中国古版画散策 第八十八回

投稿者: | 2023年10月13日

『西廂記』の挿絵(中)
豪傑僧の「原形」は別の小説か!?

瀧本 弘之

 まず初めに前回の記事で、約束した「西湖図」の紹介をしたいと思う。

図1 「西湖景」『古本戯曲叢刊第一輯 元本題評⻄廂記(劉⿓⽥本)』掲載
図1を横に繋げた全体図

これは内閣文庫収蔵の『熊⿓峰⻄廂記』の⽬次にあって、本⽂にない「杭城湖景図」(⻄湖図)が兄弟本の『元本題評⻄廂記』(通称「劉⿓⽥本」鄭振鐸旧蔵・中国国家図書館蔵本・『古本戯曲叢刊 初集』第⼀函に収録)には揃っているので、それをお見せするということだった。
 図1は家蔵の『古本戯曲叢刊第一輯』の『元本題評西廂記』(劉龍田本)をスキャンしたもので、少し曲がっているのは勘弁してほしい。線装本をスキャンしたため、図がバラバラになって見にくいが、横に3画面繋げてみると見開き二つ分の大型の西湖図になる。手前は杭州の街だが、その先が西湖ということになっている。有名な古跡はまだはっきり姿を現していないようだ。文字の誤植もあり、この時期は西湖熱がそれほど高まっていなかったらしい。雷峰塔は南峰塔と書かれている。図は『西湖遊覧志』などの地誌の西湖図と大差ない出来栄えで、『海内奇観』などのように立派な風景図などはまだ登場していない。『西廂記』のおまけとしてつけた『銭塘夢』の付属品なのだろう。
 ところで前回は、「斎壇閙会」までのあらすじと挿絵を紹介した。鶯鶯の父の供養のための法事に張君瑞(張珙)は和尚に頼んで彼の親族と言い訳してもらい、自分もみずからの父母の供養のためとして法事にもぐりこんだのだった。今回は、そこから先に進んで少し動きがある。法事の後で、反乱軍が押し寄せて寺を囲み、絶世の美女・鶯鶯を主魁の孫飛虎の妻によこせと迫ったのである。与えられた猶予は三日に限られ、それが過ぎたら全員皆殺しという。

■意外な展開に汗握る!?

 ここで主人公の張君瑞に幸運が回ってきた。賊を撃退できた人物には、鶯鶯が自ら嫁ぐと宣言し、もちろん母親も賛成し衆議一致した。これぞ好機と張珙は進み出て、「この近くの蒲関にわが友・杜確将軍が十万の兵を率いて征西大将軍を拝命して駐屯しています。私が一筆書いて頼めば、彼が直ちに賊を追い払ってくれるはず」。実は彼らは故郷で共に学んだ竹馬の友。片や杜氏は文を捨て武に進み、科挙でも武の第一名を獲得、張君瑞はいまだ科挙を目指すしがない学徒に過ぎない。が、兄弟の契りを交わした二人のこと、必ず頼みを聞いてくれるはず。
 包囲されているけど、手紙は誰が届けるのですか……。一同困惑していると、ここで進み出たのが勇僧の恵明という豪傑。勇猛果敢な「破戒僧」で自ら「座禅のすべも心得ず、のっしのっしと殴り込む 虎の窟か龍の淵」(『中国古典文学大系』田中謙二訳「西廂記」による)と謡う強者。

図2 恵明の武勇ぶり 『新校注古本西廂記』の後印本とみられるものに掲載(内閣文庫)

 これは、同じ西廂記の名を冠しているが、ちょっと趣向の違う版本の挿絵だ。ずばり恵明の武勇を誇るポーズがあらわされている。そばに立つのは張君瑞で手には杜確将軍に宛てた救援依頼の手紙を捧げている。右側には崔鶯鶯と彼女の弟が立ち、その横には僧侶らが心配そうに見守っている。この版本は『新校注古本西廂記』(原刊万暦41年)の名で知られる名作で、その挿絵は徽派の頂点の一つを形成している。刊行者は版心に「香雪居」と示され、その地域は西湖のほとり杭州である。つまりは、金陵・建陽とともにトライアングルを作るもう一つの出版中心と言える場所で、ここの作風は徽派でも特に優雅なものだ。
 この版本には錯簡があり、日本にもたらされたのも幕末に近いらしいし、版の状態からみて原刻本ではないと見たときに感じたのである。閲覧したのがはるか昔だから確かなことは言えないが……。 左頁の人物は棍棒のようなものを振り回し、お得意のポーズだが、その名は「魯智深」と見紛う豪傑ぶりで、ここで読者は一瞬水滸伝の世界に迷い込む。これは、香雪居の読者サービスでありまた画家の矜持を誇示したものでもある。風景描写は典型的な庭園の松と寺の高い塀をめぐらし、手前には岩と菊の花を添えている。文人の典雅さを失わない場面に、反対の武勇を表す場面だ。
 ちょっと『水滸伝』を参照してみると、魯智深が腕前を見せびらかす演武の挿絵が見つかった。これは民間美術を大いに奨励していた新中国の一九五〇年代、北京図書館蔵の傑作版画を影印本で出したもので、既に稀覯本であり、また元の本の消息もはっきりしない。私は先年偶然に影印本を手に入れたが、いま見つからないのでかつて影印本をコピーしたものを代わりに掲載する。中央に影が出たのはご愛敬だ。この影印本、陳啓明校訂『水滸全伝挿図』(人民美術出版社 1955年)で魯智深は度々挿絵に登場するが、掲載した「菜園中演武」などが彼らしさをもっともよく表現しているようだ(図3)。この本には、傅揚「明代的木刻版画与『水滸全伝挿図』」などの詳しい解説もあり、関心のある読者には参考になるだろう。
 この版本の刻工は劉君裕という名人で、彼は西遊記の挿絵でも傑出した出来栄えを示している。その名前は『李卓吾先生批評西遊記』にも『金瓶梅詩話』にも登場して知られている。西遊記と水滸伝では挿絵に様々な共通点があるが、それは別の機会に論じよう。

図3 腕力を振るったり棒を駆使したり魯智深(魯達)の活躍ぶり『忠義水滸全伝』より

 「酔入銷金帳」「菜園中演武」はいずれも魯智深(魯達、あだ名は入れ墨によって「花和尚」)の活躍をあらわしたもの。お話は『忠義水滸全伝』、挿図は全百二十図、いわゆる百二十回本の挿絵をまとめたものだ。画工はわからないが刻工は名工劉君裕で、随所に『李卓吾先生批評西遊記』や『金瓶梅詩話』を彷彿とさせる描写が散在している。
 右は、花嫁に化けてやってきたごろつきをこっぴどくやっつけているところ(第五回)。左は、大暴れした五台山の寺を追い出され、開封の寺にやってきたところ菜園(野菜畑)の番人を命じられ、暇で腕が鳴ると一人で棒術の稽古をしているところ(第七回)。その見事さに見物が寄ってきたので、ますます得意になっている魯智深である。このポーズが、上の『新校注古本西廂記』のものに影響しているような気がする。これは魯智深の十八番の姿なのだ。右の画には、胸毛のようなものと腋毛のようなものがあるが、左は肌脱ぎになっていないので、それはない。『忠義水滸全伝』は私の見るところ蘇州刊本だが、『校注古本西廂記』は杭州の刊だ。時間的には『忠義水滸全伝』が先んじているから、西廂記の画工が参考にしたのは無理がないが、それ以前に魯智深のポーズは芝居や謡いものなどの藝能を通じて民間に広く普及していただろう。
 突然武闘派の話題になったが、話を元に戻すと、孫飛虎を杜確将軍が退治するというシーンを描いた『西廂記』がある(図4)。これは我が内閣文庫に秘蔵される版本で、『琵琶記』『北西廂記』を合体した珍本だ。それぞれの版本は独立したものとして知られているが、合体したものは珍しい。それぞれの戯曲が明清時代に如何に人気があったかを示すものだろう(刊行は南京[金陵]の継志斎・陳大来、万暦26年=西暦1598年)

図4 『琵琶記』『北西廂記』の合体本から 内閣文庫蔵

 手紙を受け取った杜確将軍は、直ちに孫飛虎を退治する。勇ましい場面自体は版本テキストにはないが、挿画には立派に描かれている。右半分には、騎馬で駆け抜けていく杜確将軍に腰から下を捕まえられ、被り物を飛ばして髪を乱している孫飛虎の姿が描かれ、左には孫飛虎の乗っていた馬と二人の家来が、なぎなたを振りかざした人物に追われている。時間的な推移を巧みに表現した、動きのある絵になっている。但し、このカットを表す文字は戯曲のト書きに「孫飛虎、兵卒をつれて登場。杜確、兵卒をつれて騎馬のいでたちで登場。しばらく双方の立ち廻りあり、孫飛虎を召し捕って一同退場」(『大系本』「西廂記」)とあるだけで、実際の戯曲で上演されるのでなければ、読み飛ばしてしまう。これを補って、読み手に想像力を駆使させるのがこの挿絵の役割だ。動きは左から右に駆け抜ける騎馬将軍が、左画面で孫飛虎を捕えて、その時に孫飛虎の馬は裸で駆け抜け、二人の家来がびっくりすると同時になぎなたの追撃を受けるというもの。自然と動きが生まれ、躍動する杜確ともがき暴れる孫飛虎が対照的に描写される。
 ついでに言えばこの格闘シーンには、金陵版画の伝統が脈々と流れている。それはこの画面構成で、以下にその源流を示そう(図5)。ここでは張飛が活躍している。関羽は後ろのほうにちらりと姿を現すだけ。なぎなたとひげの形から関羽とすぐわかる。主役の張飛も特徴的なひげ面なので、それなりに判別できる。これは、内閣文庫蔵本の『三国志通俗演義』挿絵で、第22回「関張擒劉岱王忠」の一場面だ。西廂記のものと構図がそっくりなことが分かるだろう。金陵版画ではいかに武闘場面が普遍的だったかが理解できる。恋愛ものの『西廂記』にまでこの作風が伝わっていたのだ。
 この捕り物が終わって、普救寺はようやく平穏になり、約束通り鶯鶯を自分の妻にもらえると思う心のあだ桜……夜半に嵐がやってくる。

図5 『三国志通俗演義』第22回「関張擒劉岱王忠」内閣文庫蔵

■「停婚」…母親鄭氏の裏切りに一同唖然?

 杜確将軍と孫飛虎の捕物のドタバタが終了した後、めでたしめでたしということで宴会が開かれる。紅娘が持参した招待状に舞い上がり、てっきり花嫁と新郎というカップルになれると信じ込んでいた張君瑞、そして同じく母親の言葉を真に受け、自分の宣言通り意中の彼と娶せられると信じていた鶯鶯。招待状を持って君瑞を呼びに行った紅娘。ところが母は「鶯鶯、お兄様にお酒を注いで挨拶なさい」と突然の命令。三人とも一瞬意味が分かりかねるものの、これは兄弟になると結婚できない、つまり婚礼を取りやめるとのむごい言葉で、二人の仲は引き裂かれる。実は、早くから鶯鶯はいとこと婚約してあったが、父親の喪中などでことが遅れていただけ、という言い訳で、母は君瑞に金を払おうとする。つまり金で片付けようという思惑だ。もちろん君瑞は辞したが、それよりもショックが大きい。旧時代の厳しい親子関係が分からないと、ここは理解しづらい。親の言うことは絶対なのだ。
 この場面「母氏停婚」の挿絵は、実は内閣文庫の西廂記には欠けている。そこで兄弟本の「劉龍田本」(古本戯曲叢刊)から借りて掲載しよう。構図が縦長で人物が入り組んで分かりにくいが、たくさん並んだ漢字からストーリーが読み取れる工夫がある。

図6 「母氏停婚」『劉龍田本』

 「張君瑞尋盟赴宴図夫妻好合」「崔夫人背徳停婚改兄妹称呼」。つまり二人を兄と妹にして、約束に背き結婚はさせないとの母のきつい意向なのだ。君瑞が友人杜確に手紙を書き普救寺を危急から救った際のあの約束は如何するのか。既に述べたが、実は鶯鶯はいとこの鄭恒と早くから婚約がしてあり、今まで父の喪中ゆえに遅れていただけ、との開き直った母親の言い訳に三人とも二度びっくり。描かれた人物は左から鶯鶯、母親、紅娘、君瑞で、母親の表情からは意地の悪さが読み取れる。髪形や人物の大きさから女性を判別できる。

図7 「母氏停婚」の挿絵。『琵琶記』『西廂記』合体本、内閣文庫蔵

 もう一つ、内閣文庫の見開きの金陵刊本(合体本の『重校北西廂記』)から、横長のものを紹介しよう。これはくだんの「停婚」宣言の後、母親が紅娘に命じて酔った張君瑞を居室に連れて帰るように命じたところだ。劉龍田本のなかに描写された時間より、あとの情景が描かれている。画面には全く文字がないので、人物の関係など分かりにくい。文字がないのは、より知的な上の階層の読者を狙ったことが考えられる。描線が繊細で緩やか、いわゆる徽派版画の特色をよく出している。「徽派」とは安徽省の黄氏刻工集団を指すことばで、彼らの精細で優美な作風は、次第に各地に広がったのである。金陵の版画もこの時期は徽派版画が主流という状況に移行していたと言えるだろう。それに比べると、建陽の劉龍田などの作風は、古い金陵版画の雰囲気をよく残しているのだ。その後、次第に建陽も徽派が中心になる。
 挿絵としての優雅さは断然徽派のものが勝っている。時間的にはこの西廂記の金陵本は十年以上も後のものだし、刊行地の歴史や風土を考慮すれば当然のことだろう。金陵は都として貴族も知識人も多く歴史・文化的に蓄積もある優れた地域だ。だから、自然と繊細さや優美さが歓迎されたのである。福建・建陽はむしろ全国向けの営利出版で(やや粗製乱造気味との評もあり)、大量生産が名高い商業地だからだ。受容層を考えれば、それぞれ当然ともいえる違いだろう。
 
 さてこの「停婚」の結果がどうなるかは、次回で説明することにさせていただく。

(たきもと・ひろゆき 著述家、中国版画研究家)

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