べているが、戦国期の竹簡である郭店楚簡『老子』の当該箇所は「忠臣」ではなく、「正臣」と記されており、前漢期の馬王堆帛書『老子』甲本・乙本では、当該箇所が「貞臣」と記されている。一方、同じく郭店楚簡の『魯穆公問子思』には「何如なれば忠臣と謂うべきか。」と記述され、また郭店楚簡『六徳』にも「忠とは、臣の徳なり。」と述べられている通り、君臣道徳を示す「忠」概念は、確かに戦国中期には見られたことが分かる。ただし、上記の内容を考慮すれば、それは道家系の文献ではなく、やはり儒家系の文献から生じた思考であったと捉えるべきであろう。各楚墓より出土した全竹簡を、丹念に整理・再検討した本シリーズのような書籍が出版されたからこそ、思想や概念の変遷を見直すことも可能となるのである。
さらにもう一点、思想方面から見れば、墨家関連(あるいは儒家関連とも言われる)の文献が含まれている長台関楚墓竹簡の釈文・図版が整理され、再検討されたことも注目される。長台関楚墓竹簡には断簡が多く、踏み込んだ内容について考察することが難しい状況ではあるが、近年、当該文献と類似する内容を持つ、新たな戦国簡「安徽大学蔵戦国竹簡(安大簡)」が発見された。安大簡の残存状況は比較的良好であるようだが(2024年8月段階で、当該文献は未公開)、安大簡は正規の発掘作業を経て出土した竹簡ではなく、いわゆる盗掘によって世に現れた出土地不明の竹簡群である。そのため、長台関楚墓竹簡と安大簡は互いに補完し得る重要な資料であり、長台関楚墓竹簡の整理・検討が、今後の古代思想史研究の発展にも大いに資するものと考えられる。
最後に、本書の留意点について述べておきたい。本シリーズは横書きの本文に合わせて、縦書きの竹簡図版が、左から右へと順番に掲載されているため、少々読みにくい。図版だけは、右から左方向へ読む縦書き方式で掲載しても良かったのではなかろうか。また、『楚地出土戦国簡冊[十四種]』には掲載されていたにもかかわらず、本シリーズには、湖南出土の諸簡(五里牌四〇六号墓簡冊・仰天湖二五号墓簡冊・楊家湾六号墓簡冊・夕陽坡二号墓簡冊)が収録されていない。たとえ大量の断簡が含まれていたとしても、研究の便を考えれば、合わせて載録して欲しかった。
司法文書や典籍、卜筮祭禱簡や遣策(副葬品リスト)に至るまで、本シリーズには多方面に渡る貴重な一次資料と研究成果が収められている。陳偉氏は「序言」において、出土地が明確な簡冊のみを取り上げる、という本書の研究対象選定の方針を示しているが、墓葬から出土した確かな資料を精密に整理し検討し直した本シリーズが、極めて高い価値を有することは間違いない。これらは、近年、続々と公開されている出土地不明の竹簡群(上海博物館蔵戦国楚竹書・清華大学蔵戦国竹簡・安大簡・岳麓書院蔵秦簡など)の時代性や地域性を再考する上で重要な情報を提供すると共に、今後の古代史研究の推進にも大いに寄与するものと期待される。
(なかむら・みき 福岡大学)
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