中国文学の最前線――躍進する中国SF①

投稿者: | 2022年4月15日

第一回 21世紀日本における中国SFの翻訳状況

大恵 和実

■はじめに

 これまで日本では、中国現代文学といえば、莫言・閻連科・余華・残雪のように、中国社会のタブーや性愛に果敢に挑み、グロテスクにして絢爛なマジックリアリズム要素の濃い作品が多く紹介されてきた。その一方、20世紀末には金庸をはじめとする武侠小説の翻訳が進められてきた。そして2010年代になると、華文ミステリーや中国SFの翻訳が急速に進んだのである。
 特に中国SFの躍進は著しく、21世紀に翻訳された中国SFは、商業出版に限定しても、既に長篇11作・短篇141作に及んでいる(2022年4月7日時点)。その9割以上が2015年以降に翻訳されている。昨年、邦訳が完結した劉慈欣『三体』三部作(詳細は後述)は、累計発行部数61万部を突破した。これは近年の中国文学としては異例の数字である(1)。また、『SFが読みたい!』(早川書房)のベストSF海外篇では、2018年以降、中国SFがベスト10に複数入っている。
 筆者はここ数年中華SF愛好家として、その翻訳と紹介に努めてきた。このたびWEB『東方』編集部より、中国文学の中のSFについて紹介するよう依頼されたので、これから3回に分けて中国SFについて紹介していきたい。1回目となる今回は中国SFの概要を簡潔にまとめた後、21世紀日本における中国SFの翻訳状況をみていくこととする(2)
 なお、中国SFとは、主に中華人民共和国で執筆されたSFをさす(海外在住の中国人の作品を含む場合もある)。一方、中華SFは、中華圏(中国・香港・台湾など)で生み出されたSFをさし、時に海外の中国系作家(華僑・移民など)の作品を含む場合もある。華文SFは地域に限らず中国語で書かれたSFをさす(3)。本稿では紙幅の関係もあり、中国SFに焦点をあてることにする。

■中国SFの概要

 SFといえば、科学技術を軸に未来について語った文学というイメージを持つ人もいるのではないだろうか。しかし、20世紀後半には英語圏でSFの拡張が意識され、日本でもサイエンス・フィクションだけでなく、スペキュレイティブ・フィクション(思索的小説)や「すこしふしぎ」など様々な意味が込められるようになった。21世紀にはSFの浸透と拡散がさらに進み、ファンタジーやメタフィクションとの境界も曖昧で、いわゆる純文学やエンタメ文学といった枠組みを軽々と乗り越えており、もはや厳密な定義は不可能である。ただし、センス・オブ・ワンダー(認識的異化作用)を内包し、可能性と想像力を架橋した作品が多いことは間違いない。
 では、中国SFはどうであろうか。ごく簡単にその歴史を振り返っておきたい。中華人民共和国建国(1949)以降、SF(中国語では科幻)は社会主義文学の一角に位置付けられ、科学知識の普及や社会鼓舞の役割を担っていた。しかし、改革開放が進んだ1980年代以降、徐々に社会主義文学の枠をはずれ、1990年代以降には良質な作品が次々に生み出されるようになった(4)。中国ではデビュー年代別に呼び名が付けられているが、1990年代にデビューした新生代には、中国SF四大天王と呼ばれている劉慈欣・王晋康・韓松・何夕が含まれている。上原かおりは、1990年代以降の中国SFの発展について、SF文学賞の創設・海外SFの翻訳・作家のパッケージ化・国際SF大会の開催・SFファン活動の五つの観点から論じている(5)。中国の経済や科学技術の発展のみならず、作家・出版サイド・SFファンの努力が合わさった結果、中国SFは花開いたのである。
 とはいえ海外はおろか中国国内でも一般読者の認知度は高くなかった。事態を変えたのは、アメリカのSF作家ケン・リュウ(少年時に中国からアメリカに移住)である。彼が2014年に翻訳した劉慈欣『三体』が英語圏でブームを巻き起こし、2015年にヒューゴー賞(アメリカのSFの賞)を受賞したことで、次々に中国SFが英訳されるようになったのである。中国SFの質・量の向上と海外での人気の高まりを受けて、中国国内でもSFの評価は上がっている。主流文学の雑誌『人民文学』が2015年にSF特集を組んだように、「辺境」の文学だったSFが主流文学に接しつつあるのだ(6)。「科幻現実主義(SF的リアリズム)」を提唱した陳楸帆のように、人類普遍の問題に目を向けた作品も次々に生み出されている(7)。また、中国の読者の間ではハードSF(科学技術を軸に据えたSF)志向がいまだ強いようだが、科幻四大天王の一人である韓松や21世紀にデビューした作家たちの活躍によって、徐々に中国でもSFの幅は広げられている。なお、現在、中国SFを牽引している1980~90年代生まれの作家たち(例:陳楸帆・郝景芳・宝樹など)については、すでに立原透耶が『東方』や『SFマガジン』などで紹介しているので、そちらをご覧いただきたい(8)

■『折りたたみ北京』と『三体』の翻訳

 では、中国SFはどのように21世紀の日本に紹介されたのだろうか。すでに2000年代には林久之などの中国文学研究者によって時折『SFマガジン』に中国SFの翻訳が掲載されており(9)、『中国現代文学』13(2014)には韓松(上原かおり訳)「再生レンガ」が載っている。『三体』のヒューゴー賞受賞後には、中国SFに対する関心が高まり、『SFマガジン』2017‐6に郝景芳と陳楸帆の作品が訳載された。なかでも郝景芳(大谷真弓訳)「折りたたみ北京」は、三層構造に折り畳まれる北京を通して中国の格差社会を描き、第49回星雲賞(日本のSFの賞)を受賞した。また、2017年には『聴く中国語』にも立原透耶によって複数の中華SFが訳載された。耳目を集めるには至らなかったものの、着実に中国SFの紹介が進められていたのである。なお、上記のうち、2014~17年に『SFマガジン』に掲載された短篇は、ケン・リュウの英訳を日本語に重訳したものである。
 日本で中国SFが広く認知されるきっかけになったのが、ケン・リュウがアメリカで編んだ中国SFアンソロジー『折りたたみ北京』(早川書房)が2018年に翻訳刊行されたことである。7作家13短篇が収録されており、中国SFの入門書として最適である。ケン・リュウが編んだアンソロジーとしては、2020年に『月の光』(早川書房)も出ている。こちらは14作家16短篇収録。また、ケン・リュウ訳に基づいた陳楸帆(中原尚哉訳)『荒潮』(早川書房)も刊行されている。いずれも英訳からの重訳である。
 さらに中国SFの名を高めたのが前述の劉慈欣『三体』である。 2008~2010年に書かれた『三体』は、文革&異星人とのファーストコンタクト(第Ⅰ部)から、時空を超えた壮大な幕引き(第Ⅲ部)に至る傑作SFであり、既に20カ国以上で翻訳されている。日本でも2019年に第Ⅰ部(立原透耶監修、大森望・光吉さくら・ワンチャイ訳)が刊行されると話題となり、第51回星雲賞(海外長編部門)を受賞したほか、『SFが読みたい!』でも2019年ベストSF海外篇1位となった。昨年出た第Ⅲ部(大森望・光吉さくら・ワンチャイ・泊功訳『三体Ⅲ 死神永生』)も高く評価され、2021年ベストSF海外篇1位に選ばれている。
 このように日本では、中国語からの翻訳が続けられる一方で、ケン・リュウが英訳した作品を日本語に重訳する形で中国SFの受容が進んだのである。『三体』三部作は中国語からの翻訳であるものの、その構成・内容自体は英訳版に依拠している。また、中国SF専門の翻訳家が少ないことから、英語圏のSF翻訳家である大森望が加わって、訳文をブラッシュアップする形がとられた。

■中国SF翻訳の多様化

 2019年以降、中国SFの翻訳点数は一気に増加する。なかでも郝景芳の人気は高く、既に短篇集2冊と長篇2冊が刊行されている。彼女については、次回詳しく紹介したい。また、『SFマガジン』では、2019‐8と2020‐12で中国SF特集が組まれ、王晋康・何夕・趙海虹・宝樹らの作品が掲載された。また、『アジア文化』2019‐10は王晋康特集を組み、5作品が翻訳されている(現在、東方書店で購入可能)
 さらに2020年には、中国SFの翻訳・紹介を牽引してきた立原透耶が満を持して『時のきざはし――現代中華SF傑作選』(新紀元社)を刊行した。中国・台湾の作家17人の作品を収録しており、90年代から現在までの中国SFを一望できる。また、中国SFの波は文芸誌にも波及し、河出書房新社が『文藝』2020年春季号の「中国・SF・革命」特集を単行本化した際には、郝景芳(及川茜訳)「阿房宮」が追加された。
 2021年には、中国とアメリカの謎めいた作品を集めた柴田元幸・小島敬太編訳『中国・アメリカ 謎SF』(白水社:3作家4作品)や中国史SFに特化した拙編訳『中国史SF短篇集 移動迷宮』(中央公論新社:7作家8作品)といったテーマアンソロジーも組まれている。また、早川書房からは時間SFに焦点をあてた宝樹の短篇集『時間の王』(阿井幸作・稲村文吾訳)と劉慈欣待望の短篇集『円』(大森望・泊功・齊藤正高訳)も出た。さらに劉慈欣の絵本『火守』(池澤春菜訳、西村ツチカ絵、KADOKAWA)も出ている。
 本節で紹介した作品は全て中国語からの翻訳である。『折りたたみ北京』などの事例を踏まえて、中国SFは重訳ばかりであると誤解する向きもある。しかし、重訳は一時的な現象であり、実際には2000年代から現在に至るまで中国語からの翻訳の方が多いのである(約8割)。また、『時のきざはし』や『移動迷宮』をはじめ、日本オリジナルのアンソロジーも増え、紹介される作家・作品も多様化している。長く翻訳・紹介を続けてきた林久之・立原透耶ら中国文学研究者の地道な努力と、ケン・リュウによる中国SFの英語圏・日本への紹介が結びついた結果、中国SF翻訳の隆盛に至ったといえよう。ただし、現在、中国SFの翻訳を担っているのは、主に中国文学や中国語学の研究者であり、SF専門の翻訳家が少ないことは間違いない。そのため、今後もしばらくの間は、英語圏のSF翻訳家(例:大森望)との共同翻訳も続くと思われる。

■おわりに――中国SFの魅力と今後の刊行予定

 中国SFの魅力とは何だろうか? かつて筆者は、①SFの面白さをストレートに伝える力強さ、②人類普遍の社会問題に目を向けた批評性(10)、③中国の歴史・文化を踏まえた内容、④女性の活躍の4点を魅力にあげたことがある(11)。このうち④については、次回の「中国の女性SF作家(仮)」で紹介したい。また、③についても今後の連載で取り上げる予定である。ただし、中国SFは多種多様であり、その魅力も上記の4点におさまるわけではない。
 今年も中国SFの翻訳は続々と出る。4月7日には現在活躍中の女性SF作家14人の作品を集めた武甜静・橋本輝幸編/拙編訳『中国女性SF作家アンソロジー 走る赤』(中央公論新社:14作家収録)が出たばかりである。さらに早川書房から『三体』の公式二次創作である宝樹『三体X』と、『三体』前日譚の『球状閃電』の刊行が予定されている。また、KADOKAWAから劉慈欣の短編集が出るそうだ。新紀元社からは立原透耶による中華SFアンソロジー第二弾と、カルト的人気を誇る韓松『紅色海洋』の刊行も予告されている。今後も中国SFから目が離せない。

 

【注】

(1)劉慈欣『三体』の発行部数(2022年2月時点)については、『SFが読みたい!2022年版』(早川書房、2022年)33頁参照。なお、2021年に翻訳が出た中華BLファンタジーの墨香銅臭『魔道祖師』全四巻(フロンティアワークス)も累計40万部を突破している。海外BL小説の翻訳レーベル「ダリアシリーズユニ」公式ツイッターアカウントの2022年1月14日のツイート参照。

(2)本稿の執筆に当たっては賈海涛「越境する中国SF文学――近年の日本における翻訳と紹介について」(『日本中国当代文学研究会会報』34、2020年)を参考にした。

(3)前掲注2賈論文参照。

(4)1990年代までの中国SFについては、武田雅哉・林久之『中国科学幻想文学館』上(大修館書店2001年)参照。

(5)上原かおり「中国「小康社会」とSF」(『研究中国』11号(通巻131号)、2020年)参照。

(6)上原かおり「「辺境」の文学であったSFが《人民文学》に掲載されるようになったこと」(『日本中国当代文学研究会会報』35、2021年)参照。

(7)科幻現実主義(SF的リアリズム)については、楊駿驍「『荒潮』と中国における「SF的リアリズム」」(『野草』105、2020年)参照。

(8)2000年代デビュー組は更新代、2010年代以降にデビューした者は全新代と呼ばれている。立原透耶「中国SF案内 中華圏SFほんのさわり」1~3(『東方』451・452・453、2018年)、立原透耶「特集解説 『三体』のその後」(『SFマガジン』2019‐8、早川書房)、立原透耶「特集解説〈科幻世界〉と中国SF」(『SFマガジン』2020‐12)など参照。

(9)2001年までの中国SFの翻訳状況については、前掲注4武田雅哉・林久之書参照。

(10)前掲注2賈論文の3章「中国学的な読みから世界的な読みへ」では、中国のタブーに挑んだ作品や社会・政治批判を重視する「政治的な動機に支持された限定的な読み方」に対し、近年日本の中国SFの紹介では、社会・政治批判的な読解を否定するわけではないものの、「一面的な理解を避けてなるべく文学自体に接近させるテクスト中心的、多元的な読み方が提唱されている」とし、中国SFの紹介では「世界」がキーワードになっているとする。

(11)大恵和実「『三体』がヒットしたのは必然だった!? 中国SFが世界をトリコにしている4つの理由」(中央公論.jp 2021年7月7日)。なお、このタイトルは編集部がつけたものであり、もともとのタイトルは「中国SF入門」である。

(おおえ・かずみ 中華SF愛好家)

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