中国古版画散策 第九十一回

投稿者: | 2024年4月15日

『西廂記』の挿絵(下)-3
時代と地域で多様に変貌する挿絵

瀧本 弘之

 前回は、「草橋驚夢」までを、主として内閣文庫の熊龍峰本を中心に説明してきた。張君瑞と崔鶯鶯は結婚を許されるが、その条件として君瑞の科挙合格が命じられ、二人は一時の別れをしなければならず、その離別の次にこの場面が出てきた。
 草橋は草橋店の略。君瑞はここに旅亭を見つけて宿を取り、夜になって眠りにつくと、夢に崔鶯鶯を追いかけてくる一団が出現した。友人の杜確将軍に退治されたはず孫飛虎の手下が、鶯鶯を連れ戻しにくる。鶯鶯は、毅然としてこれらの盗賊に対峙している図を前回は提示した。幸いこれは夢だったのだが、君瑞の思いがあまりに深いため、こんな夢が出現したのだ。
 次いで出てくる図は、「泥金捷報」(図1)。つまり君瑞が科挙にめでたく合格したという便りが鶯鶯に届くところだ。「泥金」は「金泥」と同じで、金粉で塗り飾った手紙によって科挙の及第を知らせるということ。

図1 「泥金捷報」(内閣文庫熊龍峰本)

 図を見ると、その手紙などを担いだ琴童が鶯鶯の待つ普救寺に到着するところを描いている。部屋の中では、知らせを心待ちにしている主人公鶯鶯が思案顔でまだ気が付かない様子だ。鶯鶯は君瑞と別れてから体の具合が優れず、やせ細ってしまった。椅子にもたれて物憂げな様子にそれが表現されている。紅娘がおりしも簾を巻きあげているが、それが画面に動きを与えている。琴童が肩に担いでいるのは、大きな傘のようだ。背中に荷物を背負って急ぎ足でやってくる。主人が科挙に合格して仕官したことを知らせる金泥の手紙を持っているのだ。
 ところで、内閣本にはこのあとの図が(失われたのか)ないが、「兄弟本」の古本戯曲叢刊の第一集のものにははっきりと掲載されている(図2)。その「尺素成愁」には、君瑞が手紙を読んでいるところが描かれている。「尺素」は手紙のことだ。ここは君瑞の元に、鶯鶯からの返事の手紙が届いたばかり。鶯鶯は、次のものを琴童に預けて、君瑞に届けさせたのだ。
 鶯鶯曰く「紅娘、筆と硯を持っておいで。(紅娘、持参する)ふみはしたためたが、あたしの気もちを示すすべもない。ここに汗衫が一枚、腹巻が一つ、靴下一足、瑤琴一さお、玉簪一本と斑竹の筆が一本あります。琴童さん、大事にしまっておいとくれ。紅娘、銀子十両を持って来て路用にあげてちょうだい。」(田中謙二訳、平凡社中国古典文学大系52巻『西廂記』より)
 これだけの荷物をわざわざ持たせ、その上懇切な手紙を付けて都に戻るように仕向けたのだ。それぞれの持ち物にいちいち深い意味がある。この汗衫は、「もしもまる寝のときあれば一つ衾(ふすま)に寝ぬるもおなじ/もしも肌にまとうならわが柔肌をおぼえましょう」。玉簪は「もとよりわらわにいわれあり/いまし功名遂げたれば 頭のうしろに棄てんしんぱい」。これは少し説明がいるだろう。常に頭に付けている簪で、捨ててはいけない私を思ってほしい、という意味だろう。その他の説明は省略する。詳しくは、上掲書をご覧あれ。

図2 「尺素成愁」(古本戯曲叢刊本)

■突然現れた競争相手

 その次が「詭謀求配」。詭謀とは、だまして人をおとしいれようとする計略。嘘をついて鶯鶯と夫婦になろうという謀略だ。最後の最後に「噂の男」、つまり母親がいいなづけにしていた従兄が出現したのだ。しかもこの鄭恒という男、悪賢いことに、鶯鶯の母親に君瑞が都・長安で、尚書(総理大臣)の婿としてその娘と結婚してしまったと嘘をつく。母親はこれに乗せられ騙されかかるが、紅娘は信じない。そこに法本和尚と杜確将軍も、張君瑞が科挙に合格したのみならず河中府(普救寺のある地域)の尹(長官)という官職に任ぜられ帰還した祝いに駆けつける。紅娘、鶯鶯、母親らも出そろい、皆の前で鄭恒と対決した君瑞はその嘘を暴き、偽りものを成敗すると宣言する。鄭恒は自らの運命を悟り「まま、しかたがねぇ。おいら命なんかいるもんか。木に頭をぶっつけて死んじまおう。『嫁取り争いくたびれもうけ……無常の風吹けばそれまでさ』」(上掲田中訳)と退場する。ここで彼が自殺したことになる(そのシーン自体は描かれない。木に頭…には典拠がある。『趙氏孤児』等に登場する刺客・鉏麑(そげい・しょげい)が自分の非を悟って木に頭をぶつけて死んだ故事による)。続いて、大団円となる。
 そこの部分の挿絵をいくつかの版本で比べたい。

図3 「詭謀求配」右は古典戯曲叢刊のもの。左が内閣文庫の熊龍峰本。よく似ているが細部は微妙に違っている。紅娘が鄭恒を遮っているところ。

■時代によって次第に藝術的な表現に変化

 以下に三種類の西廂記版本の「大団円」部分の挿絵を掲載してみた。その風格の違いに驚くだろう。その理由は、時代・地域・書肆・刻工・画工それぞれの違いによるけれども、時代が爛熟して明末に近づくにしたがって、具体的で明確な表現が、高雅で流麗に「文人好み」へと変化していくようだ。時間的には早い、万暦刊本の古本戯曲叢刊の挿絵は、必要な登場人物を忠実に表現して画面に入れ込んでいる。室内には、右端に鶯鶯、隣に母親、その前に欄干から乗り出しているお茶目な紅娘、外には官位を得た君瑞が正装して立ち、和尚と杜確将軍が対面している。所狭しと人物が配置されるも、画面には整然とした印象がある。
 これに比べると凌濛初刻本は、最も遅くに刊行された。凌濛初は文人であるから、簡略と文人画的な全体像を目指している。人物が画面の邪魔にならないように小さく表現されているが、室内には君瑞と鶯鶯のほかに紅娘、母親、そして小さな弟も描かれる。外には和尚、そして琴童が手に宴会用の食物を捧げ、子羊を連れて酒壺を担いだ者も歩いている。これから祝宴が始まるのだろう。寺の回廊も細密画のように格子が揃っている。最後の部分には作画者・王文衡の名前が篆書で示され、彼の号だろうか「青城」と印章も添えられている。彼は凌刻本のほとんどを手掛けた名画工である。
 最後の横長画面の蕭騰鴻刻本(図6)は、画工の名前は熊蓮泉、刻工は劉次泉である。この福建の著名書肆が出した六種類の戯曲本シリーズは、作品から離脱して最も文人画世界にスライドしていった作風が色濃くみられ、凌刻本と双璧だろう。それまでの、雄渾で具体性に富んだ金陵派風から、湖州・福建方面の繊細・高雅な、個性際立つ作風がにじみ出ている。

図4 「衣錦還郷」古本戯曲叢刊本(金陵)
図5 凌濛初刻本「張君瑞慶団園」(湖州)
図6 蕭騰鴻刻本『西廂記』(傅惜華『中国古典文学版画選集』上 上海人民美術出版社 1981)

 以上、各種版本の比較を述べてみた。最後に「真打」ともいうべき我が内閣文庫の琵琶記との合体本『北西廂記』の「衣錦還郷」をお目にかける。これは上の各種版本と同じ場面を表現しているが、文字の表現を忠実に追い、かつ無駄なく内容を克明に絵画化している点で大変優れている。右側には、母親と紅娘の間に崔鶯鶯を描き(二人とも豪華な髪飾りを付けている、紅娘にはない)、それに対して後ろ向きの弟、中心に近いところに張君瑞(建築物の対角線上に主人公が立つという工夫がなされている)、その隣には杜確将軍、後ろの法本和尚との間には、酒樽らしきものを担いだ従者が二匹の子羊を連れている。この絵を見ると、凌濛初本の絵では小さくてはっきりしなかった子羊の姿がはっきりと見える。その後ろの楽隊は数本の管楽器と太鼓でにぎやかな音楽を演奏して、ふんいきを盛り上げている。
 この内閣本の琵琶記合体本『北西廂記』の画風は、金陵で刊行された万暦時代(万暦26、1598)の傑作と言ってよいだろう。画風は金陵にはもともとなかった、いわゆる「徽派」で、人物はだれも卵型のにこやかな表情に描かれ、みな微笑んでいるようだ。これは安徽の黄氏刻工が各地に分散してその「徽派風格」を伝播させ、その影響下に金陵派の質実で力強い画風が一変したのである。ただしその風格にはわずかに金陵地域の持ち味であった質実な要素が残り、必要以上に文人的にならない「程よいブレンドの味わい」が見られる。個人的にはこの画風が最も好ましい。実はこの絵は、天理図書館秘蔵の『北西廂記』「衣錦還郷」(劉次泉刻)と瓜二つだ。それについてはまた論じることがあるだろう。
 次回は、崔鶯鶯を描いた傑出した肖像画について論じたい。

図7 北西廂記「衣錦還郷」『日本所蔵稀見中国戯曲文献叢刊』第一輯(広西師範大学出版社、2006年)

(たきもと・ひろゆき 著述家、中国版画研究家)

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