香港本屋めぐり 第19回

投稿者: | 2023年1月10日

Hiding Place <中国語店名:舎下(セーハー)>

 

香港島の山の中腹にある香港大学から坂を下り電車(香港トラム)の走る大通りに至る途中に、袋小路となっている短い通り——保徳街がある。ここはもともと小さな自動車修理工場が並んでいた。それは今も一部が残っているが、最近若者が集うカフェが何軒かオープンし、特に週末は賑わっている。その一角に、一昨年(2021年)8月に開店した書店が Hiding Place—中国語の店名は「舍下」—だ。

留下書舎のある旺角西洋菜街南

保徳街を両端から撮ったもの

▼4人の若者が共同で立ち上げた書店

この書店の創業者は、マイケルとガブリエルの双子の兄弟、そしてジョアンとケニスの夫婦、計4人だ。
2021年初頭、アメリカで仕事をしていたマイケルが香港に戻り、香港島の西環というエリアにガブリエルと共に住むことになった。マイケルとジョアンは共に香港大学で学んだ仲。たまたま近くに住んでいることが分かり、食事を共にしながら語り合う機会が多くなった。
「今の香港で暮らすのは、いろいろと課題が多いよね。こうした状況の中で、何か一緒にできることがあるといいね、香港人のために」
3月からこうした話題が持ち上がった。皆が読書を趣味の一つとし、価値観も近いことから、4月に「4人で書店を開こう」ということで話がまとまった。

「話し合いの中で、書店の構想が固まっていきました。
・大量の本を置くのではなく、自分たちが読んで人にも勧めたいと思う本を売ろう
・店内に、様々なイベントを行えるスペースを作ろう
ということです」とマイケルさん。

4人共に書店や出版業界での経験はないので、4月からの準備期間に本を仕入れるルートを学び、どのようなイベントを催すかを検討した。そして書店経営のための法人登記、店舗物件の選択、内装工事などが進み、7月にソフトオープン、8月に正式開店となった。
書店の開業資金は4人が持ち寄った。「スポンサーを探すことは考えなかったのでしょうか?」という質問に「そのアイデアはなかったです。でも、僕たちの考え方に賛同してくれるなら、投資は大歓迎です(笑)」と。

留下書舎のある旺角西洋菜街南

留下書舎のある旺角西洋菜街南

留下書舎のある旺角西洋菜街南

書店の外観と店内

▼「隠れ家」を意味する店名「Hiding Place」の由来

店名の由来をマイケルさんが語ってくれた。
「オランダ人作家のコーリー・テン・ブーム(1892~1983年)の作品『The Hiding Place』(邦題:わたしの隠れ場)から取りました。第2次世界大戦中、オランダの田舎町の家でユダヤ人を匿った物語です。
歴史的に香港人は常に様々な問題に直面しながら生きてきました。今も同様です、特にここ数年は。こうした状況の中で、心を落ち着け、気兼ねなく本が読める場所を提供したいと考えたのです。『避風塘』(香港の港にある船舶のための台風シェルター)のように」
まず英語の店名が決まり、中国語名もあった方がいいということで考えたのが「家」を意味する「舎下」。「舎」の字が三角屋根の家屋のようにも見え、書店のロゴはこの字をもとにデザインした。

留下書舎のある旺角西洋菜街南

右上が書店のロゴ

▼店舗の場所選び

Hiding Placeのある保徳街は少し広めの路地という感じの道で、突き当たりは袋小路で車は通り抜けられない。ここを選んだ理由を尋ねてみた。

「3点あります。まず4人の家から近いということ。今はフルタイムの書店員フランシスさんがいますが、以前は4人が順番に店番をしていて、距離的に便利なのです。
また、香港大学で学んでいたこともあり、このエリアに思い入れがあります。
最も重要なのは、この地域に他の書店がないということですね。書店がないからこそ、この地域の皆さんに本を選ぶ機会を提供しようと思いました。また、近くに書店があればその競合相手になってしまう。香港全体の書店業界を考えれば、それは好ましいことではないですね」

この通りにカフェなどが開かれる前は、自動車を修理に持ち込む人か、住民しか通ることのない道だった。今でも道の構造上「通りすがりに店に入る人」は少なく、SNSなどで書店の存在を知った人が「わざわざ来てくれる」ことが多いという。なので、そうした人たちが「心を落ち着けて本が読めるように」と、大きなベンチ型の椅子が店の多くを占めている。

留下書舎のある旺角西洋菜街南

▼イベント開催

開店とほぼ同時にイベントをスタートさせた。それは新刊書の著者のトークショーだった。こうしたイベントは、店頭に置く本の選択にも関係している。

「僕たちはここに来てくれる人たちに、それぞれの本を具体的に紹介したいと思っています。『自分が読んでみて、勧めたいと思った本だけを置く』ということです。ですからご覧のように書架やテーブルに置いてある本は少ないですよね」

開店当初は「10種類の本だけを売る」方針だったが、今はそれよりは少し多い。基本的に、4人のうち少なくとも1人が読み、感銘を受けた本だけが売られている。だからこそ、来店者に本を自信をもって紹介できる。
創業者4人はそれぞれ読書の好みが異なる。アート・ファンがいて小説好きがいる。実際の必要から子育てに関する本をよく読む人がいる。冊数は少なくても分野は多岐に及ぶ。基本的には地元香港の作家の新刊書を推していきたいと考えている。

「イベントについては、そのようにして読んだ本の著者と連絡を取り、その本についての読書会の企画に賛同してくれれば招待して、参加者を募ります」
しかし、店頭に並べる本が少ないということは、本の売り上げも多くはないということにはならないのだろうか。
「本をたくさん置いても、売れない本がいつまでも残るのでは勿体無いと思います。たしかに本の売上は多くはありませんが、その分、イベントなどの収入で収支のバランスを取ることができるようになりました。僕たちがもっと本を読めれば、店頭の本は増えるかもしれませんね(笑)」

開店してしばらくは無料のイベントが多かった。今では有料のイベントが増えている。
「イベント開催には様々な実費もかかります。また最近では手作りの講習のようなイベントも開催しており、材料費もいただかなければなりません。ですので、今は実費プラスアルファーの参加費をいただいています。また、店内のスペースを外部に貸し出すこともあり、そうした収入も含めて書店経営はなんとか軌道に乗るようになりました」

2023年は作家の他に、読者のみによる読書会を月に1回ほど開催していく予定とのことだ。この書店の空間を活用して読書体験を香港に少しでも広げていきたいと考えている。
店名にある「Hiding」とは異なり、実際にはとても「Open」な書店なのだ。

 

▼移民について

最後に、今の香港で話題に——あるいは「問題」となっている移民について尋ねた。移民を考えたことはないのだろうか。
マイケルさんは答えた。
「こんにちの香港で、移民を全く考えたことがないという人はごく少数でしょう。でも僕たち自身は、この書店をできるだけ充実させるために香港に留まろうと決めました。
ただ、Hiding Placeをいつまでも続く老舗にしようとは思っていません。僕たちが果たせる役割があるのなら、その間は続けようということです」

香港を形容する有名な言葉に「Borrowed place, borrowed time」(借りものの場所、借りものの時間)がある。1997年、この「借りもの」は返還された。しかし今、「Hiding Place」(隠れ場)が求められるというある種の皮肉な事態もある。しかもこの「隠れ場」は永続するのではなく終わりが未定の期間限定だ。本屋ファンとしては、多くの書店の経営が長く続くことを願うが、「Hiding Place」が不要となる時代の訪れも期待したいと思う。

留下書舎のある旺角西洋菜街南

お勧めの本を手に、インタビューに応じてくれた兄弟、マイケルさん(中央)とガブリエルさん。書店員のフランシスさん

(取材日:2022年12月13日)

※2023/9/4 追記

この回で、次の店主の言葉を紹介しました。
「Hiding Placeをいつまでも続く老舗にしようとは思っていません。
僕たちが果たせる役割があるのなら、その間は続けようということです」
この「予告」通りということか、この書店は先月——2023年8月に
残念ながら閉店しました。

 

▼おすすめの本

  • マイケルさん

『根莖葉花』

編者:閱讀時代
著者:香港の作家たち
出版社:閱讀時代
初版:2022年10月
ISBN︰9789887650607

 

九龍を東西に走る道「太子道西」に花墟(フラワーマーケット)と呼ばれる一角があり、多くの花屋が集中している。
この地域にある書店「閲読時代」が地元フラワーマーケットを舞台にしたフィクションを香港の作家たちに書いてもらい、さらにフィールドワークの成果、地元の人たちへのインタビューをまとめ、自ら出版した1冊。

 

  • ガブリエルさん

『福音叫人有活著的勇氣』

著者:思路・豐(ペンネーム)
出版社:香港基督徒學生福音團契
初版:2022年10月
ISBN:9789628991785

 

隘路に迷い込んだような今日の香港社会において、福音と聖書はどのような意味を持つだろうか。神学を学ぶ著者が今日の教会や社会への批判も交えながら、信仰の持つ力を考える。

 

  • フランシスさん

『妳想活出怎樣的人生?』

著者:上野千鶴子
翻訳者:陳介
出版社:這邊出版(台湾)
初版:2022年8月
ISBN:9786269600342

 

『女の子はどう生きるか——教えて、上野先生!』の台湾で出版された中国語版。
日本の女の子たちが抱く生きづらさに関する質問に著者が一つ一つ丁寧に答えたものをまとめた本だが、それは今の香港においても有益だ。

 

▼Hiding Place

住所:西環保德街27號地下(2023年8月閉店)
Instagram:
https://www.instagram.com/hidingplace.hk/

 

Google Map 香港本屋めぐりMAP

 

写真:大久保健

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大久保健(おおくぼ・たけし) 1959年北海道生まれ。香港中文大学日本学及び日本語教育学修士課程修了、学位取得。 深圳・香港での企業内翻訳業務を経て、フリーランスの翻訳者。 日本語読者に紹介するべき良書はないかと香港の地元書籍に目配。

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