『中華を生んだ遊牧民』評 三宅舞佐志

投稿者: | 2023年12月15日
『中華を生んだ遊牧民』

中華を生んだ遊牧民
鮮卑拓跋の歴史


松下憲一
出版社:講談社
出版年:2023年5月
価格 1,870円

いま北朝史がアツい。北魏による華北統一(439年)から、隋による中華統一(589年)までの、中国の南北に王朝が並立していた時期を南北朝時代と呼び、そのうち華北に割拠した諸王朝を北朝と総称する。日本における認知度は決して高くないが、そんな北朝の歴史に関する書籍が続々と世に送り出されている。窪添慶文『北魏史――洛陽遷都の前と後』(東方書店、2020年)、会田大輔『南北朝時代――五胡十六国から隋の統一まで』(中央公論新社、2021年)、氣賀澤保規監修『現代語訳 北斉書』(勉誠出版、2021年)、平田陽一郎『隋――「流星王朝」の光芒』(中央公論新社、2023年)と、近年出版された北朝史関係書が自室に佇む書棚の一角を占めている。その諸書の間に本書はある。手に取りひもとくと、魅力的な章タイトルの数々が目に飛び込んでくる。

はじめに――分裂と夷狄・胡族の中国史
 第1章 拓跋部の故郷――遊牧と伝説
 第2章 部族を集めろ――「代国」の時代
 第3章 部族を再編せよ――北魏の成立
 第4章 中華の半分を手に――胡漢二重体制
 第5章 中華の中心へ――孝文帝の「漢化」
 第6章 胡漢融合への模索――繁栄と分裂
 第7章 誕生! 新たな中華――隋唐帝国の拓跋
 おわりに――なぜ中華文明は滅びないのか

本書は北魏の歴史をベースにしつつ、その前後の歴史を含めた「鮮卑拓跋史」を組み立てる。草原世界の遊牧民であった鮮卑拓跋が内モンゴル南部で部族国家を興してから、華北へ進出し北魏として南北朝時代の一翼を担い、彼らが築き上げた新しい中華がその後も継承されていく様相までが描かれる。ここに、王朝史というフレームワークに捉われない、本書のオリジナリティがある。「はじめに」でも述べられるように、①胡族国家(第1・2章)、②胡漢二重体制(第3・4章)、③中華王朝への転身(第5章)、④胡漢融合(第6・7章)という4つの大きな時代の流れに沿って、本書は拓跋の歴史をたどる。
 まず、①胡族国家(第1・2章)では、北魏立国の前夜にスポットが当てられる。特筆すべきは、北魏の前身となる代国が拓跋により建国されるまでの歴史を淡々と述べるのではなく、史料の解釈や批判というプロセスを随所で挟んでいく文章スタイルをとっている点である。たとえば第1章では、拓跋や北魏に関する基本史料である『魏書』の性格が示される。北魏を中華王朝に見せかけるため、『魏書』は編纂時に国家の遊牧的要素を極力削って記録したことを、近年発見された碑文との比較や最新の研究を踏まえて詳説する。『魏書』に書かれたことは必ずしも歴史的事実とは限らない、という史料批判の眼差しを最初に共有しておくことで、以降たびたび本書で行われる史料解釈を読者はスムーズに理解することが可能となる。
 次に、②胡漢二重体制(第3・4章)では、拓跋が国号を「代」から「魏」へと変更して北魏を建国し、その後に華北を統一するまでの歴史を追う。ここでは、北魏を中華王朝と遊牧王朝のどちらと見るか、という中国史上の勘所「部族解散」が取り扱われる。前章と同様に、史料と研究を実際に紹介しながら、問題をわかりやすく解説している。初代皇帝の道武帝が実施した「部族解散」は、決して旧来の部族連合体の解散ではなく、あくまで再編に過ぎなかったとし、そのことを墓誌などの出土史料によって裏付ける。彼らは北魏を打ち立ててからも、首都の西郊で天を祭る儀式(西郊祭天)や夏季における北の陰山への移動(却霜)など、依然として遊牧由来の習俗を多く保持していた。さらに碑文史料などを用いて、北魏前期に遊牧由来の官僚制度が漢族的な制度と併用されていたことに言及し、王朝が持っていた中華と遊牧の両面性を力説する。なお、「部族解散」や北魏の遊牧的官僚、「代」・「魏」の両国号をめぐる問題などについて、さらに詳しく知りたいと感じた読者には、同著者による『北魏胡族体制論』(北海道大学出版会、2007年)をおすすめしたい。
 そして、③中華王朝への転身(第5章)になると、世界史教科書でもおなじみの孝文帝による漢化政策の時代が到来する。文明太后の摂政期以降、北魏は中華王朝転身へと大きく舵を切った。この方針を引き継ぐ孝文帝は、南方の洛陽へ遷都し、さらに朝廷での胡語や胡服の禁止、胡姓から漢姓への変更など様々な改革を断行していく。一連の改革は、漢化政策として胡俗の消滅が強調されてきた。これに対して著者は、改革の本質は胡族と漢族を統合して家柄をランク分け(姓族詳定)したところにこそあり、それはこれまでの胡漢二重体制から中国皇帝支配体制への一元化を意味し、胡族と漢族を同列に扱う社会の構築を目的としていたと主張する。すなわち、胡俗を全面的に否定し、胡族を漢族へ同化させようとしたわけではなかったのだと、従来の見方に転換を迫る。遷都のため造営された洛陽城は、旧都の平城と比べて中華王朝の首都という色彩を強めたものであったが、平城時代の都城構造を継承し、その近くには官営の軍馬牧場が設置されるなど、遊牧王朝の顔も持ち合わせていた。この新しい都城モデルは、のちの隋や唐だけでなく、渤海や朝鮮、日本の都城建設にも多大な影響を与えた。
 こうした都城構造を含め、拓跋によって創られた北魏の遺産が後世へどのように影響を与えたのかが、北魏の滅亡から隋・唐の誕生までを射程として、④胡漢融合(第6・7章)で語られる。北魏の北辺に置かれていた六鎮と呼ばれる特別行政区画から台頭した高氏と宇文氏は、それぞれ東魏・北斉、西魏・北周を建て、これにより北魏はその幕を閉じる。前者の政権は北魏の中華王朝的側面を、後者は遊牧王朝的側面を基本的に受け継いだが、両者とも胡・漢どちらか一方の要素のみを取り入れたのではなく、あくまで胡と漢の融合を目指した。そして、このような時代の風を承けて、同じく六鎮より身を起こした楊氏と李氏が、ついに隋・唐を創始するに至るのである。本書では、レビレート(寡婦が亡夫の兄弟と行う再婚)の風習が広くみられるようになった現象や、食生活の変化などを取り上げ、北魏を経て中華世界に溶け込み、隋・唐へと続いていった遊牧社会の影響が指摘される。「宮楽図」という唐代に描かれた女楽士の練習風景画を示しながら、北魏以降に中華社会に新しく定着した文化を一つ一つ拾っていく。一見するとただの「唐の中華」が描かれた絵の背景に、遊牧民が築いた新たな中華文明があったことを、読者は驚きと興奮を持って知ることになる。

書名に示される通り、本書で描かれる鮮卑拓跋史における最大のポイントは、遊牧民である彼らが新たな中華を創造するところにある。中国史では、同じ非漢族王朝である遼・金・元・清が、独自の政治システムを保持したまま中華を支配した「征服王朝」と呼ばれるのに対して、北魏などは遊牧社会の国家体制や文化を放棄し、漢族へ同化していった「浸透王朝」と言われてきた。しかし、本書が明らかにしたように、鮮卑拓跋は中華文明に飲み込まれ浸透していった野蛮な異民族ではなく、むしろ新たな中華文明創生の担い手であった。「中華 vs 遊牧(文明 vs 野蛮)」という二項対立の思考を乗りこえ、中華の変容と新たな「スタンダード」確立の議論へ止揚していくところが本書の目玉である。これにより、「中国」という不変の国家像が解体されると同時に、一国史的枠組みを超えてユーラシアサイズの流動と変化の中で歴史を眺める視座が提供される。一方、こうした観点から思い出されるのが、同時代にヨーロッパで起きた「民族大移動」と呼ばれる諸民族の移住である。鮮卑拓跋をはじめとする北方遊牧民の中華流入は、この西洋の事件としばしば並べて語られ、そこには野蛮な異民族による文明の破壊や分裂という意味合いが含まれることもある。欲を言えば、この地球規模で発生したシンクロニシティに対して、文明の形成に関する本書の議論はどのように肉薄しうるのか、少し言及があってもよかったように思われる。
 また、本書のもう一つの特色は、ただ鮮卑拓跋の歴史が叙述されるのではなく、要所で史料や研究の解説が挿入されるところである。「『魏書』はどのように北魏を中華王朝に仕立て上げたのか」、「遊牧社会に由来する北魏官僚体制の存在がどのように解明されたのか」といった問題について、研究者たちの足跡と研究の手法が平易かつ丁寧に説明されており、これにより読者は研究者たちが日々行っている歴史学研究を追体験することができる。新出史料の発見により沸き立つ学界や、思い通りにいかない遺跡調査など、著者の実体験に基づくエピソードを交えながら話が展開されていくため、まるで読者も一緒に北朝史研究の道程を歩んでいるような感覚を味わえる。いわば本書は、「体験版北朝史研究」である。歴史そのもののおもしろさはもちろん、北朝史研究のアプローチ、ひいては歴史学という学問のおもしろさを、歴史学を専門としない人にもダイレクトに感じさせる。
 ラーメン、肉まん、餃子……これらの中華料理を大半の人が一度は口にしたことがあろう。それでは、この日常的に耳にする「中華」とはいったい何者なのか。その正体を考えるきっかけを本書は与えてくれる。軽妙な語り口と目を惹くタイトルを伴って、本書は北朝史の新たな「スタンダード」として、多くの読者をアツい北朝史研究の世界へいざなう。

(みやけ・むさし 東京大学大学院博士課程)

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