あだなからみる明終末期の陝西流賊(八)

投稿者: | 2021年11月15日

その他の動物名をつけたあだな(付植物等)・上

佐藤 文俊

■鳥や獣(禽獣)、虫・植物等

 まず本項目に入る動物・植物名をつけたあだなの事例を記してみよう。

狼‥独頭狼、独尾狼、青背狼、青脚狼、黒虎狼、紅狼、小紅狼、独行狼、滾地狼、奎木狼、大狼、木狼、混天狼、禿尾狼
豹‥金銭豹、雙珠豹、賀地草豹、八豹、豹王、飛豹
馬‥馬上飛
狗‥金狗児
兔‥房日兔
鵬‥冲天鵬、金翅鵬(雕)
猴‥三猴儿、上天猴、混天猴、滾山猴、鑚天猴
鷹‥一連鷹、出猟鷹、棘狸鷹、番山鷹、小黄鷹、鉄爪鷹、黒鷹
鷂‥開山鷂、翻山鷂、馬鷂子、三鷂子、張鷂子、番山鷂
鶯‥黄鶯、一連鶯、皂鶯、八連鶯
蝎‥蝎子塊、雙尾蝎、黒蝎子
蛇‥両頭蛇、一条蛇、蘇青蛇、白花蛇
虫‥伶俐蟲
貝‥蛤蜊圓
植物‥一枝花、映山紅、稲黍稈、活地草、満地草、賀地草、禾地草、草上飛

■明末陝西の動物地理

 陝西省(明代は清代の甘粛省を含む)の鳥や獣の生息状況を簡単に見てみよう。多くの逃亡兵士がいた延綏鎮には「獣-虎・豹・鹿・狼・兔・・・・・・」(康煕『延綏鎮志』巻二、食志)とあり、平涼府固原州には「獣類-虎・狼・狐・鹿・兔・・・・・・/鳥類-鶯・鷹・・・・・・」(嘉靖『固原州志』巻一、土産。万暦『固原州志』上巻田賦志も同様)とあり、駐屯兵士の多かった寧夏府では「禽の属-ちょう・鷹・鷂・・・・・・/獣の属-虎・狼・艾葉豹・熊・・土豹・・・・・・」(乾隆『寧夏府志』巻四地理)の如く、あだなについた動物は当時、現地に生息していた(1)

■狼──中国史と狼

 第六・七回で中国での虎と人の交渉史について触れた。狼は虎より広範な地域に生息し人との出会いの機会も多い。特に華北では狼に関する逸話がよく見られる。澤田瑞穂は豊富に事例を収集し、人狼交婚譚・変狼譚(人間が狼に変わる)・狼報恩(狼が人に恩返しする)等を紹介する。狼に関する話は昔話化したものより実話に近いものの方が迫力があり、その理由は狼が狂猛な野獣ととらえられているからという(2)。虎が霊獣ととらえられている一面があったのと大いに異なる。
 陝西で流賊と明の支配層が死闘を繰り返していた崇禎年代初期の、延安府安定県志に興味深い狼の状況が記録されている。同県は延安府の他の州県と同じく崇禎初年より日照り、干害、大雪、地震が連続し、その上政府の容赦ない賦役徴収が重なり、人は大いに飢えて「樹皮・木葉・石子(軟石)を食し、皆死」し、 「人相食む」状況であった。崇禎七(1634)年、「狼は人を喰うこと甚だはげしく、数年やまない。時に狼は死人を食らい、人に出会っても見慣れて惧れない」という状況が出現していた(雍正『安定県志』災祥)

■事例研究

けいもくろう
 先に掲げたあだな「狼」の事例の中から「奎木狼」について触れてみよう。第五回「“龍”をつけたあだな」で触れた「亢金龍」と同じように、奎木狼も二十八星宿の一つで、奎(奎星)(五行に日・月を加えた七曜)(動物名)は、本来は狼と関連がない。しかし、講談や小説、演劇等で、或は軍と結びつくと動物として具象化される。
 『西遊記』では奎木狼は三度ほど登場する。まずは孫悟空が天界で大暴れした時、悟空を鎮定するため玉帝から派遣された武将二十八星宿の一人として登場するが、逆に悟空に打ちのめされ「おじけづいてしまった」(第31回)という。
 二度目の登場は第28回から31回にかけて描写される。二十八宿の一星、奎木狼(奎星)は下界に降り高僧になりすまし、妖怪黄袍怪の姿で碗子山波月洞の主におさまっていた。そこで宝象国の第三皇女をさらって夫婦となって13年が経過していた。そこに三蔵法師一行が通りかかり、金色の宝塔を寺院と見誤って中に入り捕らえられてしまう。一方の皇女は、密かに捕らわれた三蔵を解放し、宝象国の父王に自身の無事を知らせる手紙を託して故国に行かせる。しかし、黄袍怪はこの機会に便乗して、書生に化けて宝蔵国の国王に初めての挨拶をし、自分はかつて虎にさらわれた皇女を助けた者で、さらった虎が今目の前にいる三蔵であるといい、呪いをかけて三蔵を虎に変えてしまう。この危機を脱するため、八戒は破門されて花果山に戻っていた悟空に助けを求める。悟空は三蔵救出のため、黄袍怪と激戦を繰り返すが、劣勢となった黄袍怪は姿をくらます。悟空は黄袍怪のかつて自分を見たことがある、との一言を思い出し黄袍怪は天界からきた妖魔と考え、天界で地上に降りた星の有無を調査させ、二十八宿の一つ奎星・奎木狼であることをつきとめる。黄袍怪(奎木狼)は天界の星官達がとなえる呪文を聞き、ついに天界に出頭する。玉帝の裁きは、太上老君の炉の火炊きに左遷するというものだった。
 三度目の登場は『西遊記』第91回から92回にかけてである。青龍山玄英洞にいる犀の化け物である三匹の妖邪王は俗界に千年おり、天竺国のはずれにある金平府慈雲寺の元宵節の観灯の際、仏に化けて大好物の蘇合香油を供出させていた。ここでも三蔵は捕まり、悟空等は妖邪王らと戦うも勝てず、悟空は天界の玉帝に「孫さまには退治できないんで、玉帝に援軍をお願いしたい」と援軍の派遣を訴える。玉帝は四木禽星(角木蛟・斗木獬・奎木狼・井木犴)だけが退治できるとして彼らを派遣し、その一員として奎木狼も活躍する。
 『西遊記』中に三度登場する奎木狼の形象の中で、特に二度目の場合が注目される。二十八宿の星たちは玉帝の法にしばられた組織の一員なので、組織を離脱して地上の妖怪に化身することはない。その唯一の例外がこの二度目に現れる黄袍怪に化身した奎木狼なのである(3)。その三蔵が見た地上での奎木狼の形象は『西遊記』28回に次のように描かれる。

藍いろの顔に白い牙
大きな口を開いてる
両側の鬢の毛はぼさぼさで
臙脂で染めたか真っ赤っ赤
髭と髯は紫いろで ・・・・・・
突き出た鉤鼻は鸚哥の嘴
曙の星みたいに光る目玉
・・・・・・
黄いろの袍を斜めにひっかけ
錦の袈裟よりはるかにみごと (以下略)

 二十八宿の内、唯一天の秩序を破り地上で一家をなし、強い孫悟空とも戦った奎木狼を、演劇や講談等でどのように描き語ったのか、文盲に近い聴衆がその存在をどのように受け取ったか興味深い。
 『封神演義』ではすでに「亢金龍」の項でのべたように、地上の殷周戦争の際、仙人界は二分され「正道を行う」せん教は周を、「邪宗に手を染む」せつ教は殷につき戦った。二十八星宿は「道者」(83回)として現れ、截教の通天教主の指揮下にあって戦うも、ほぼ皆殺しにされた。ここでの奎木狼は「三すじの髭鬚は一丈の長さ」(第83回)として容貌の一部が語られる。二十八星宿は全員「封神」され、諱がおくられた。奎木狼は姓が李、諱は雄である(99回)

「軍旗」と奎木狼
 「亢金龍」の項でのべたように、兵士が軍事訓練と実戦の際に目にする軍旗の一つ「奎木狼」は図の如く、兵士の理解に資するため狼が描かれている。兵士にとっては日常的になじみ深い絵図であった。

図1 『武備志』巻百(『紀效新書』巻十六を引用)。

 ここまで、当時民衆のイメ-ジする奎木狼の具象像の一端を見てきたが、奎木狼をあだなとした流賊は三から四名が確認できる。一人は崇禎五(1632)年、明軍に斬られた趙一才(「兵部題為恭報誅剿渠魁等事」、『起義史料』崇禎六年)、二人目は掌盤子・蠍子塊の領哨で後、闖将(李自成)に従い崇禎十一(1638)年四月、洪承疇率いる明軍に投降した延安府清澗県の人劉応封(『明清史料』乙・九、862頁)、三人目は闖将(李自成)が陝西にいた時の領哨で崇禎十三年、楊嗣昌の明軍に投降した劉応福(『楊文弱先生集』巻四十一)。但し二人目の劉応封が再蜂起、再投降したと証明できれば劉応福と同一人物となる。後考を待ちたい。四人目は小掌盤子・火焔班(姓名は高仁美)の部下(管隊)の王小則(4)である。

■豹

 豹はライオン・虎とともにネコ目ネコ科に属し、古来より虎とともに中国史上に広く存在してきた。李時珍(1518~1593)は薬学に関する全集『本草綱目』を著した中で豹には二種類あって、紋様が銭のような豹を「金銭豹」といい最も皮衣に適し、紋様がよもぎの葉のような豹を「艾葉豹」(5)といい、皮衣は前者に次ぐという。
 豹は「山獣の君」(『説文解字』)といわれ虎より小型で、その存在は虎に及ばないが何かと虎と比較される場合が多い。例えば「たいじんは虎変す」「君子は豹変す。しょうじんは面を革む。」(6)とある。殷の湯王や周の武王が各々悪政を行う王(夏の桀王、殷の紂王)を倒し天の命を革める(革命)のは、虎が夏から秋にかけて毛をぬけ変わらせてその毛皮の美しさを増すごとくであり、大人(名君)はこうした大事業を完遂する。また豹の毛が秋になって美しく変わるように、君子(有位有徳の士人)はその革命事業に参与して輝く。小人(無位無徳の人)は新しい君主に従う。天意に従って革命を指導する「大人」、それに協力する「君子」、新王に従う「小人」の区分である。日本では後世「君子豹変」はその時々の状況に応じて態度を変えるという悪い意味に使われ、豹にとっては迷惑なことかも知れない。日本には虎も豹も存在しないので、近世以前、虎が雄で豹が雌として絵に描かれる場合があった(7)

〈金銭豹〉
 金銭豹をあだなにした流賊は、現在の所、柳天成(鄭達輯『野史無文』巻十四)一名のみで出身も陝西であることがわかっているぐらいで参加以前の仕事も不明であるが、あだなの対象としては民衆に人気があったのではないかと思われる。
 金銭豹のイメ-ジを際立たせている一人に、『水滸伝』の金銭豹子をあだなとした湯隆(88位、梁山泊頭領108人中の順位。以下同じ)がいる。父は陝西延安府の知寨官(寨の長官)であったが任期中に死亡し、本人は博打にいれあげ世間を渡り歩き、一時しのぎに武岡鎮で鉄を打ってくらしていた。湯隆は、武岡鎮を通りかかった李逵や梁山泊軍の軍師である公孫勝(あだなは入雲竜、梁山泊第4位)と知り合いになる。その際、「骨の髄から鎗や棒を使うのが好きで、身体じゅうアバタがありますので、誰もが、てまえを〈金銭豹子〉と呼んでいます」(第54回)とあだなの由来を自己紹介している。公孫勝も李逵も、彼が鍛冶屋であることから梁山泊に仲間入りさせる。
 当時、梁山泊は高俅に推挙された討伐軍総司令官、呼延灼(後に生け捕られて梁山泊に加わる。あだなは双鞭、第8位)の連環馬戦法(30騎を一組にくさりでつなぎ、横一線に突っ込む)に苦戦していた。梁山泊軍への参加直後、湯隆はこの連環馬戦法を破るべく鉤鎌(鎌形の穂先がついた鎗)の使用を提言し、採用されるとその使い方を知る唯一の人、叔父で禁軍の金鎗班の師範・徐寧(あだなは金鎗手、梁山泊参加後、第18位)をだまして東京から連れてきて、自らも戦闘に参加し連環馬を壊滅させる(55~57回)。湯隆が最も活躍したのはこのときである。以降、梁山泊時期は鉄匠総管として武器・甲冑の製造を監督する一員として活躍した。最期は、宋江の投降後、方臘の乱討伐時の怪我がもとで死んだ。

図2 右の人物が湯隆
明、杜菫 絵『水滸人物図伝』(広西美術出版社、1994、黄格勝 代序)

 この湯隆が鉄匠としての特殊技能を有することに注目したい。明終末期の流賊集団でも特殊技能を有する「銀匠隊」には銀細工の職人集団がおり、車両・武器・武具・農具の製作・補修など多方面の需要に対応させていた。木匠を含めた専門職の獲得に力をいれ、逃亡の防止策として入れ墨をほどこし、髪を切り、耳を裂いた(8)。明終末期のこのあだなに、湯隆の鉄匠イメ-ジを連想するのはいかがであろうか。

 

【註】

(1)20世紀半ば頃の調査に基づく陝西(甘粛省は含まれない)の動物地理区分では虎(華南虎)・雲豹は陝西最南部の大巴山地区にわずかに生息するのみであるが、明末清初期には陝西の広い地域に生息していた。狼・豹・豺は広く生息しており、明末清初にはさらに多く生息していたと思われる(聶樹人 編著『陝西自然地理』陝西人民出版社、1981)。なお『西遊記』76回には、孫悟空も驚いた凶気について記されている。三魔王の「金翅鳥(鵰)」が獅駄国の人間を食べつくしたあと、同国は妖魔怪物に支配される。孫悟空はその蔓延する凶気に驚く。その凶気を構成する妖魔怪物とは、妖怪・山の精の他に、虎・彪・兔・野猪・鹿・うわばみ・蛇・狼等があげられ、本稿の流賊が名のる、あだなの動物の世界と近似する。中野によれば猛獣の多い環境はこのように表示するのが常套句という。『西遊記』の成立は明末、話の舞台は陝西から西のシルクロードであることを考えれば、明代の動物の状況の反映もありえよう。

(2)澤田端穂『中国動物譚』〈談狼〉(弘文堂、1978)。

(3)中野美代子『「西遊記」の秘密――タオと煉丹術のシンボリズム』(岩波書店、2003)Ⅲ-1。なお中野は奎木狼の例外性を指摘するも「奎木狼はかなりの腰抜け」という。

(4)本稿(二)の事例2で、小掌盤子火炎班(高仁美)の管隊・奎木狼の名、王小則を五小見と誤記したので訂正する。

(5)『西遊記』86回では、悟空が妖王南山大王(正体は艾葉豹)を苦戦の末打ち破る。その結末で孫悟空が「まだらのある豹は、虎を食うことだってあるんだが、こいつは人に化けることもできたんだな。」と述べ、金銭豹の存在についても触れている。

(6)高田真治・後藤基巳訳『易経』周易下経 革(岩波書店、1969)。

(7)例えば、狩野山楽・山雪『竹虎図』(京都、妙心寺天球院蔵、江戸時代)が有る。

(8)拙著『李自成 駅卒から紫禁城の主へ』②大流動期の李自成とその集団(世界史リブレット・人)〈山川出版社、二〇一五〉。

(さとう・ふみとし 元筑波大学)

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