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2004年10月  「父と暮せば」黒木和雄監督インタビュー

     

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原爆投下から3年が経った広島で、生き延びたという後ろめたさから幸せになるのを拒絶しながら暮らす娘と、原爆で死んだ父の幽霊との心の交流を描いた日本映画「父と暮せば」。この夏より、日本各地で公開されて大きな話題を呼んでいるが、先ごろ北京で開かれた「日本映画祭2004」(9月17~25日)でも日本を代表する新作映画の1つとして上映され、中国の人々に静かな感動を与えていた。

第2次大戦後59年。戦争はなくなるどころか、世界中で不穏なムードが高まっている。そうした中で「戦争レクイエム三部作」完結編といわれる本作品のメガホンを取り、映画祭に参加するため北京を訪れた黒木和雄監督(73)に、映画祭の印象や、幼少期を過ごしたという「旧満州」(中国東北部)の思い出、作品に込めた思いなどについて語ってもらった――。

 

 
     

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北京市内のホテルには、黒いキャップにサングラス、黒いスーツという井出達(いでたち)で現れた。おなじみの"黒づくめ"スタイルなのだが、「いやぁ、中国のマフィアのようでしょう? こちらの人にそういわれてしまいました。フッフッフッ」。さすがは日本映画界の巨匠、冗談めかした笑いにも堂々たる風格がただよっている。
井上ひさしの同名戯曲を映画化した「父と暮せば」は、自分ひとりが生き延びたことに苦悩しながら暮らす娘(宮沢りえ)が、原爆で死んだ父(原田芳雄)の幽霊に励まされつつ、生きる希望を取り戻していく4日間の物語。ヒロシマの悲劇と生命の尊さを、時に激しく、時にユーモラスな父娘の交流を通して描いている。日本では東京・神保町の岩波ホールなどで大好評上映中。同ホールでは来春のアンコール上映も決まったという。

bj200410_02北京の日本映画祭では、王府井そばの新世紀影院など2会場で、計4回上映された。
「じつは、極端ないい方なのですが、中国の会場からは(上映後)ブーイングが起こるんじゃないかと思ったんです。客席で観客の反応をみるということを滅多にしませんし、ここは中国ですからいささか緊張して見ていたんですが、泣いている人が多かったのは意外でしたね。それと、僕は"満州"育ちなものですから、悪いことをしたという加害者意識があって、中国に来るのがじつに後ろめたい。中国の人に"反戦・平和"みたいなカッコいい映画を、見ていただく資格がないと思っているんです……」
日本でいう終戦は、中国にしてみれば「抗日戦争勝利」にあたる。侵略国の日本に落ちた原爆の受けとめ方も、中国ではさまざまで「原爆のおかげで戦争が終わった」と見るむきもある。じっさい、別の日の上映会では、CGで合成された原爆投下のシーンで「来、来、来」(来た、来た、来た)と嘲笑するような中国人の小声もあったと聞くが、初回で見た限りにおいては最後まで席を立つ人はなく、すすり泣く声があちこちから漏れていた。映画が終わると、ごく自然に拍手が起こった。観客はいずれも日本人と中国人が半々ぐらい。中国のある若い観客は「原爆にどれだけの威力があったのか、知りませんでした。あの戦争で、悪いのは日本の一部の軍国主義者で、一般民衆は被害者だったと習ったけれど、民衆の悲しみが少しは理解できたような気がします」と、率直な感想を話してくれた。
「59年前に、世界で初めて原爆が広島と長崎に落とされました。それは広島で14万人、長崎で7万人の命を一瞬にして奪い、その後も30万人の被爆者を後遺症で苦しめています。いま地球上にある核爆弾は、一人あたり10トンを抱える計算になるそうです。中国も核保有国の一つでしょう。この映画に少しでも共感してもらえるところがあって(将来的に)100グラムでも200グラムでも核爆弾を減らすことに役立つとしたら、この映画を作った甲斐があると思うのです」。作品に込めた、監督の切なる願いだ。

bj200410_011930年、宮崎県えびの市出身。多感な幼少期を、旧満州の「満電」(満州電業株式会社)に勤める父と家族とともに、遼陽と長春で過ごしたという。
「生まれて初めて見た映画が、中国映画だったんです。小学2年の時、仲間たちと"探検"と称して遼陽の城内に入りましてね、そこにあった小屋で見たのが、京劇風の映画でした。ザルを持ったボーイが、客席から小銭(代金)を集めていましたね。ストーリーは全然覚えていないんですが、それが初めて見たスクリーンの光と影でした」
その後、移り住んだ長春には、日本人向けの映画館だけでも6館ほど立ち並んでいた。「チャンバラの『鞍馬天狗』やモダンな感じの『暖流』などが好きでした。もう映画館に入り浸っていましてね、完全な不登校児だったんです(笑)」

旧満州では、中国人の貧富の格差も目の当たりにした。
「満電の社宅があった"電業村"には、掃除などをしてもらう中国人労働者がいたのですが、穴を掘ってトタンを載せたようなひどい住まいにおりました。その逆に、日本に協力していた中国人は、驚くような大邸宅を構えていましたね。それと、どういうわけか日本語を話せない中国人は文化人ではない、というような極端な差別意識を子ども心に持っていた。僕たちは、誰しもが『五族協和』『大東亜共栄圏』『アジアの解放』という当時のスローガンを信じて疑わない軍国少年だったんです……」

1942年、中学受験をひかえて帰国。敗戦を祖父母のいた宮崎県飯野町(現・えびの市)で迎える。
「敗戦の年の5月、中学時代のことでした。動員先の軍需工場で、米軍機の爆撃を受けて、11人の友人がほとんど即死状態で亡くなりました。あまりのむごさにショックを受けた私は、とっさにその場を逃げ出した。助けることもできないし、無我夢中で防空壕にかけこんで、震えていました。卑怯にも友人を見捨ててしまったんです。それが生涯のトラウマになりましてね。僕の映画のもとになっているのです……」

1954年、岩波映画製作所に入社。記録映画の演出・監督を務めたのちに、フリーに。66年「とべない沈黙」で劇映画監督としてデビュー。その後も「キューバの恋人」「竜馬暗殺」「祭りの準備」など数々の作品を監督している。ナガサキの原爆を描いた「TOMORROW/明日」(88年)、敗戦間近の南九州の田舎を舞台にした「美しい夏キリシマ」(2002年)、つづく「父と暮せば」(04年)が"戦争レクイエム三部作"と呼ばれ、注目を集めている。

「たまたまですが、振り返ってみると戦争映画を撮っていました。ほんとうは"君の名は"や"冬のソナタ"のような大メロドラマを撮りたいんですが…(笑)。『父と暮せば』を作ったのには、いくつかの訳があります。個人的な戦争体験があったこと。生き残ったことを後ろめたく思い、それを背負って生きていくヒロインの肖像にとても共感できたこと。そして前作の『美しい夏キリシマ』を撮ったすぐ後に、中学時代の友人がガンで急死したこと……。
広島で新聞記者をしていたころから、生涯をかけて被爆者の救援活動をした人でした(広島平和文化センター理事長などを歴任した故・大牟田稔氏)。その彼が生前つねづね『ヒロシマを映画にしてほしい』といっていた。ヒロシマといえば原爆――のようなステレオタイプの原爆映画は撮りたくなくて、何十年も経ってしまいましたが、彼の死がヒロシマを撮る一つのきっかけとなったのは事実です」

痛切な戦争体験と友の死、そして友人たちへの鎮魂と贖罪の思いが、映画を作るもとになっていると語る黒木監督。それだけに、最近の日本の憲法改正の動きや自衛隊のイラク派遣、「有事法制」という名の戦時法復活などの不穏なムードを憂えている。
「先日も、井上ひさしさんとお会いして異口同音だったのは、『ほとんど戦時下と同じになってきたね』ということ。彼も昭和ヒトケタ世代ですが、『生きている間に、もう一度戦争が近づくとは思わなかったな』というんです」
「口幅ったいですけど、日本映画もひ弱になってしまいました。才能もテクニックもあるんですが、風俗を描いていてもどこか浅い。本物の人間の生活を描くと、"反戦"になるんです。"反戦・平和"を声高に唱えなくても、結果的にそうなっていく。むしろ人間の日常生活を取り上げて、深く切り込むことが大事なんです。今の日本映画には、それが欠けている。今年6月には、上海国際映画祭に審査員の一人として招かれましたが、グランプリを取ったのは低予算で製作されたイラン映画。私がいずれも票を入れた日本映画は、ことごとく第一次審査で落とされました……」

bj200410_07それでも、今の世の中に希望がないわけではないという。
「理屈ではなく直感的な言い方ですけど、日本の女の人たちは大丈夫だと思うんですね。女の人たちは理論やイデオロギーではなく、感覚的・肉体的にイヤなものはイヤという。それが戦後60年に、日本の女性の中にしっかりと根を下ろした。彼女たちは戦後民主主義の"いいとこ取り"をしたのでしょうね。『父と暮せば』のキャンペーンでも北海道から沖縄まで、その土地の担当者や新聞・テレビのインタビュアーが、ぜんぶ女の人でした。だから、僕の映画はラストカットが女の子なんです。『美しい夏キリシマ』もそう、『父と暮せば』の宮沢りえもそう。女の人に希望を託して、女の人に向けて語っているんです(笑)」

黒木和雄73歳。戦前の天才監督といわれ、若くして戦病死した山中貞雄の企画もあたためている。ますます多忙な毎日なのだが、それを周囲に感じさせないあたりは、やはり大御所……。
「情熱の秘けつ? そんなものはありませんよ。就職口がなくて、たまたま入ったのが映画会社。それからつぶしがきかなくて、ずっとこうして来ちゃったんで(笑)。ただ、振り返ってみると、一つの線ができていたのかもしれません。映画監督は、じつは一種の独裁者なんですよ。怖いけれどもやめられない、そんな麻薬的なところがありますね……」
内なる炎を燃やしつづける黒木監督。次回作も楽しみである。

 
   
   
     
     
bestsellere  

文芸類
北京図書大廈(西単)(北京市西城区西長安街17号) http://www.bjbb.com
2004年9月1日~9月30日

     
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1)『狼図騰』(オオカミのトーテム)
姜戎著 長江文芸出版社


2)『一路格桑花』(ゲーサンメド)
党益民著 解放軍文芸出版社 2004年9月北京第2刷


「ゲーサンメド」とは、チベット高原に生息する高山植物の名前。チベット語の「ゲーサンメド」を「格桑花」などの中国語にあてている。「幸せの花」の意味もあるという。
女性記者の安寧が、チベットで見聞きする武警(武装警察)交通部隊員の過酷な暮らし。それは、秘境の高地で命や青春を投げだして仕事に生きる男たちと、彼らをとりまく女たちの壮大な人間ドラマであった――。本書の作者で、中国作家協会会員の党益民自身も、武警交通指揮部の宣伝部長だ。


3)『中国式離婚』
王海鴒著 北京出版社 2004年9月初版


宋建平と林小楓など3組の中年夫婦が、離婚の危機に直面する。心と体の不一致が、思いやりのない冷たい関係に発展してしまい……。浮気を理由としない中年インテリの危うい家庭生活を描き、「現代中国の離婚事情を、初めて深く掘り下げた小説」として注目を集めている。
さきごろ、中国中央テレビ(CCTV)で放送されて人気を呼んだテレビドラマ『中国式離婚』(全23回)は、この原作を改編したもの。


4)『達・芬奇密碼』(原題『THE DA VINCI CODE』、ダ・ヴィンチの暗号)
ダン・ブラウン著(米) 朱振武/呉晟/周元暁訳 上海人民出版社


5)『狼的誘惑』(オオカミの誘惑)
可愛淘著(韓) 世界知識出版社 2004年8月初版


『那小子真帥』シリーズに続く、韓国の女子大生作家のキャンパス・ラブストーリー。ベストテン8位に、前作の『那小子真帥2』がランキングされている。


6)『青年文摘・人物版珍蔵本 靠自己去成功』(自分を信じて成功をつかむ)
中国青年出版社 2004年5月初版


青少年向けの月刊誌として1999年に創刊された『青年文摘・人物版』。これまでに3000編もの実話や伝記が紹介されたが、本書はその創刊5周年を記念して再編集されたダイジェスト版だ。中国社会科学出版社につづいて、中国青年出版社からも、このシリーズ本が出版された。作家・池莉の「人間らしさとは」、作家・王蒙の「どのように自分の一生を決めたか」など、青少年に勇気と希望を与えるエッセイが収められている。


7)『借我一生』(わが一生を借りて)
余秋雨著 作家出版社 2004年8月初版


人気作家・余秋雨の初の自叙伝。幼年期から大学、学院長時代の足跡をはじめ、数々の名作を生みだした経緯を振り返る。
とりわけ世間の注目を集めているのが、「文革」時代の経歴だ。
当時、彼は上海の「文革」推進派グループとして "大批判写作組"に参加、"ブルジョア反党路線"に対する批判文を発表していたという"風評"に対して、「当時の私は農村に下放されており、上海に帰ったことは一度もない」「"大批判写作組"とはいっさい関わりがない」という反論を展開している。
しかし、一部の研究者からはなおも「余秋雨の自伝の真実性は疑わしい。虚言である」などの指摘が出ており、本書はその文学性のみならず、ゴシップ的にも大きな話題となっている。


8)『那小子真帥2』(イケてるあいつ)
可愛淘著(韓) 世界知識出版社 2004年4月初版


9)『李嵐清音楽筆談』
李嵐清著 高等教育出版社 2004年9月第6刷


温厚な人柄で、文人官僚として知られた李嵐清・前副総理(1932~)が著した、西洋クラシックの音楽大全。もとは経済畑であったが、文化教育事業にも従事した李嵐清は「音楽愛好家の一人として、クラシック音楽を紹介する著作をまとめてみたい」と長らく願っていたそうだ。本書では、ビバルディ、バッハ、モーツアルトから、ガーシュウィン、ショスタコーヴィチ、バーンスタインまで、西洋音楽の作曲家50人とその代表曲を紹介している。歌やピアノをこよなく愛し、みずから合唱曲を作詞・作曲している李嵐清は、「音楽関係の著作をこれからも続けていきたい」と語っている。本書で取り上げられた作曲家とその代表曲を紹介するDVDも付いている。


10)『島(VOL.01)』
郭敬明など著 春風文芸出版社 2004年8月初版


ネット小説の旗手・郭敬明がプロデュースする新感覚の一冊だ。公募したエッセイやコラム、小説、書簡、写真を掲載する、読者参加型の単行本。郭敬明の連載小説「1995-2005 夏至未至」もスタートして、ファンの興味を引いている。

 

 

 

 
   
     

bj200410_10黒木和雄監督のインタビューでもお伝えした「日本映画祭2004」は、中国政府(国家ラジオ・テレビ・映画総局映画事業管理局)が主催した初の映画祭でした(オメガ・プロジェクト株式会社・共催)。
出品された作品は『父と暮せば』をはじめ『壬生義士伝』『きょうのできごと』『深呼吸の必要』『バーバー吉野』『七人の侍』など、日本の新作映画を中心とするさまざまなジャンルの7本。北京新世紀影院など2会場で9日間にわたって上映され、中国の人々に日本映画の新しい息吹を伝えました。

bj200410_12オープニングには『壬生義士伝』の主役を演じた中井貴一、『きょうのできごと』の田中麗奈、『父と暮せば』の黒木監督など、日本を代表する映画人たちがズラリ。中国映画『天地英雄(ヘブン・アンド・アース)』にも出演した中井貴一は「これからの時代は、打倒アメリカ!(ハリウッド)。映画分野でもアジアが手を携えて、世界に勝負したいですね」と期待を語っていました。

また、このほど日本人俳優として初めて中国の連続テレビドラマ『美顔 ~愛在左 情在右~』(仮題)に主演した田中麗奈は、2カ月間の大連ロケを終えたばかり。「私のセリフは日本語ですが、中国人俳優はもちろん中国語。お互いセリフの最後を覚えて会話を合わせたんですが、それが予想以上にうまくいったんです! 間の取り方とか、気持ちや表情……。相手に伝えなきゃという思いでかえって敏感になって、シンプルに(演技に)打ち込むことができました」
昔、父方の祖父が大連に住んでいたので「ご縁を感じる」とも。ステージでは、習い覚えたという中国語で「私は中国映画が好きですが、日本にもおもしろい映画がたくさんあります。ぜひ楽しんでください。謝謝!」と元気いっぱい挨拶してくれました(ドラマは来春、中国で放送予定)。映像分野でも、世界のボーダレス化を予感させるような開幕式でした。

 

 

写真・文 小林さゆり
日本のメディアに中国の文化、社会、生活などについて執筆中

 

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