中国蔵書家のはなし 第一九回

投稿者: | 2021年6月17日

陳澄中と潘宗周(上)

髙橋 智

 

 既に17年も前のことになるが、2004年11月4日~6日、北京昆侖飯店に於いて当時最大の古典籍オークションが開かれた。ひと月も前から送られてきた予告を見ると大変な出物があったので、その10月に開かれた上海図書館の会議の席上、当時国家図書館副館長であった陳力氏にその予告の内容を知らせたところ、氏は驚きすぐに北京の当局に電話をし、その出品物の購入準備を指示していたのが、私の印象に強く遺っている。中国の国家文物は、民族共有のものであるが、とりわけ貴重なものについては、やはり何処の館が所蔵するか、競争じみた感覚は否めないものがある。
 その数年前、2000年の頃、常熟翁氏の蔵書で、翁同龢(1830~1904)以来、秘して明らかでなかった善本が売買されたとき、その値の高額たること尋常ではなく、資金の準備に費やす時間との闘いで、競合の結果、上海図書館の所蔵に帰したことがあった。その善本は、孤本の宋刊本8種を含む総計80種の秘本であったから、この収蔵を遂げた上海図書館の佳話は天下を驚かせた。

 今回は、宋刊孤本を含む23種の善本である。陳力氏は任継愈館長の支持を得て、国家財政部の協力を得ることができた。そこで、この善本は一括して国家図書館善本庫の収蔵するところとなった。これが、陳澄中の蔵書である。
陳澄中は1894~1978の生卒、銀行家であった。『書誌学のすすめ』「書物と旅」の項目で述べたことがある。名は清華、澄中は字。湖南省祁陽の人であるが、生まれは江蘇省揚州という。やはり書香の風を身に付けていたのであろう。上海復旦大学を卒業後、アメリカバークレイに留学。経済学を修め、帰国後銀行家となり、1930年代には銀行の総経理として活躍した。そしてこの頃から、善本の収蔵が始まった。それは、当時、活発な宋元版蒐集活動を行っていた潘宗周の影響があったとされる。勿論、北方天津には周叔弢(1891~1984)が善本蒐集第一を誇っていたが、潘氏は一級の宋版を蒐集することで知られていた。後に陳氏はその良質の蔵書を称えられて南陳北周(南の陳澄中、北の周叔弢)と呼ばれたが、同時に、宋刊本の質では、陳氏と潘氏が双璧とされる誉れがあった。
 潘氏は1867~1939の生卒、広東南海の人で、字は明訓。事跡は、倫明『辛亥以来蔵書紀事詩』第一四二、徐信符『広東蔵書紀事詩』第五〇、王謇『続補蔵書紀事詩』に記載がある。上海にあってイギリス租界を管理した役人であるが、家産に富んでいた。蔵書室を「宝礼堂」という。二十数年の蒐集で精品の宋刊本100種余りを獲得しているから、どれだけの資産を注ぎ込んだかは、計り知れないものがある。こうした蔵書家は皆、清の黄丕烈(1763~1825)を模範とするが、潘氏も期するところはそこにあった。潘氏の少し前に宋刊本の収蔵を誇った袁克文(号は寒雲 1890~1931)は、父袁世凱(1859~1916)の死後、蔵書を手放すことにした。侫宋癖(宋版の収集にこだわる嗜好)のあった潘氏にはまさに格好のチャンスであり、袁氏から多くを引き継ぎ、それが「宝礼堂」中核をなすこととなった。袁氏もまた黄丕烈の後継を自認して、「後百宋一廛」(百宋一廛は黄丕烈の号、百種の宋版を自家に蔵する)と名乗った人であるからその蔵品も精緻を極め、これまた格好の後継者を得たわけである。なかでも、宋紹熙三年(1192)刊の三山黄唐本と呼ばれる『礼記正義』七〇巻(注疏本の嚆矢と言われる)は、袁氏から入手したものの白眉とされる。よって『礼記』の「礼」をとって「宝礼」を堂名としたのである。本書は、山東曲阜の孔子の故郷、孔府の旧蔵というだけあって、私は2009年国家図書館百周年記念展示の際に間近に拝見したが、まことに神聖な雰囲気を醸し出していた。潘氏自身、わざわざ刻工を探して本書を影刻、100部印刷しているほどである。因みにわが足利学校に伝わる宋刊本『礼記正義』(日本の国宝に指定)と同じものである。完本はこの二部しか遺っていない。徐信符の潘氏を詠んだ詩に言う。

百宋居然又一廛 緬懐蕘圃結良縁
桑皮潔白旋風装 宝宋相輝有後先

 黄丕烈(蕘圃)の事跡をまさに受け継ぎ、百の宋版を一堂に会することができた。『礼記正義』は厚手の白い料紙を用い、旋風装(胡蝶装)、すなわち宋代の装訂を有している(現在は改装)。
 潘氏はまた、自蔵の宋刊本百余部と元版若干部を解説した『宝礼堂宋本書録』を、張元済(1866~1959)の協力を得て編修出版している。ここに記された宋・元時代の国宝は、潘氏の死後、中日戦争の時上海にあったが、子孫の潘世茲(のち復旦大学教授)は、難を逃れるため英国に懇請して、香港の銀行金庫へと移送した。軍艦に護られての輸送であったという。戦後、周恩来・鄭振鐸・徐伯郊らの尽力によって、1951年に全て国家図書館(北京図書館)に寄贈することができた。北京図書館はこれによって善本室が更に充実し、善本目録には「潘捐」(潘氏の寄贈本)と記してその功績を永久に遺すこととしたのである。

潘宗周の宋本目録『潘氏宝礼堂宋本書録』の「礼記正義」の項、足利学校本に言及する。

(たかはし・さとし 慶應義塾大学)

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