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| 微観中国 |
(7) 中国の硬骨メディア研究者が見るネットメディア |
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中国の著名なメディア学者、孫旭培先生が執筆された「中国における報道の自由 その展開と命運」(桜美林大学北東アジア総合研究所刊)がこのほど出版された。
本書によれば、孫先生は1944年安徽省生まれ、人民日報記者などを経て中国社会科学院新聞研究所研究員、研究所長、華中科技大特任教授などを歴任した。翻訳したのは高井潔司桜美林大教授、西茹北海道大准教授、及川淳子桜美林大北東アジア総合研究所客員研究員ら、メディア研究では旧知の方々ばかりだ。400ページ以上の大著をボランティアで翻訳されたそうで、ご努力と熱意に頭が下がる。
後書きによれば、当初は日本と中国の同時出版を計画していたが、出版社が当局の意向をおもんばかり、孫先生に「出版社の今後の存亡を考慮すると、この本は出版できなくなった」と言ってきたという。
この本の何がそれほど問題なのかは後で述べるとして、本書出版のきっかけとなったのは2005年東京で開かれた中国の新興メディアに関するシンポジウムで、孫先生が「都市報 中国新聞業界における最も意義ある改革」のテーマで新興商業紙、都市報についてご報告されたことである。高井先生や筆者は当時、日中コミュニケーション研究会(JCC)のメンバーとして、中国から孫先生らメディア研究者や一線で活躍するジャーナリストを呼び、シンポジウム等の形式で交流を進めていた。孫先生には筆者も一度お会いしていが、大変温厚な方であったことを記憶している。そして本書は孫先生の中国メディア研究者としての研究の集大成と位置づけたものだが、中国の報道の自由の重要性とともにインターネット、ソーシャルメディアが中国のコミュニケーション文化に大きな役割を果たしている点を指摘しているので、本コラムで紹介したい。
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本書が中国で出版ができない最大の理由は、毛沢東をはじめとする中国共産党のメディア政策を大胆に否定したからだ。本書によると、中国共産党は政権を奪取する前、そのメディアを通じて民主や言論、報道の自由を主張、国民党政権がこれを奪っているとして批判した。ところが1949年に中華人民共和国が成立すると、共産党は言論・集会・結社の自由を実現するとの約束を反故にしたのである。毛沢東は「階級が消滅するまで、新聞、出版、放送、通信社はいずれも階級性を持ち、特定の階級のために奉仕しているのであり、ブルジョワ階級の報道の自由は嘘である」(116ページ)などと階級闘争を言論、報道の自由にも当てはめ、これを制限することを正当化した。共産党が政権をとれば民主や自由が約束されると信じた若者や知識人は裏切られ、民主と自由はまさに「捨て石」にされたのである。
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本書によれば、1993年に中国の汕頭出版社が「歴史的先声―50年前の荘厳な約束」という本を出版した。内容は共産党が重慶で出版した「新華日報」と(根拠地だった)延安で創刊した「解放日報」紙上の自由と民主に関する社説などを集めたものだったが、その結果この本が迎えた運命は本の回収と発行停止だった。孫先生はこの本を著者から取り寄せ、その内容を紹介し次のように論じた。「共産党が政権を奪取する前、その民主観念と国際上通用していた民主観念には決してそれほどの差はなく、共産党は正にこうした荘厳な約束を用いて進歩的な青年たちを延安に引き寄せ、全国の人民を自身の周囲に団結させたのである。『言必信、信必果(言った以上は必ず実行し、実行する以上は断固としてやる)という言葉がある。政治倫理を大切にする政党が、どうして人々がこうした約束を提起するのを恐れるのか、またこの荘厳な約束を収集した書物を回収するような行為をどのようにして正当化できるのだろうか」(59ページ、原著の訳文は一部修正した)。本書ではこのように共産党の言論政策を厳しく批判するなど、孫先生の決して体制におもねることのない硬骨漢ぶりが随所に現れている。
国民党政権時代には限定的ではあるが報道の自由を得た中国メディアは、共産党政権により抑圧され、人民日報に代表される党の宣伝機関と化した。大躍進(1958年)時代、虚偽の報道により農作物の収穫や鉄鋼生産の成果が過大に報道され、その後3年の自然災害と呼ばれる大規模な飢饉を生んだことや、毛沢東の神格化が行われた文化大革命(66-76年)で、「毛主席の教えに背いた」として多くの知識人や政治家が迫害され、社会に大混乱を生んだことが、様々な実例を挙げて書かれている。
このようなメディアの状況は、改革開放時代に入り、報道の自由を保障する報道法制定の動きなど、改善の兆しも見られたが、天安門事件でこうした動きは萎縮してしまった。今日に至るも報道法は制定されておらず、「市場経済は必ずしも報道の自由をもたらさない」という孫先生の指摘は、非常に鋭い。
本書は毛沢東が残した次の言葉を紹介している。「新聞(新しいニュース)もあれば旧聞(古いニュース)もあり、更には不聞(報道しないニュース)もある」。つまり自由に報道できるニュースだけでなく、故意にタイムリーに報道せず、古くなってから伝える、さらには全く伝えないかの3種類であり、この「教え」は現代でも政府系メディアによって守られているのだ。先日も来日した中国広東省の大手メディアの記者と交流する機会があったが、日々広東省宣伝部から送られてくるというメールの画面を見せてもらった。今行われている薄煕来元重慶市書記の裁判に関して、「新華社の記事のみを使用せよ」といった内容だった。 |
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重慶市の前党書記、薄煕来の失脚 |
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このようにメディア改革が遅々として進まない状況で、中国では特殊なコミュニケーション環境が生まれたと言うのが、本書の興味深い指摘だ。すなわちコミュニケーションには大きく分けてパーソナルコミュニケーション(個人間)とマスコミュニケーションの2つがあるが、中国の政治文化において、指導者に集まる情報は主に下部機関から上部機関への段階的な報告というプライベートのルートを通じるが、それは公正な判断ができないことが多い。なぜなら上級に伝える際、良いニュースだけを伝え、あるいは誇張して報告することが多いためだ。その結果50年代末の飢饉で各地に餓死者が出ていたのに、中央に集まった報告は依然として「高収穫を勝ち取り、国中が活気にあふれている」といったものであり、結果として農村の状況はより深刻になってしまったという。
「パーソナルコミュニケーションの中で指導者は情報量は多いが、情報の構成は極めてアンバランスで、つまりいいことばかり聞かされている」(131ページ)。指導者は何でも知っているように見えて実は何も真実を知らされておらず、結果誤った政策判断をする恐れが高い。その典型が毛沢東だったと指摘している。
こうした問題を解決するため、マスコミュニケーションを発展させることで、パーソナルコミュニケーションの弊害を取り除き、欠陥を補うことができる。「中国はマスメディアによる情報監視の機能を重視し、そして育てるべきである」と孫先生は指摘している。前述したような歴史上の大きな誤りも、事実をありのままに伝える健全なるマスコミュニケーションが存在していれば、起こりえなかったのだ。
だが今日においても、中国政府は「安定が第一」などを理由に真相をなかなか伝えようとしない。「人民大衆は真相を知りたくても、知ることができず、意見を発表したくてもできないため、いったん集団的な騒乱が起きると、(それを利用して)うっぷんを晴らしたくなる。問題を解決する重要な方法の一つは、報道の自由を高め、メディアを通じてすべてを教え、一方で民衆の意見をすべて政府に伝えることである」(273ページ)。こうした指摘の正しさは、頻発する集団的暴動を見れば明らかであり、昨年の反日暴動もその現れだったといえるだろう。
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2012年反日暴動
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こうして閉鎖的なコミュニケーション環境に、いわば光が差したといえるのがソーシャルメディアなどインターネットによるコミュニケーションの登場だと孫先生は指摘する。以下、本書から重要な部分を紹介したい。
「ソーシャルメディアの出現は、人民が言論と出版の自由にとって無限の容量を持つ媒体を有するようになったことを意味する。それには欠点もあり、誹謗やデマ、プライバシーの侵害、過激な発言なども見られる。だが、ネット利用者の素質が高まる過程でこれらの欠点は緩和されると信じよう。欠点があるから封殺したり、敏感な語彙をたくさん設け、それらを遮断したり、ネットの効率を大々的に低下させてはならない」(300ページ)
「インターネットコミュニケーションはあらゆる伝統的なコミュニケーションモデルの優位性を含んでいる上、伝統的なモデルが備えていない特徴、例えば情報の幅の広さ、コミュニケーションの双方向性などを持っている」
「絶対的に弱い立場にいる個人はインターネットを通じて言論の空間を広げ、ある程度の言論の自由を実現した。同時に、ネット上で人々の注目を集めた話題は世論の形成を促し、一部の事件の解決や改善を促した。ネットユーザーたちの見方は主流メディアの声と互角になる場合もある」
「ネットなどニューメディアの誕生は、(社会的強者と弱者の間の)不均衡な情報伝達の構造を打破し、弱者たちのために個人や集団の意見を表現する場を築き上げ、大多数を沈黙から解放した」
「ミニブログが普及し、人々の民主意識が高まる一方、腐敗や格差の問題も深刻化している。こうした中で多くの地方政府はネット警察や五毛党に大量の人力とお金をかけたが、ネットを活用する『電子政務』の発展や伝統メディアの情報量の強化に力を入れていない。我々が目指すことは、ネット上の情報量を減らすことではなく、次第に拡大させることであり、我が国と国際社会との情報格差を縮め、最終的になくすことこそ進むべき道である」(346~350ページ)
いずれもネットが社会的弱者の権利拡大に大きな役割を果たすなど、その重要性を強調している。筆者もこうした点については、拙著「『網民』の反乱」の中で繰り返し指摘しており、全く同感だ。
そして、メディア改革やネット世論の発展により、中国が今後どのような社会に進むべきか、孫先生は以下のように記している。最後に引用したい。
「中国はイデオロギーの面で、過去において常に一つの思想で全体を統一すること、ひとつの観点が他の観点に打ち勝つことを強調し、結果的にいつも損をし、罠にはまってきた。(中略)中国人が理解しなければならない最も大事なことは、唯一の正しい思想、観点を探し当て、それにみんなを従わせるのではなく、意見の多様な環境を育成することだ。このような環境の中で、人々は本当の言論と出版の自由を享受することができる。思想の自由こそが知恵を生み出すことができる。政策決定は民主的なメカニズムによって解決されるのである」
上からの宣伝と思想統一、そして表向きの社会の安定を重んじている中国の伝統的なメディア構造にはすでに多くのひずみが現れている。だが、中国政府や共産党は政権維持のため、旧来からの言論統制を緩めようとはしない。こうした状況でネットがどのようにこれを打破していくのか、それが中国の今後の社会にどのような影響を与えるのか。孫先生はこの秋にも再び来日を予定しているという。ぜひまたご意見をお聞きしたい。 |
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敏感詞

五毛党
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「網民」の反乱 ネットは中国を変えるか?
古畑康雄
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| 古畑康雄・ジャーナリスト |
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