中国蔵書家のはなし 第二〇回

投稿者: | 2021年7月15日

陳澄中と潘宗周(下)

髙橋 智

 

 さて、前回は潘氏について多くを述べたが、その潘氏と陳澄中とには一つの佳話がある。それは、丁瑜「郇斎携港蔵書回帰知見雑記」(『祁陽陳澄中旧蔵善本古籍図録』 上海古籍出版社 2006)に記され、また『上海近代蔵書紀事詩』(周退密・宋路霞編)にも載せられている話である。そもそも陳氏の蔵書の第一は、宋刊本、浙江台州刊『荀子』20巻10冊である。半葉8行の大字本で、所謂、宋政府国子監監修の形式を整えた権威あるテキストである(『書誌学のすすめ』第Ⅱ部第一章「書物と旅」を参照)。これによって、潘氏の「宝礼」よろしく、陳氏は「しゅんさい」と名乗ったのである。第二は、宋刊本、廖瑩中・世綵堂刊の『河東先生集』45巻(唐柳宗元)16冊と『昌黎先生集』40巻(唐韓愈)32冊である。これは廖瑩中が韓・柳をその家塾で校訂出版した、宋代家塾本の上品として有名である。私はやはり前回(上)の2009年国家図書館百周年記念展示で拝見したが、それは白紙に印刷された清朗な印面で、宋刊本中最も美しいと言われる如く、端正な美を顕現していた。陳氏は、『河東先生集』を楊氏海源閣から入手した。楊氏の蔵書目録『えいしょ隅録』には収めない珍品である。そして後に、『昌黎先生集』が潘宗周の手にあることを知り、潘氏に相談を持ちかけた。廖氏刻する二書ゆえ一所に同居したほうが宜しいかと。各々大洋2万元として、我らの何れかに帰することとしては如何であろうかと。そこでその善意を汲んで、潘氏は『昌黎先生集』を陳氏に譲ったという。当時最も富裕な二大蔵書家の逸話である。それを『上海近代蔵書紀事詩』は次のように詠む。

二子同心利断金 瑩中双刻飽書淫 豊城剣気光牛斗 難得雷郎薄海尋

廖瑩中刻二書はまことに得難いもので、豊城の地に埋もれていた二名剣が牽牛と北斗の間に光放って現れたという故事のように、潘陳両雄の利害を超えた蔵書の佳話によって、完璧を得た。

 今回、2004年のオークションに現れたもののなかで、宋刊本『纂図互註周礼』、元刊本『大慧普覚禅師年譜』は共に、先述の潘氏が多くを得た袁克文から入手したものである。『周礼』は陸心源と瞿鏞も所蔵していたが、いずれも同版本ではないようである。『年譜』は国家図書館蔵宋刊本の覆刻ということである。『周礼』は遡れば黄丕烈の旧蔵本で、伝来からいえば、陸氏・瞿氏本よりも陳氏にとっては我が意を得たものであったろう。他に宋刊本『施顧注東坡先生詩』42巻(孤本)があった。1938年上海でこれを購得したが、巻41と42の零本ながら、台湾中央図書館に所蔵する翁方綱(1733~1818)以来伝わった残本(全体の約半分しか遺らない)の一部であった。
 第2回王南屛の項を思い出していただくと、宋刊本『文苑英華』(巻201・210)が1995年に市場に現れ(1974年香港中文大学が影印している)、仄聞によると資産家の手に渡っているというが、それはまさに陳澄中が所蔵していたものであった。日本とも関係がある。宋梅堯臣『宛陵先生文集』60巻(張元済〈1866~1959〉編集の善本影印叢書『四部叢刊』に収載・欠本ながら孤本)は、古く日本に伝来、室町時代、周防国山口の名刹国清寺に伝わったもので、近代屈指の蔵書家内野皎亭(1873~1934)が収蔵していた。昭和11年(1936)に行われた皎亭文庫の入札で文求堂が落札したというが、その後の消息は知られなかった。実は陳氏の手中にあって、その後1980年に上海図書館に寄贈された。また、1994年上海古籍出版社が影印した『宋蜀刻唐人集叢刊』20余種のうち、『権載之文集』(権徳輿)、『張文昌文集』(張文昌)、『李長吉文集』(李賀)、『許用晦文集』(許渾)、『張承吉文集』(張祜)、『孫可之文集』(孫樵)が陳氏の旧蔵である。皆、元翰林国史院官書の印を有し、康熙時代の内府官吏劉体仁から出たものであった。四川省で出版された唐人詩文集の最古のシリーズとして貴重視される。その約三分の一を陳氏が所蔵していた。
 他にも語るべき伝説上の善本がまだまだたくさんあり、『祁陽陳澄中旧蔵善本古籍図録』(拓暁堂等編)にまとめられている。陳氏の蔵書は、香港移住後、1950年代に『昌黎先生集』『河東先生集』などを売却、中国国家に所蔵された。続いて1960年代、『荀子』や宋拓本『蜀石経』などを国家に売却した。宋拓『蜀石経』は周恩来総理が自ら閲覧確認したという。文革直前、それを中南海に運び、文革開始後、消息を断っていたが、さなかの1969年に無事図書館に戻されたという、その緊迫した状況が前述丁瑜の「郇齋携港蔵書回帰知見雑記」に載せられている。そして1980年代、上海に寄託してあった善本六百数十部を正式に上海図書館に寄贈、その後2004年、アメリカに渡っていた子女の提供によって、残る善本の近来稀に見るオークションとなったのである。出品は、前述の他に、宋刊本『古文苑』、宋刊本『妙法蓮華経』など目を見張る孤本ばかりであった。百宋一廛のまさに後継と言うべき、加えて黄丕烈跋文を有する黄跋本も数部展出されるほどの質を誇った。1部所蔵しても名家と称される黄跋本を陳氏は47部持っていた。これ程の蔵書家は二度と出現しないだろうと拓暁堂氏は言う。

陳氏の蔵印「祁陽陳澄中蔵書記」「陳清華字澄中号郇斎蔵」
その下に袁克文の蔵印「寒雲秘笈珍蔵之印」

(たかはし・さとし 慶應義塾大学)

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