Bleak House Books 清明堂(チェンメントン)

店主のAlbertさん。好きな作家はジョージ・オーウェル。村上春樹もよく読んでいて、『ねじまき鳥クロニクル』が一番印象に残っているとか。
・多くの香港人に愛された書店
10月15日、多くの人々に惜しまれながら1軒の書店が店を閉じた――「Bleak House Books(清明堂)」が洋書を扱う独立書店として開業したのは2017 年2月。マーケット屋台への短期出店やオンラインショップなどを経て、実店舗としてはわずか3年余りの営業であったが、本好きの知人や書店員に好きな本屋を尋ねると、必ず名前が挙がってくるのが、この「Bleak House Books」であった。連載で紹介する頃には、すでに閉店してしまっているが、香港人に愛された書店の“記憶”として紹介したい。

新蒲崗(サンポウゴン)は昔から大小様々な工場がビルに入居する香港の工業エリア。写真の左奥の高層ビルにBleak House Booksが入る。他の独立書店同様、看板は出ていない。
・Albertさん流の書店とは
店主はアメリカ移民2世のAlbert Wan(溫敬豪)さん。両親が1970年代に香港からアメリカに移住後、生まれたのがAlbertさんだ。子供時代から学生、社会人、結婚、子育てと人生のほとんどをアメリカで過ごし、弁護士として活躍していたが、妻で歴史学者のJennyさんが香港の大学に教授の職を得たのをきっかけに、2016年末に香港に引っ越してきた。
「アメリカで弁護士としてやり遂げた感があったので、香港では別の仕事をしてみようと思っていました。ですが、なかなかしっくりくるのが見つからず……私も妻も大の本好きなので、ならばと書店を開くことにしたのです」
しかし、本を売るだけの書店に留まらなかったのがAlbertさんらしい。
「書店は、本の販売やさまざまな活動を通じて、対話を促進する場所になったり人々が出会う場になったりと、地域コミュニティの中で重要な役割を担っています。Bleak House Booksでは、この点に重きを置いています。また書店があることで、私も地域とつながることもできますしね」
店名になっている「Bleak House」とは、チャールズ・ディケンズの小説『荒涼館(Bleak House)』からの命名だ。
「『荒涼館』はイギリスにおける訴訟制度を風刺した作品です。自分の弁護士時代を彷彿とさせるので、店名に選びました。中国語名の『清明堂』も法律に関係があります。中国の法制史に詳しい友人に聞いたところ、中国で法整備が比較的優れていたのは、明と清の時代であったと教えてくれました。店名はここからきています」
冒頭で紹介した通り、本好きの間ではBleak House Booksファンという人が多い。どこが好まれる理由かとAlbertさん本人に聞いてみると、「よく分かりませんが、ただこの店に入ると、『家に帰ってきたような気分になる』『居心地が良い』という声を聞いたことがあります」とはにかんだ。
「店内のデザインは、妻と私でやりました。私自身本屋めぐりが好きなので、あの書店からここを、向こうの書店からここをと組み合わせています(笑)。最もこだわったのは本棚と照明。本棚の中にはオーダーメイドしたものもありますよ。照明はIKEAで買った安いものですが、職人さんに特別に加工してもらいました」
・コミュニティ重視の活動を
店内には4千冊余りの本があり、うち8割が古書になるそうだ(5月取材時点)。
「コロナ以前は、外国に行った時に本を買い、香港に送るということをしていましたが、今はできないので、新書の割合が増えてきています。最近のちょっと変わった入手ルートとしては、店の存在を知って、自分の本を持ってきてくれる人もいます。しかし香港は高温多湿という天候の関係もあり、本のコンディションはあまり良くありません。でも今はコロナで海外に出られないので、他のチョイスはありませんね」
店内には、ヴィンテージのペーパーバックやハードカバーなどの素晴らしいコレクションから、絵本や児童書も並ぶ。
「選書は、私が売りたい本というのが基本になりますが、やはり地域コミュニティがどのようなことに興味を持ち、どのような本を求めているかというのによります。売れ筋や話題の書などを売るのは、私たちのビジネスモデルではありません。取り扱っているのは洋書ですが、中文書も少なからず置いています。中文書は、地元香港の作家の作品や香港カルチャーを扱った雑誌などです。
置いているのが洋書になるので、客層は香港在住の欧米人がメインになるだろうと踏んでいました。確かに始めのうちはそうでしたが、そのうちに地元香港の人も来てくれるようになりました。今では香港人のほうが多いでしょうか」
コロナ以前は、2週間に1度のペースで、読書会やトークイベントを精力的に開催していた。
「以前、香港の作家Carmen Suen(孫嘉雯)氏をゲストに招いて、洋書のペーパーバック『Hong Kong Noir』に関するトークイベントを開きました。この本は香港ローカルのライター数名が、様々なロケーションでそれぞれの物語を綴ったものです。また社会問題に関する講演会も開催したことがあります。コロナ禍が落ち着いたら、こういった活動を再開したいですね。しかし、以前に比べ今は、コロナ感染防止のための人数制限や国安法(国家安全維持法)のことなど、多くのプレッシャーがあります」
Albertさんは、時折、新聞のコラムや書店のSNSに記事を書き、現状に対して発言してきた。
「書店として、ここ香港で起きていることに対して明確なスタンスをとっています。そうしなければ良かった、しなくても良かったと思うこともあります。しかし、弁護士としてこのような件に取り組んできた私にとって、そこから引き下がることはできません」
・Albertさんが考える独立書店の役割
香港はこの数年、デモにコロナに国安法と、社会は大きく変化してきた。そんな中、Albertさんは、独立書店の役割や重要性をどう考えているのだろうか。
「難しいことですが、これまでやってきた、またやりたいと考えてきたことを続けていくことが大事だと思います。『この本はもう売らない。警察がやってくるのではと心配だ』『こういうことをSNSに投稿すると批判されるのではないか』ということもあるかもしれないが、一歩ずつ進めていたことをこれからも維持することではないでしょうか。何か特別なことをする必要はないが、でも重要なのは自分が声を発し続けることだと思います」
書店としての魅力はもちろんだが、地域コミュニティを大事にし、自分の信念を通すAlbertさんの姿が、多くの香港人を惹きつけてきた理由かもしれない。
・Bleak House Booksが残したもの
8月下旬、香港の独立書店界に大きな衝撃が走った。Bleak House Booksが閉店を発表したのだ。店のHPには『The Last Memo』と題した投稿があり、Albertさんが閉店を選択した理由や心情を語っている。書店は10月15日の閉店まで従来通りの営業が続き、最終日には多くのメディアが取材に訪れていた。
残念ながら、Bleak House Booksは閉店してしまったが、その一方で、新しい独立書店も生まれている。そのどこかに、Bleak House Booksの精神は引き継がれているのではないだろうか。
(取材日:5月17日)

閉店日間近(10月)の店内。多くのファンが訪れていた。
▼今回訪ねた書店
Bleak House Books 清明堂(現在、閉店)
九龍新蒲崗八達街9號27樓05室
Unit 2705, 27/F, Well Tech Centre, 9 Pat Tat Street, San Po Kong, Kowloon, Hong Kong
https://www.bleakhousebooks.com.hk/
https://www.facebook.com/bleakhousebooks/
https://www.instagram.com/bleakhousebookshk/
▼今回紹介した本
Hong Kong Noir
編著:Jason Y. Ng他
出版社:Akashic Books
刊行:2018年12月
英語、 256ページ
ISBN: 978-1617756726
写真:大久保健・和泉日実子
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和泉日実子(いずみ・ひみこ)
1974年生まれ。筑波大学大学院芸術研究科修了。東京、北京で出版社勤務後、2018年より香港在住。趣味の街歩きを通して、香港の独立書店やロケ地めぐりをしている。ブログ「香港書店めぐり。時々…」。