爻の原義解釈と婚姻論――契りの文化人類学

投稿者: | 2023年6月15日

松宮 貴之

■甲骨文中の「爻」について

「爻」(郭沫若 主編『甲骨文合集』中華書局、1983年。矢印は筆者による。以下同じ)

 爻は、抽象的に文字を表した記号。甲骨文では教育施設を象徴して用いられている。なお甲骨文字には、「字」の意味の文字はなく、また文も文字の意味では使われていない(落合淳思『甲骨文字辞典』朋友書店、2016年、593頁)
 「爻」に使われている「✕」は、他の甲骨(文・奭・敎・學)にも使われており、それらは教育や文身(模様や文字を彫り込んだ状態)という意味を持つので、「✕」は「文字の一般形」と考えられる。となると、文身と文字の連続性が指摘できよう。
 先にも述べた(「『説文解字叙』批判 三段文字史観の易と文身(入れ墨)」)ことがあるが、✕は原初的にばちを意味し、やはりそれが掟(物語り)となって、老いから若きに語り継がれ、「學ぶ」や「敎える」と展開したのであろう。

■入れ墨と文字の連続性の確認

 「文」と「奭」について、ここでは確認したい。
 甲骨文の用例では、「文」は、地名やその長を意味している。この字形と意味の関係性について言及すれば、「文」字 は文身(✕)を形の構成要素とし、その罰(✕)を司るのが長であることから、その義に派生したものと考えられる。

「文」(同上)
「奭」(同上)

 また「奭」は、先王の配偶者や、時に祭祀を意味している。「爽」は、爻を用いた同源字である。篆書で大と百からなる字になったが、甲骨文では、百は使われていない。人の正面形である大に、加えられるのは、火、口(サイ)、午、豆など様々な形がある。これらは入れ墨であり、女性の両乳の文様とする説が有力である。
 これらの字形に「入れ墨形」を内包する理由は、統治者(長)の妻であったこと、更には祖先と交信できる巫女的な意味があったのかもしれない。入れ墨は、フォークロワでは他界とのパスポートであり、極楽との関係を約束するものだったからである。
 また落合淳思氏は「爽」については、「㐅(ゴ)」と「爻(コウ)」が同源字であるという前提で、「✕」が両辺に一つずつの「奭」字形を、「✕」が二つずつの「爽」の初文と見なしている(『甲骨文字辞典』朋友書店、2016年)
 字形として「爽」が使われるのは、西周初期の「二祀其卣」(『殷周金文集成』5412。断代は林巳奈夫による)が最初で、用法は甲骨文字と同じなので、いずれにせよ同一字と見て間違いないだろう。

■爻論――易の原郷

 では、甲骨文の「爻」字形から易の爻の義へと展開する道筋は、いかなる過程を辿ったのだろうか。これを考えるには、「爻」字の字形において「入れ墨」の義をもつ「✕」形が二つ表象されることが、易の陰爻・陽爻へとつながっていくという理由を考察しておく必要があるだろう。
 私は、その原郷として、婚姻の「入れ墨」を想起している。つまり、✕が二つあったのは、男女(陰陽)のことを意味し、その契りを意味するのではなかろうか。というのも、この仮説の傍証として、✕の入れ墨が婚姻を意味する例は、文化人類学的に沖縄、奄美に残るからである。
 ここに、「契り」の証拠として、婚姻儀礼があり、それが易の陰陽の爻(二つの✕)の本質ではなかろうか、という説を提起したい。

吉岡郁夫『いれずみ(文身)の人類学』雄山閣、1996年

■書契論

 一方で、文字は昔、「書契」と称した。
 山田崇仁氏に拠ると、「書」に関連する書記記号の表現として、『易』繋辞伝下の「書契」が知られるが、この表記は前漢末の劉歆『七略』によって「書契=文字の古称」と解釈され、それが後漢の『漢書』藝文志や『説文解字』序に取り入れられて現在に至るとされている。これに対し、「書契」を(『尚書正義』序に引く)鄭玄の『易』注に説くように「書=文字」「契=割り符」とそれぞれを分けて解釈すべきだとする解釈が妥当である事を、繋辞伝と同時期の成書であり、「書契」を使用する他の文献の用例との比較から明らかにされた。そして、「書契=文字」なる認識は、前漢末の『七略』編纂の際に文字の歴史の一部として繋辞伝の記述が切り取られ、そして班固の段階までに「文字の古雅な表現」として再解釈された結果、発生したものである事を明らかにされている(山田崇仁「書契考」『中國古代史論叢』第六集、2009年)
 但し、統一秦以前の経書や諸子百家の文献に見える「契」の意味は、「刻み目を有した割り符」「刻むという行為」「刻み目」「開く」などの意味で使用されている。
 私説では、「書契」という概念成立以前に、「文字」も「契」も、もとは「刻み」「傷」を意味し、それは古代の「約束のしるし」だったと考えたい。なぜなら、「入れ墨」も含めて、一種の傷を負うことが、ちぎるということばの語源だからだ。
 音声の面からみても・楔の古音はkhyatで同声。keat、kheat、(刻)khəkは声が近く、みな契刻を加える意である。そして、契は刻と類義語で、ともに「きざむ」とも訓じ、入れ墨をする意味にも使われる。
 つまり書や割り符の本質は、言語とはまた違う、沈黙の「ちぎり」だったのであろう。

■契の原義から甲骨の易、清華簡へ

 白川静の説によると、「契」字は、

と大とに従う。は刀で線刻を加える意で、その線刻の部分を縦に両分して割符とする。大は人の形。おそらくもと人頭に契刻を加える意であろう。

と解する。そして、それを入れ墨の意と重ねている。
 前述の通り、入れ墨はもともと「契り」であり、約束の意だったことから、民俗学的に男女のちぎり、婚約、セックスの意味へと派生していった。そして子を産むように、多様な演繹の意味を見せたものと考えられる。
 ところで、甲骨文に残る易に関する文字は数字である。その中でも、✕は「五」、十は「七」の意で、現代でも原型を留めた字形をしている。現在では一般的に爻とは、易の卦を組み立てることを意味し、陰爻と陽爻で八卦ができ、八卦が交わって六十四卦となる。
 古代の易は『易経』の所謂「六十四卦」とは異なり、陰(本来は「六」)と陽(本来は「一」)だけでなく、「五(✕)」「七(十)」「八」「九」も使う。また、『易経』の六十四卦と周原甲骨文をつなぐものとして、近年には清華大学戦国竹簡から卦の一覧表が見つかっている。こちらは戦国時代中期のものと思われるが、まだ「六」「一」のほか「五」~「九」を使っており、卦の数が百を超える。このような数字の配合の易は、婚姻の契りの「爻」から派生し、複雑化したのち、戦国期の易へと発展したものと考えられる。

賈連翔『出土數字卦文獻輯釋』中西書局、2021年

 例えば清華簡の『筮法』の末尾の節には、
 凡十七命、曰果、曰至、曰享、曰死生、曰得、曰見、曰瘳、曰咎、曰男女、曰雨、曰娶妻、曰戦、曰成、曰行、曰售、曰旱、曰祟。(簡六二~六三)
とある。
 やはりここでも、男女や婚姻の名残りが残っている。

清華大學出土文獻研究與保護中心編 黄徳寛主編『清華大學藏戰國竹簡(拾貳)』中西書局、2022年

■『「入れ墨」と漢字』批判と易と文字の二大潮流論

 私は以前、拙著『「入れ墨」と漢字』(雄山閣出版、2021年)で、漢字の祖型を「入れ墨」に求めたことがある。しかし、それからの研究の成果から推せば、漢字の祖型は「入れ墨」でもあるが、もっと抽象的に、「契り」のしるしから多様な表象に派生したとする考えに至った。つまり「契り」の対象が、身体に施行されるか物に施行されるかなど、多様な姿が考えられる。その身体のケースの一つが、「入れ墨」だったのだろう。
 さらに深く考えれば、互いに傷を付けることによって、異族同士が約束したのかもしれない。約束は対等の関係のみで成立するからであり、傷こそが、約束のしるしだったのである。そして、その約束の施行と裏切りから、罰が発生したのであろう。
 総括すると「入れ墨」と「漢字」、そして「易」を通底するのは、「契り」の観念である。それは時に交差、融合し、又時に分裂して東アジアの表象史を突き進んできた。『説文解字』の伝説では、「易」「結縄」「書契(文字)」の三段階文字史観が明記されるが、中でも、「易」と「文字」は、三千年の中国文明史の二大思想潮流として、進展してきたのである。そしてその根源にあった思想は、「」であった、蓋然性は高いのではなかろうか。

(まつみや・たかゆき 国際日本文化研究センター共同研究員)

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