報告書が微博の影響力を示す事件として取り上げているのが、青海省玉樹県で昨年4月14日に発生した地震における救援活動と、江西省宜黄県で発生した「トイレ攻防戦」である。前者は地震発生後、ネットユーザーが北京の空港に救援物資を送るよう呼び掛け、18日から21日までの間に20トンもの物資が集まったという。
後者は日本のメディアがほとんど報じていない。9月10日、江西省宜黄県鳳岡鎮で地元政府の強制立ち退きに抗議した住民3人が屋根の上で抗議の焼身自殺を図り、うち1人が死亡した。地元政府は当初「誤って負傷した」とメディアを通じて発表したが、疑問の声に対し強制立ち退きに対する抗議自殺と認めた。
9月16日、この家族の2人の娘、鍾如翠、鍾如九さんが鳳凰衛視(フェニックステレビ)の取材を受けるため北京に向かおうとしたところ、宜黄県の党委員会書記、邱建国が南昌空港でこれを妨害しようとした。トイレに約40分間閉じ込められた鍾さんらは携帯で鳳凰に状況を伝え、同社の鄧飛記者がこれを微博で「実時直播」(実況中継)を行い、多くのネットユーザーが知ることとなった。
さらに18日には邱書記らは病院に押しかけ遺体を持ち去ろうとしたため、鍾如九さんは自らも開設した微博でこの状況を流した。26日には自殺を図った母親の容態が悪化したことを伝えたところ、この書き込みが1万3000回も転送され、28日に母親は北京の人民解放軍の病院に送られ治療を受けることになった。事態を重視した江西省党委員会は10月10日、邱書記を解任した。
報告書は「微博はネットユーザー一人一人が責任を担う形で、社会の良好な発展を推進する力となった。微博(による)政治が既に中国ではっきりとした形で誕生し、微博は突発ニュースを伝える優れた媒体となり、言論を表現する開放的な『平台』(プラットフォーム)、政治参加への良好なツール、そして政府の『陽光執政』(透明、公開の執政)に欠かすことができないチャンネルとなった」と賞賛している。
暨南大学新聞メディア学院の范以錦院長(前南方日報社社長)も「南方週末」が掲載した「囲観はメディアに力を与える 2010年十大メディア事件」という報告の中で本件を取り上げ、「民間世論とニューメディア、伝統メディアが力を合わせた立体的な『輿論監督』(世論による監視)のもとで、真相を隠そうとするのはあり得ない妄想である。宜黄県の強制立ち退き抗議自殺事件が証明するのは、真相を隠し、世論の伝達を妨げようとすればするほど、世論の力の反発は激烈となるということだ。数百万の網民の関心が、最終的に世論を主導するのだ」と指摘している。
「囲観」は今日、単なる野次馬行為ではなく、このような不特定多数のネットユーザーがある事件に着目し、それをネットでの伝達や意見表明などの形を通じて事態の進展に参加する、このような積極的な行為を意味するようになった。
北京大学のネット研究者、胡泳氏も「訳者」というブログの取材に対し、かつて魯迅が憂いた中国人の「看客文化」と今日の「囲観」とは大きく異なることを指摘している。「看客」とは、つまり魯迅が「藤野先生」で紹介した著名な「幻灯事件」で、中国人の処刑を周囲からぼんやりと見物するだけの人々のような態度のことであり、このような中国人の国民性を変えるために魯迅が医学の道を捨て、文学者になったのはあまりにも有名な話だ。
胡氏は「『囲観』とは一種の最低限度の公共(問題への)参加であり、現実行動とは大きくかけ離れたものだ。したがって『囲観が中国を変革する』と単純に考えるのは、中国の現実に対して天真爛漫すぎる幻想だ」と断った上で、「だが、それだからといって我々は囲観の意義を低く見積もってはならない。なぜならそれは行動を起こすための(心理的)ハードルを下げ、その結果多くの人が立場や訴えを表現することが可能となり、塵も積もれば山となり、大きな世論の力となるからだ」と述べている。
そして「我々はまったく真新しい情景を目にしている。新しい『平台』が生まれ、そのなかで市民はニュースを発信し、その源を探し、多くの公共的発言をし、市民が連合して行動を起こす、これは中国の歴史上全くあり得なかった出来事だ」と「囲観」が呼び起こす社会変革の可能性を強調している。
ただ、今日中東で起きているようなネットが引き金となった「フェースブック革命」や「ツイッター革命」について、胡氏はそのような急激な変化はあり得ず、むしろ望ましくないとの見方を取る。中国社会が必要としているのは、文化大革命のような大規模な社会動乱ではなく、漸進的な政治改革や社会の着実な進歩をもたらす「Long Revolution」(長期的革命)なのだと主張する。
微博などの手段を通じて、網民の力が結合し、それが人々の社会や政治への参加のあり方を徐々に変えていく。胡氏はこれまでもこのような漸進的社会変革を主張している。さらにツイッターのような少数だが先鋭的な網民が集まる場と、微博のような規制はあるが大規模な網民が集まる場が相互交流することを呼び掛けている。
「『早道は最も遅い道だ』との西洋のことわざがあるが、中国人は功を急ぐきらいがある。中国に必要なのは革命ではなく進歩だ。」一部の人間が扇動する革命よりも、大多数の人々が自発的に参加する社会変化の方が重要、という主張は確かに一理ある。以前「河蟹」の項で紹介した行動芸術家、艾未未氏の「氷河を溶かすのは中国人全体の熱量だ」という言葉に、胡氏は非常に賛同すると述べている。確かに天安門事件を含め、一部知識人が主導する急激な民主化は、強大な政治権力の前に何度も挫折している。ただ、「氷河」を溶かすのにいったいどれだけの年月を要するのか、発展する経済とは裏腹に、政治改革が停滞し、その結果として貧富の格差の拡大、前述した強制立ち退きのような権力の濫用が絶えない中、変化の可能性に期待するだけの忍耐力が今日の中国社会に果たしてどれだけあるのか。この点を胡氏や中国の知識人、ジャーナリストにぜひお会いし、たずねてみたいと考えている。
「囲観」による社会変革はまさに一進一退の様相を見せている。先日も「南方都市報」の著名ジャーナリスト、長平氏が解雇された問題で、長平氏が開設した新浪微博に多くの支持の声が寄せられ、生活の糧を絶たれた長平氏への募金活動も展開された。ところが間もなく、新浪は彼の微博を封鎖するという手に出た。長平氏は古巣のツイッターで発信を続けている。
エジプトで起きている大規模な反政府運動に対しても、新浪は「埃及」(エジプト)を「敏感詞」(禁止語句)に設定、「据相関法律法规和政策,搜索结果未予显示。」(関連する法律や政策により、検索結果は表示できません)という“お決まり”のメッセージが表示される。ところがデモの様子を伝えるアカウントは存在し、発信が続いているのが中国のネット規制の不思議というか、中途半端なところだ。
中国のネット空間で起きている動きはまさにマクロ的、しかも一進一退であり、表面的な部分だけを見ていると、なかなかその微妙な変化までには目が届きにくく、その点が日本のメディア報道でも十分伝えきれない一因となっている。先日も某大手紙で「劉暁波氏の妻、劉霞さんが微博で発信を続けている」という報道があったが、劉霞さんが規制がある微博で発信するなど全くあり得ない話で、微博とツイッターの違いも理解していないのに驚いた。本欄では引き続き「囲観」のような、日本のメディア報道がカバーしきれない、中国のネット社会の深層で起こっている動きに着目し、伝えていきたいと考えている。
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