中国蔵書家のはなし 第Ⅱ部第9回

投稿者: | 2023年1月16日

蔵書家と蔵書の源流 ─山東省─(9)

髙橋 智

 山東の蔵書家で忘れてはならない人がいる。臨清(聊城の北、河北省との境)の人、徐坊である。徐坊は、清同治3年(1864)生、民国5年(1916)没、享年53歳、字は士言・矩庵、号は梧生・蒿庵。恰も外国勢力と向き合う多難な時期を生きた。また、古典籍の世界では、蔵書家の活動が公共性を持ち、中国に初めて近代図書館が設立される新しい時代を迎えた時であった。父の職を継いで官にあったが、清末に近代図書館の基礎となった学部の尚書・栄慶の推薦を受けて国子丞となり、宣統1年(1909)に設立された京師図書館の副監督となった。徐氏は幼少より書として読まざる無しという学才を顕していたが、この時を契機に、古籍善本を整理保存する仕事の第一線に身を置くこととなったようである。
 この図書館は、いうまでもなく現在の中国国家図書館の前身で、当初は北京北城、什刹海后海の北に位置する広化寺を居処として善本の収集が始まった。これより先、光緒33年(1907)、南京に江南図書館(南京図書館の前身)が創設され、この二所が中国の図書館事業を牽引することとなった。そして、この事業の指導に当たったのが、版本学の権威・繆荃孫(1844~1919)であった。繆氏は両所の監督となり、京師でその補佐を受け持ったのが徐氏であった。徐氏は図書館事業だけでなく、版本学についても繆氏とともに並び称される蔵書家であった。繆氏は、京師図書館の基礎となった学部図書館の蔵書目録を編纂、館蔵宋・元版の見本(留真譜)等も作製したが、それに徐氏の力が預かって大きかったことは想像に難くない。
 光緒年間、京師で善本収集の蔵書活動で著名であったのは、潘祖蔭(1830~1890)を始めとして翁同龢(1830~1904)、張之洞(1837~1909)、文廷式(1856~1904)、汪鳴鑾(1839~1907)、黄紹箕(1854~1907)、盛昱(1850~1900)といった名だたる蔵書家で、彼らは同時に清廷に仕える高官達であった。徐坊はこうした中で、繆荃孫の知己を得て収蔵に励み、とりわけ宋元版の架蔵に富んでいった。しかし、秘して人に見せることを好まず、その善本は、当時の親しい蔵書家の間でも、目賭することを得なかったといわれる。
 清朝の後期において蔵書家の活動にどのような変化が起きてきたか、少しく述べてみよう。とはいえ、その起源をたどれば清朝の前期にいたるが、蔵書家・曹溶(1613~1685)が『流通古書約』という一文を伝えたことに始まるといっても過言ではない。ここには、蔵書家どうしが蔵書を出し合ってそれぞれが所蔵していないものを借りて抄写し、欠を補い合うことが提案されている。それは複本が多ければ散佚を避けることができるという、典籍の保存を前提とした考案であった。この理念を、後年、蔵書の公共性に敷衍したのが、繆荃孫であり、張之洞の強い指示のもとに公共図書館の開設へと繋がっていくのである。実際にこの理念を自らの蔵書をもとに実践した蔵書家に、浙江会稽(紹興)の徐樹蘭(1837~1902)がいた。徐氏は古越蔵書楼を建設し、蔵書7万数千巻を一般に公開した。しかし、蔵書家個人の活動には限りがあり、膨大な典籍の保存を永久に継続することはけして保証されるものではなかった。名だたる蔵書も散じて、収集の意図が忘れられていく運命を辿るのが常であった。ここに、国家の経費をもって蔵書家の善本を集め保存・公開する方途として公共図書館の必要性がうたわれるようになったのである。勿論、その理念の一方には、津々浦々までに知識教養の波を広げることも大いにあったのであるが、古籍文化や宮廷文化を基盤とする中国知識人達にとっては、古籍善本に於ける蔵書活動の軌跡を伝え続けることが何より大切な目的であったろう。
 かといって、蔵書家の全てがこうした潮流に賛同していたわけではない。江蘇常熟の大蔵書家・瞿啓甲の鉄琴銅剣楼に対して、張之洞が京師図書館による蔵書の購入をこいねがったものの、それは果たされなかった。蔵書家が精魂を傾けて愛蔵した天下の孤本を、公共性に委ねるには、いましばらくの時を待たねばならなかったのである。
 徐坊は光緒26年庚子(1900)に、京師で義和団の乱、外国勢力八か国連合軍の蹂躙に遭遇した。その際に宮廷の典籍が多く失われるのを目の当たりにし、また自らの宋刻本も憂き目に遭っている。一時京師を離れ、その翌年に返京、国子丞となって、繆荃孫のもとで公共図書館の京師図書館を設立監督していくこととなったが、その道程、蔵書家としての徐坊の感慨はどのようなものであったろう。
 民国になって皇帝師陸潤庠(1841~1915)を引き継いで宮中内毓清宮行走となったが、翌年に死去した。その蔵書は子孫に受け継がれることなく散った。売却されたものは、時の大蔵書家・傅増湘(1872~1950)に帰したものが少なくない。傅氏の経眼録には徐坊の旧蔵書についての言及がしばしば見える。
 その最も著名なものが、図に示す天下の孤本、『周易正義』である。驚くほどの高額であったようだ。『周易』をはじめ『五経』には唐の孔穎達(574~648)の注釈『五経正義』(疏)があるが、現存する最も古いテキストである。現蔵は中国国家図書館。

宋刊本単疏本『周易正義』巻頭

(たかはし・さとし 慶應義塾大学)

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