『私がクリスチャンになるまで』「惜の決意」

投稿者: | 2021年8月23日

私がクリスチャンになるまで
 清末中国の女性とその暮らし
アデル・M・フィールド著/蒲豊彦訳
2021年9月上旬刊行予定
四六判/256頁/税込2970円978-4-497-22111-7

 

第一部 女性が語る女性の物語  より
惜の決意

 三一年前、私はロポイの村で生まれました。父は私が生まれる直前に亡くなりましたが、母を助けて家族を支える兄たちがいました。一六歳のとき、私は家から一リーグ〔四・八キロメートル〕のところにあるかん*1に嫁入りしました。母は、その婚約で二八ドルと、結婚のときには一八ドル以上に相当する練り菓子と菓子類二〇〇ポンド〔九〇キログラム〕を手にしました。今では、嫁のためにそのころの二倍ほどの金額を支払います。これはお金がもっと増えたせいなのか、女の子が足りなくなったせいなのか分かりません。

 夫は五人の息子の中の次男で、私より一六歳上でした。最初、夫のことを好きでも嫌いでもありませんでした。義母は私に親切で、義姉も優しくしてくれました。最初、家のことをどうこうしろと言うほかは、夫は私にめったにしゃべり掛けませんでした。互いによく知るようになってから、こっそりと一緒に話をしました。ただ、人の目があるときは決してしません。この国では若い夫婦は、夫の父母や家族の年長者がいるところでは互いに話をしないものなのです。私たちは自分たちの部屋で、家族や近所のことについてよく話をしました。

 最初の子は男の子でしたが、たった数日で死んでしまい、二歳の小さな女の子を養子にして、死んだ子の代わりに育てました。翌年、私の唯一のもう一人の子ども、息子の完が生まれました。

 はじめのころ夫はまじめでしたが、突然、賭博にはまり、それが六年間続きました。お金をたくさん失い、借金を作り、とても機嫌が悪かったものです。七年ほど前、夫方の叔母・銀花*2が信者になりました。彼女が私のところにやってきてほんとうの神について話しましたが、この村には彼女のように信じる人はほかに誰もおらず、みんながその宗教をあざ笑い、それを説く彼女を嫌いました。以前は、私はよく叔母と過ごしていましたが、彼女が信者になってから三年間は一度も彼女の家に行かず、めったに話し掛けもしませんでした。ところがある晩、奇妙な夢を見ました。空全体が炎につつまれ、どこもかしこも人々が泣き、叫んでいます。起き上がってドアの外に出てみると、そこには叔母の銀花が立ち、静かに空を見上げていました。その服は全体がきらきらと美しく輝いていました。私は叔母の横に跪き、その服のへりを握って言いました。「救われるにはどうしたらいいの」。そのときすさまじい音がして、私は目が覚めました。

 それ以来、そんな夢を見たことが不思議で、気になって仕方なかったため、ついに銀花おばさんに話しに行きました。叔母は、神が世の中に審判を下し、すべてが焼き尽くされる日が来ると言います。彼女はほんとうの教えについていろいろ語り、私はそれを全部、夫に話しました。夫は、一〇マイル〔一六キロメートル〕離れた県城の礼拝堂へ行って、そこで教えていることが良いことか悪いことか自分で見てくると言って、二回、日曜日に出掛け、もし行きたいなら私も行っていいと言いました。夫は間もなく賭博をやめて別人のようになりました。賭け事をしているときはひどく機嫌が悪かったのですが、入信してからは言い表せないほど良い人間になりました。

 五ヵ月後、夫はこっそりシンガポールへ行きました。坎下村で六〇ドルの借金があり、行ってしまうことに気付けば私が泣き出し、また出発することが貸主に見付かってじゃまされるかもしれないと思ったのです。そこで私に黙って出掛けたのですが、すぐに手紙で、自分がどこにいるかを知らせてきました。私は礼拝堂に通い続け、四年前に洗礼を受けました。そして福音書を読むことを学び、主の教えを携えてこれまでに七〇ヵ村を回りました。どれほどの女性が信じてくれたのかは分かりません。私の言葉によって信者になった人は、ほんの少しでしょう。

 今では娘は一二歳で、学校に上がっています*3。ぜひ信者と婚約させ、決して足を縛らせないようにしなければなりません。娘に立派な夫を見付けるのはむずかしいものです。いつも会いたいので遠くへはやれない。娘もその子どもたちも食べ物にありつけるように、土地を持っているか、商売をしている人と結婚するのがいい。そして義母が優しくしてくれるような所がいい。大切なことが全部そろっている家を見付けるのはむずかしいことです。信者がもっと増えれば、娘にたいする信者の両親の義務は、もっと簡単に果たされるようになるでしょう。

 息子は現在九歳で、学校に通っています。三回、洗礼に志願しましたが、教会員になるにはまだ小さすぎると教友たちが言っており、しばらく待たなければなりません。

 夫は今、シンガポールで月に六ドル稼ぎ、去年は家に四〇ドル送ってくれました。いま、夫の借金の最後の一ドルをちょうど支払ったところで、夫は間もなく家に戻ると言っています。私は毎日、夫のために、そして夫がすぐに帰ってくるように、祈っています。帰ってきて、説教の勉強をしてほしいのです。夫は今ではとてもよく読むことができ、私に送ってくれる手紙は全部、自分で書いています*4。彼が戻るころ、私はまだバイブル・ウーマンをやっているでしょう。もし家で夫と暮らしていたなら、親戚や近所の人に教えることはできたでしょうが、いまやっているほどたくさんの人に教えることはできません。夫には、帰ってきて伝道師になってほしいと思います*5。そうなれば私はほんとうに幸せです。将来のことについてはあまり計画を立てませんが神が私のためにすべてを整えてくださると信じています。

*1  ロポイとともに掲陽県内の村と思われるが位置は不明。
*2  一八六九年に四四歳で洗礼を受け、のちにバイブル・ウーマンとなる。
*3  女の子が通える学校はなかったため、これは教会が設置した学校と思われる。
*4  当時の庶民の識字率は非常に低く、手紙は通常、代筆屋に依頼した。本書「言語、文学、民話」を参照のこと。
*5  伝道師やバイブル・ウーマンにはミッションから給与が支払われた。バイブル・ウーマンはたとえば一八八七年には月に一ドル受け取っていた。このほか、中国人牧師や小冊子売りなどを含め、これらはミッションが中国にもたらした新しい職業であった。

 

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