『華僑・華人を知るための52章』評 陳來幸

投稿者: | 2023年11月15日
『華僑・華人を知るための52章』

華僑・華人を知るための52章
エリア・スタディーズ196


山下清海 著
出版社:明石書店
出版年:2023年4月
価格 2,200円

独特の切り口から見えてくる世界の情勢

 

 1980年代に中国の改革開放路線が明確化して以降、様々な分野で華僑華人への注目度が高まり工具書類も相次いで出版された。もっとも大部なものが、1993年に12巻本で出版された1800万字からなる周南京主編『世界華僑華人詞典』(北京大学出版社)である。
 テーマ別に12巻に分類されたこの詞典に対して山下清海著の本書は7部52章と15のコラムという構成を採っている。両者は総分量も想定する読者も時代背景も異なるため、テーマ分類は似ているようで違いがある。このあたりから、著者が冒頭に示した本書執筆の動機である「華僑・華人に対する〔日本人の〕偏見を少しでも減らしたい(3頁)」が意図するところと本書の特徴を見てゆきたい。
 本書の構成は以下のとおりである。
 Ⅰ、華僑・華人とチャイナタウン (1-8章)
 Ⅱ、歴史            (9-17章)
 Ⅲ、出身地と方言集団      (18-24章)
 Ⅳ、経済            (25-31章)
 Ⅴ、政治            (32-38章)
 Ⅵ、社会・教育         (39-44章)
 Ⅶ、食文化と生活        (45-52章)
 
 総論にあたるⅠ「華僑・華人とチャイナタウン」では、1~5章とコラム1で現在世界規模で受け入れられつつある華僑・華人の定義を説明し、老華僑・新華僑、華人の再移民という地球規模の新しい潮流を説明している。それに続く6~8章とコラム2と3のほぼ5篇分の紙幅を費やしてチャイナタウンに関する説明がある。地理学者であり、日本における世界のチャイナタウン研究の第一人者として、著者の独自の見解を展開した部分であり、ある意味長年にわたる著者の研究成果の集大成を簡潔に提示している。換言すると、第Ⅰ部では、日本人の華僑・華人、チャイナタウンに対する世代別に異なる一般的イメージや理解が、現在の世界的常識あるいは華僑華人研究者のそれとは乖離があるというメッセージを伝えている。統計による華僑・華人人口の正確な把握は難しいが、5章(43-44頁)の説明は秀逸である。それによると、2021年末時点で、中国大陸・香港・マカオを除く世界の華人は4929万、在外台湾人の総数が205万、つまり5134万人が世界の華人人口となる。
 次の第Ⅱ部「歴史」では、西洋の植民地化以前を扱う「中国人の海外移住(9章)」と植民地化に伴う「東南アジアへの華人の進出(10章)」から筆を起こし、奴隷貿易に代わる「苦力貿易(11章)」ではキューバ、西印度諸島などを視野に入れた中南米と東南アジアでの農業・鉱山労働者としての華人社会の概要を描き、12章は「ゴールドラッシュと大陸横断鉄道の建設」、13章はチャイナタウン襲撃・華人虐殺という副題付きの「華人排斥」、米国の入国審査の地であるニューヨークの「エリス島」とサンフランシスコ湾の「エンジェル島」を紹介したコラム5を含め、3篇連続して米国を主とする、太平洋を越えたアメリカ大陸への移民の物語を綴る。「ニョニャ、ババ、プラナカン(14章)」では東南アジアで土着化した華人を取り上げ、「帰国華僑(15章)」、「植民地の独立と中華人民共和国の成立(16章)」、「中国の改革開放と新華僑(17章)」と、時代は一気に20世紀へと進み、コラム6は「シドニー郊外のインドシナ系華人のチャイナタウン、カブラマッタ」を紹介するとともに、日本の「いちょう団地(神奈川県)」を含む、各国各地で次々と表面化するインドシナ系華人が活躍する新たな集住地に注目する。
 第Ⅲの「出身地と方言集団」の部は「僑郷:華僑の故郷(18章)」に始まり、ついで「方言集団(19章)」、「広東人(20章)」、「福建(閩南)人、福州人、福清人、興化人(21章)」、タイやカンボジアでは最大集団である「潮州人(22章)」、個性的な少数派「客家(23章)」、「海南人、温州人、三江人、山東人(24章)」と方言別地域別の説明が続く。冒頭で紹介した北京大学出版社版詞典では、社団政党巻、僑郷巻でまとめられている内容にあたる。それらをここで紹介するのは、日本人にとっての中国社会の理解が、おそらくこのレベルから説明する必要がある、との認識が著者にあってのことであろう。中国人社会にあっては異郷へと移民してゆく人々のための同郷の相互扶助組織としての会館や公所の存在は日本人移民とは比較にならないほど重要である。初期東南アジアへの福建人移民は早期かつ大量であり、出身省内の地域それぞれに風俗習慣が微妙に異なることから、移民先でそれぞれが核になり組織化が進んだことに起因している。一方で広東省出身者については広東人とひとくくりにしてもよい程度の近親性が存在する。例外が、別建てにした客家と潮州グループであり、歴史的文化的経緯からして誰もが納得する分類であろう。敢えていうなら海南人を福建にも広東にも入れずに独立したその他として扱ったことは評者には奇異に感じる。温州人の別建ては初期の頃に青田石を商売道具に欧州に赴いた行商グループをルーツにもつのみならず、改革開放後の新たな欧州華人社会でもプレセンスが維持されており、中国国内でも温州商人の特別な活躍があっての分類であろうか。三江人と山東人は北東アジア、日本・朝鮮半島に形成された華人社会固有の特徴である。こと日本の華僑華人社会をながめた場合、かつての浙江省の温州や青田出身の華人は通常三江グループとして括られる。
 本書第Ⅳ部「経済」では、前半の3章「華人経済の伝統的特色」、「華僑送金」、「華人財閥」に対して、後半にあたる28~31章では相対的に多くの字数を使い、改革開放以降の新しい現象を紹介している。「華人企業の中国投資」、「グローバル化する華人経済:世界華商大会の開催」、「シリコンバレーで活躍する華人」、「新華僑の海外進出」がそれにあたる。世間一般、とくにグローバルに活躍している日本のビジネスマンにこれらの現状を是非とも知って欲しいというメッセージ性を強く感じる。ヤフー、YouTube、ZoomというIT業界大手の創業に、台湾生まれの移民子弟や中国大陸からの留学生が深く関与したことが記されている。
 第Ⅴ部を「政治」というタイトルで括ったことについて、著者においていくらかの逡巡があったものと推察される。敢えて分類するならば「海外の華人に支援を求めた孫文(32章)」、「中国と華人の政治的関係(33章)」、「中国の「一帯一路」の推進と華人(38章)」は中国本土と華人社会との政治的関係に着目した論考であり、残りの34~37章はインドネシア、マレーシア、シンガポールの現地政府の対華人政策とアメリカ華人のアメリカへの政治参加に関する論考であって、居住国政府の対華僑政策が制約の連続であったとして華人苦難の歴史を説明している。つまり、二者はまったくの別物である。とくに、38章では、中国の「一帯一路」政策の一環としてインフラ整備が中国の借款のもとで進められ、「債務の罠」に陥るのではと懸念された東南アジアの国々について、また、現地華人が中国との仲介役として期待され、同時にその中国回帰が心配されている現状が説明されている。しかしながら、外部世界からの政権転覆が企てられた時代の孫文と海外華人との関係や国家の存亡をかけて海外華人に支援が要請された日中戦争の時代の国家と華人社会との関係と昨今の状況は全く異なるということも念頭に置いて読み進めなければならないであろう。
 第Ⅵ部「社会・教育」で括られた39~44章は、「華人社会の伝統的組織」、「海外の華人社会における秘密結社」、「世界各地で発行される華字紙」、「華文教育と華文学校」、「南洋大学の設立と「閉校」」、「華人および中国人の海外留学」からなる。
 第Ⅶ部の「食文化と生活」は前半4章が「生業としての食文化」、「多様な食文化」、「中国料理のグローバル化」、「日本的中国料理としての「中華料理」」と食文化が並び、続いて「居住様式(49章)」、「宗教(50章)」、「華人文学(51章)」と続き、最後に「世界の華僑・華人博物館(52章)」で締めくくられている。

 紙幅も限られているので、内容の紹介については詳細に立ち入らないが、この著書を読んだあとは、満腹感とともに、様々な知識が繋がっていく満足感が味わえる。一般の読者にとっては学校教育で学んだことや日頃耳にする新しいニュースが、華人という独特な切り口の本書によって結び付き、様々な地域や国々の「現在」が見えてくることであろう。地理学者として各地に足を運んで観察してきた成果としての最近の東欧やアフリカのチャイナモール、シドニー郊外のインドシナ華人のまちカブラマッタなど、新しい情報も満載である。華僑研究に従事する評者にとっては濃淡異なる知識に改めて整理が加えられた点に大きな収穫があった。学生に対する華僑華人論、あるいは華人を通して考えるグローバルスタディーズへの入門書として、恰好の書籍であると考える。特筆しておきたいのは、すべてのテーマ(章・コラム)が均質なわけではないが、著者ならではの深い洞察に基づいて書かれ、読んでいて「ハッ」と思わせるところが随所に見られることである。とくにシンガポールとその近隣のマレーシアに関する叙述においては初めて知る事実も多い。何よりも著者自身の体験であれ、友人からの伝聞という形であれ、事柄を事実以上にヴィヴィッドに伝えているところも多く、わくわくしながら読み進めることができた。南洋大学の設立と「閉校」に関する第43章や緊急会員大会の顚末を描いたコラム12などでは、新しい知見を得ることができた。
 重箱の隅をつつくつもりではないことを断っておくが、多くのテーマと地域をお一人でまとめたためか、問題点がないわけではない。例えば、ブラジルの華人社会の説明部分で、「改革開放後、中国からサンパウロにやって来た華人も、日系人街にサンパウロ中華会館、ブラジル広東同郷会などを設立し、中国料理店を開業した。(188頁)」というくだりがあるが、中国の近代史を学んできた評者にとって、中華会館(公所)は19世紀末から20世紀初期の産物であって、改革開放後に新たにやってきた新華僑が参画できるような組織ではないとの認識がある。サンパウロの中華会館は実際のところ今でも台湾(中華民国)系の組織であり、表現は的を射ていない。また、評者は交換教員として広州の南大学に数か月滞在し、教壇にも立ったことがあり、交流も深い。「華僑最高学府」と呼ばれた南大学の説明部分に「南大学の前身、南学堂が1906年、広州に設立され、1927年、上海に移転して南大学に改称された。(255頁)」とあるが、南学堂が設立されたのは南京であって広州ではない。これは明らかな事実誤認である。
 2005年に同社から出版された山下清海編『華人社会がわかる本』は30人以上による共著であった。18年後に出された本書は単著本であり、著者色が濃くなっている。著者個人の実体験を踏まえた話が豊富で、その分説得力があり、ついつい引き込まれる。多様な形態のチャイナタウンの在り様と現地化してゆく中国料理がキーワードとなろうか。誰でも手に取って読みやすい本である。

(ちん・らいこう ノートルダム清心女子大学)

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