中国古版画散策 第九十回

投稿者: | 2024年2月15日

『西廂記』の挿絵(下)-2
逢引は成功するが取り持った紅娘は折檻か

瀧本 弘之

図1 月下佳期 熊龍峰本(特に記載がない場合は以下同)
図2 堂前巧弁(辯)

 前回まで、両者の「床入り」への経緯を説明した。「月下佳期」(図1)はまさにその場面で、二人の睦みあうさまを猫が振り向いて見ているというところだった。夜ごと美女・崔鶯鶯が張珙(君瑞)のところにやってくることになり、これに日々共に過ごしている母親は気が付くということになる。はた目にも次第に女らしさが増し「このごろそれとなく鶯鶯のようすを見ていると、もの言いはうっとりとして、色つやもぐっと加わり、姿からだつきが以前とちごうてしもうた。こりゃきっとやらかしたに相違ない。」(中国古典文学大系『西廂記』田中謙二訳、以下同)どうも怪しいとにらんだ母親は、息子の歓郎に問いただすと「このまえの晩、母さまがおやすみになっていたとき、姉さまは紅娘とお祈りに出てゆき、しばらくたっても帰って来ませんでした。 ぼくはおうちに帰ってやすみましたけど。」という告白。
 歓郎によばれた紅娘がいう。「ぼっちゃま、あたしをお呼びなすったのは、なにかご用ですの。」歓郎「おまえが姉さまと花園に行ったことが母さまに知れ、いまから おまえを打つんだってさ。」この場面、絵を見ると「内閣文庫・熊龍峰本」には四人が登場しており、母親がひざまずく紅娘を追及し、傍に歓郎坊やが立ち、屏風の後ろから鶯鶯がこっそり覗いている(図2)。ところがこれが内閣文庫の「凌濛初本」では、画面に鶯鶯は登場せず、母親と紅娘、その前に立つ歓郎の三人(図3「老夫人問由情」)。しかも歓郎が長い棒状のものを手にしている。多分これが折檻のための棒なのだろう。旧時代、小間使いの仕置きは棒打ちだったのか。だがここでは紅娘は、棒打ちは免れるらしい。もっとも図2をよく見ると、母親が左手に長い棒状のものを抑え、両足で挟むように保持している。この折檻棒は、図3よりも頑丈で重そうだ。

図3 老夫人問由情(内閣・凌濛初本)

■紅娘の見事な弁論力

 母親が紅娘を問い詰める。その場面が、「堂前巧弁(辯)」だ。堂は「母堂」の堂だろう。母親の前で紅娘が巧みな理詰めの弁論を展開するのだ。このシーンは通称「拷紅」(カオホン・ごうこう)とよばれ、この戯曲のハイライトの一つだろう。拷は「拷問」の拷だ。紅娘を「拷」(肉体的苦痛を与えて何かを白状させること)しようというわけだ。ところが、本来目下の使用人である紅娘が、雇用主に対して堂々とその不合理を言い立ててやり込めるのだ。
 曰く、そもそもこの出来事の大元は、「賊による寺の包囲を解いた人物に崔鶯鶯を与えるとご母堂が約束したことを、後になって自ら故なく反古にしたため生じたもの。元凶はご自身の言行不一致にあるのです」と述べた。これには、母親も返す言葉なく、紅娘の堂々とした弁論に敗北して、娘と張君瑞の婚姻を認めることになった。しかしその条件として、張君瑞が科挙に合格することが課される。
 そこで二人はしばしの別れとなり、張君瑞は科挙に応ずるため都に上ることになる。別れに際して、酒を酌み交わす二人を描くのが「秋暮離懐」だ。ここの四人は、二人の主人公に加えて、右側に酒の入った瓶を持つ紅娘、左には馬を従えた琴童と分かりやすい。後ろの建物の線が交差してちょうど二人に焦点が合うように工夫されている。

図4 秋暮離懐

 その次が「草橋驚夢」、これは君瑞が都に上る途中、旅店で休んでいるときみた夢を描く。本の上に突っ伏した君瑞の頭から雲形が出て、その夢のシーンが描かれている。手にたいまつを持った賊(孫飛虎の手下)が追いかけてくる。そして鶯鶯を捕えて攫っていこうとしている。それはまさに夢だったのだが、鶯鶯を思う心がこの夢に現れたのだろうか。内閣文庫の『北西廂記』(陳大来本)では、横いっぱいの画面に迫力あるシーンが展開する(図6)。ここには供の琴童は登場せず、熟睡して夢に没入している張君瑞一人だけが描かれる。夢の中で、賊に毅然と向かう鶯鶯の後ろで、ただ手を握っている文弱そのものの君瑞がじれったく感じられる。熊龍峰本と陳大来本を比較すると、時期的には10年以上も後に出版された南京刊行の陳大来本の挿絵が藝術性においては勝っているといえる。しかし、福建・建陽の熊龍峰本に見られる、説話を愚直に著述する姿勢も捨てがたい。

図5 草橋驚夢
図6 「草橋驚夢」(琵琶記と合本になった内閣本の『北西廂記』の図)

 今回はここまでで、結末は次回に送りたい。
 最後に、この同じ場面を描いた珍しい版画をお目にかける。その版画の大元の原本は、西ドイツのケルンの博物館に保存されていて、ドイツでも相当以前に影印本が出され、中国では木版の復刻本が90年代初めに上海の朶雲軒(上海書画出版社)から出た。今では、中国でもその後天津や上海などでカラー印刷による紹介本が出ている。日本では知る人はわずかだ。私は1991年の夏上海美術館で行われた魯迅逝去55年の記念活動のために訪中したとき、朶雲軒の彫師の知人から木刻復刻の試印版のセットをプレゼントされた。88年に同所を取材した折に知己になったと記憶する。

図7 趣向を凝らした「草橋驚夢」の場面。『六玄西廂』挿絵の覆刻印本(著者蔵)

 下に大きなハマグリが描かれている(図7)。ハマグリは古漢語で「蜃」。伝説で蜃気楼を吐き出す動物として知られている。ここではひねった趣向の挿絵として、張君瑞の頭のなかの夢を蜃気楼に例えて表現したのだ。拡大図版(図8)を見ていただくと、人物構成はほぼ同じだが、孫飛虎から遣わされた追手が三人に増え、一人がたいまつ、一人が提灯、一人が刀を握っているのが分かる。そして蜃気楼らしく、右端には楼閣がうっすらと浮かび上がっている。左側の茅舎には、旗亭をしめす旗がなびきここが旅店(宿屋・酒亭)であることを描く(張君瑞が泊まっている宿と考えてよい)。咲いているのは梅の花だろうか。晩秋のはずなのにすこし時期が違う様だが、これは夢の表現だから構わないのだ。

図8 図7の部分拡大

 この『六玄西廂』(崇禎十三年、1640刊) 閔寓五(齊伋1580-?)本は、浙江・湖州で刊行されたいわゆる“閔刻本”の一種で、この地は凌・閔両氏が競って採算度外視の美麗で精巧秀麗な彩色本を出したことで知られる。この挿絵の翻刻を担当した呂清華氏は、私の主編する期刊に自らの刻工の経験に基づく論文を提供された。今からおよそ30年前である。往事茫々。

(たきもと・ひろゆき 著述家、中国版画研究家)

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