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中国映画のコラム 第8回 .

 上海国際電影節に行って  

  杉山亮一
     
 さる6月中旬、ひさびさに上海国際電影節に行ってきた。正確な記録は手元にないのだが、概ね10年ぶりの中国大陸の映画祭への参加である。この上海での数日間を通じて、上海国際電影節の、中国の映画祭の、現状と今後の展望のようなものがおぼろげながら見えてきたので、本稿を通じてご紹介したいと思う。
 職業柄、アジアの映画祭、とりわけ中国語圏の映画祭に行く機会は多いのだが、何故しばらく中国大陸の映画祭へ足を運ばなかったのか? これは筆者に限ったことではなく、アジア映画をとりまく業界では世界レベルの傾向で、配給会社の人間も、映画評論家も、映画祭関係者も、積極的には中国の映画祭に目を向けていないといっていい。その理由は多岐にわたるのだが、最たるものは、いわゆる巨匠クラスの中国人監督の新作は、基本的にカンヌ、ベルリン、ヴェネツィアの世界三大映画祭でワールド・プレミアされることにある。あえて中国の映画祭に足を運ぶ理由は「そこでしか観れない」(正しくは「そこで観ておかないと後で観るのは色々と面倒な」)中国映画を観ることであって、そして「そこまでして観なければいけない作品は(ほぼ)ない」→だから行かない、というのが、業界内の共通認識となってしまっているようなのだ。実際には、東京フィルメックスで上映されるような作家性の強い中国インディーズは、中国の映画祭のマーケット上映から“発掘”されることも多いため、この認識は正確性を欠くものではあるのだけれども、日本を含めた海外メディアを賑わすような話題作に出会えるチャンスは(いまのところは)ない。
 加えて、オンラインで前売チケットを購入する際の決済方法が独特すぎて海外在住の外国人は当日券に頼らざるを得ない(でも上映作品の多くは前売完売)、マーケットの出展料はまだしもバイヤーとしての参加費用もなんだかとても高い、プレス登録の要件がこれまた独特で申請時にくじける人多数と、映画ファン、映画関係者、マスコミの全方位で外国人が参加するためのハードルが高く設定されているのも、「行かなくてもいいかな」意識を高めてしまうから困ったものなのである。
     
     
     

 

そんな中国の映画祭の中でも、最も世界的知名度を有している(とされている)のが上海国際電影節。1993年にスタートしたこの映画祭は、中国で唯一の国際映画製作者連盟(FIAPF)公認のコンペティティブ長編映画祭(長編ワールド・コンペティション部門を有する映画祭)であり、2005年には最優秀作品賞である金爵奨を三原光尋監督の『村の写真集』が受賞。岩井俊二監督の『リリイ・シュシュのすべて』や、山田洋次監督の『武士の一分』が出品されたこともあり、日本語媒体で紹介される機会も多少はあるのだが、その知名度はまだまだといっていいだろう。先日、「さらなる発展を遂げるべく」同じくFIAPF公認のコンペティティブ長編映画祭である東京国際映画祭との提携が発表されたばかりだが、我が国の映画祭も(残念ながら)世界的にはあまり重要視されていないので、この協力関係から新たな化学反応が引き起こされるかどうかは、正直微妙なところだ。
 ちなみに、このFIAPF公認のコンペティティブ長編映画祭は、原則、1国(地域)1映画祭が認定され、この認定をもってその映画祭は「世界有数の映画祭」とのお墨付を得るということになっている。2015年8月現在、このお墨付をもらっている(予定も含む)のは、順不同で、ベルリン、カンヌ、上海、モスクワ、カルロヴィ・ヴァリ、ロカルノ、モントリオール、ヴェネチア、サン・セバスチャン、ワルシャワ、東京、カイロ、タリン、マル・デル・プラタ、インド(ゴア)の15映画祭。正直、一般的な映画ファンにとってはどうでもいいことではあるのだが、映画祭行政の方面では、色々な誘致があったり、さまざまなサービスが享受されたりすることがあるため、既得権益として“公認”こだわる映画人(の偉い人)はとても多い。
 さて、上海国際電影節が三大映画祭クラスの知名度を得るためには、当然ながら、他所にはない独自の色を打ち出していくことが必須要件である。定型化されたイベントである映画祭だけに、これは至難のわざではあるのだが、やはり着目すべきはその開催地域ならではの+α。それはすなわち「アジアの映画祭の盟主を目指す」ことにほかならないだろう。

 ところが、ここで障害となってくるのが、前述のFIAPFによる公認要件。アジア色を出すには、コンペティション部門を筆頭にアジア映画で固めることが第一歩なのだが、そうなると“ワールド・コンペティション”の存在意義がアヤしくなってくる。さりとて、強力な新作は三大映画祭が根こそぎさらっていくため、「中国のワールド・コンペ」は比較的地味な作品が世界中からラインナップされるようになり、結果、「あまり重要でない国際映画祭」というパブリック・イメージが増幅される悪循環に陥っていくのである。
 そして、もっと厄介(?)なのが、気がつけば東アジアを代表する国際映画祭の座に登りつめていた釜山国際映画祭の存在。コンテンツ立国を標榜した韓国政府のバックアップを受け、年々規模を拡大していった釜山国際映画祭は「三大映画祭を狙わない」アジア映画にターゲットを絞り、ワールド・プレミア上映を連発。アクセスしやすい上映環境と膨大な上映本数、高いホスピタリティから、毎年10月の釜山詣でを恒例としている東アジア映画人の数は、他の映画祭の追随を許さない。ご当地・韓国映画はもちろんのこと、暮れから年明けにかけて公開される東アジア映画の話題作はかなりの確率で釜山でお披露目され(直後に東京国際映画祭があるというのに!)、出演俳優と大手マスコミを引き連れたジャンケット・ツアーが繰り広げられ、その模様はワイドショーやスポーツ新聞の紙面を賑わせるという具合なので、釜山国際映画祭という名前のお茶の間への浸透度はさらに高まっている。
 また、もうひとつ追記しておくと、この釜山国際映画祭もFIAPFの公認を受けてはいるのだが、それはコンペティブ長編映画祭としてではなく、コンペティブ・スペシャライズド長編映画祭であることも、釜山のポジションを盤石なものにしているといえるだろう。このコンペティブ・スペシャライズド長編映画祭というカテゴリーは、独自のコンペティションを有する映画祭を認定するもので、コンペティティブ長編映画祭に比べると権威は落ちるといわれているのだが、その分、ワールド・コンペティションの制約を受けないというメリットがある。釜山国際映画祭の場合は“New Currents Award”という「アジアの新人監督」を対象としたコンペティションで公認を受けているので、その「アジアの映画祭感」に一切のブレは生じないのである。
 個人的な考えをいわせてもらえば、上海国際電影節が世界の映画祭の中で存在感を高めていくためには、FIAPF公認の呪縛を解き放ち、中国映画にフォーカスした映画祭として、先行する釜山国際映画祭を追いかけていくのが唯一の正解ではないかと思うのだが、そうなると「もうひとつの」中国の国際映画祭=北京国際電影節の存在がチラついてくるから話がややこしい。
 北京国際電影節は、上海国際電影節に遅れること8年、2011年にスタートした映画祭である。第1回目は名称が北京国際電影季、開催期間も6日間という、比較的こじんまりした上映イベントだったのであるが(とはいっても首都・北京を冠とするだけに、イメージキャラクターを務めるのは成龍ジャッキー・チェン&章子怡チャン・ツィイーという豪華仕様ではあった)、年々規模を拡大し、2013年の第3回からはワールド・コンペティションである天壇奨を設置。上海を猛追して現在に至っている。この北京国際電影節が目指すところが「上海にとってかわって中国No.1の国際映画祭となる」ことは明白だが、北京がどんなに望んでも、資金や人材を投入しても得られないものがひとつだけあるのだ。そう、FIAPFによるコンペティブ長編映画祭の公認である。長きにわたって抗争が繰り広げられる北京と上海のライバル関係を考えれば、上海が“公認”を捨てて再スタートをきることはまず考えられないのだが……。

 

   
     
     

 さて、約3,300文字を使って上海国際電影節の抱える問題点とその背景を記してきたが、では、筆者がひさびさに体験した上海国際電影節はどうだったのか?というと、これがなかなか楽しいものだったのである。
 前述のように、外国からわざわざ出向く観客の存在は基本的に考慮していない上海国際電影節ではあるが、地元・上海の映画ファン向けの映画祭としては、かなりの活況を呈している。その背景には、北米を抜いて世界第1位にならんとする勢いの中国映画マーケットがあり、国の輸入制限のために普段はあまり観れないタイプの外国映画が上映されるといった事情もあるのだが、そんなことよりも、決して大作とはいえない日本映画が秒殺で売り切れ、『風と共に去りぬ』や『市民ケーン』のようなハリウッド・クラシックスの4Kリマスター上映に老若男女が詰めかけ、「中国で最も有名な日本人スター」高倉健の追悼上映に涙する映画ファンがいるという、この多幸感。映画祭は映画ファンのためにある、という、きわめてシンプルな大原則に心が躍る。
 そして、苦難の末に上海にたどり着いた外国人観客にとっては、中国映画の“いま”の多様性を感じとることができるはずだ。
 例えば、中国人民解放軍の精鋭スナイパーの心の葛藤と、国家を揺るがす巨悪掃討のミッションをスリリングに描く『狙撃時刻』。有名な出演者は誰ひとりいないものの、ヒーローもヒロインも一様に華がないものの、手に汗握るアクション演出は十二分の及第点。
 例えば、近年の中国映画界のトレンドにならうように、作家から監督への転身を遂げた鴻水が、プロデュース・原作・脚本・監督、そしてメロウな主題歌の歌唱まで担当した青春ラブコメディ『我是奮青』。自ら経営する複数の企業が製作に名を連ねているため、エンドロールに“鴻水”の文字が30回くらい登場するトンデモ映画の風格満点ながら、台湾から友情出演の范逸臣ファン・イーチュンの安定感のある演技と、異業種監督ならではの意表をついた演出が不思議なハーモニーを醸し出しているのは嬉しい誤算。
 巨匠の芸術映画でもない、きらめくようなスター総出演の大作でもない、中国共産党のプロパガンダ映画でもない、(世界規模でみれば)人知れず公開されていくような、等身大の中国プログラムピクチャーがそこにはある。映画祭に必要なものは傑作だけではない(そもそも、傑作だけで映画祭が成り立つほどに世界は傑作を輩出していない)、玉石混交のショーケースこそ“祭”としての映画祭の醍醐味であることを、あらためて実感せずにはいられない。
 一部でレベルの低さが問題視されたホスピタリティも、国際映画祭の名に恥じぬ、英語を解するスタッフは確実に増えているし、当日券売り場の左の窓口のおばちゃんが「はい、売り切れ、売り切れ」と面倒くさそうにいったとしても、右側の窓口に並びなおしたら普通にチケット買えたりもするんで(苦笑)、ゆるやかに状況は改善されているはずだ。
 三大映画祭への道のりはあまりにも遠い。釜山国際映画祭の背中も遥か彼方にかすんでみえる。背後には北京国際電影節がぴったりとマークしている。それでも、マイペースに歩み続ける上海国際映画祭を、これからは目をそらさずに追い続けていこうと筆者は思いはじめている。

(すぎやま・りょういち 映画会社社員)

   
     
 
     
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