TAIMEIKYU 唐長安 大明宮 全2巻
上製
楊鴻勛/ 向井佑介 監訳/ 向井佑介,髙井たかね,田中一輝 翻訳
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出版社:科学出版社東京/ゆまに書房発売 |
出版年:2021年05月 |
コード: ISBN/ISSN 9784843360200 |
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中国建築史上において時代を画する千年余り前の唐の都・長安の姿をありありと鮮やかに描き出す!!
特色1 大唐帝国の都・長安を代表する宮城・大明宮 大明宮は、唐国の長安を代表する宮城のひとつである。唐の太宗李世民が造営を開始し、続く高宗の時代から皇帝の正式の居住地となった。以来、200年にわたって唐王朝の政治・儀礼・外交の中枢として重視された。
特色2 遺跡全体が近代まで比較的よく保存 半世紀あまりにおよぶ唐長安城の考古学的調査は、大明宮を中心として進められてきた。本書はそれらの考古学的知見と諸文献の整理をふまえて、建築史・建築考古学の視点から、往時の大明宮のすがたを鮮やかに描きだす。
特色3 芸術的鑑賞に堪える見事な建築復元図 本書を特徴づける豊富な建築復元図は、一枚一枚が厳密な学術的考証をふまえているばかりではなく、芸術的鑑賞に堪える見事な出来となっている。
特色4 大明宮の全容を明らかにする唯一の書 近年の大明宮を含む唐長安城の考古学的発掘成果と歴史文献の記述を丹念に整理・検証した本書は、まさに大明宮の全容を明らかにした唯一の書。
■『大明宮』日本語版の刊行にあたって(向井佑介(京都大学人文科学研究所)) 大明宮は、大唐帝国の都、長安を代表する宮城のひとつである。7世紀に、唐の太宗李世民が父李淵のため長安城東北の地に大明宮の造営を開始し、つづく高宗の時代からそこが皇帝の正式な居住地となり、朝廷の機能もそこに移された。それ以来、唐が滅亡するまで200年あまりにわたって、大明宮は唐王朝の政治・儀礼・外交の中枢として重視された。 その大明宮の遺跡は、陝西省西安市の東北、西安駅の北側にある。大明宮の中心には、正殿である含元殿の巨大な基壇があり、その上に立てば、はるか南の丹鳳門を眼下にのぞむことができる。また宮殿群の後方には太液池を中心とした広大な御苑の空間がひろがっていた。基壇上の建物はすでに失われて久しいとはいえ、含元殿の高大な基壇とそれを包みこむ広大な空間を一望するだけでも、往時の威容を想像するに十分である。 大明宮を除く唐長安城の遺跡は、大部分が現在の西安市街地に埋没している。それに対し、旧市街地の北側にあった大明宮は、遺跡全体が近代まで比較的よく保存されていた。そのため、半世紀あまりにおよぶ唐長安城の考古学的調査は大明宮を中心として進められ、1990年代から2000年代には含元殿や太液池をはじめとする宮城中枢部分が次々に発掘された。本書は、それらの考古学的知見と諸文献の整理をふまえて、建築史・建築考古学の視点から、往時の大明宮のすがたを鮮やかに描きだしたものである。 唐の長安城については、日本でもこれまでに若干の専門書や概説書が出版されている。しかし、そのほとんどは文献史料の研究成果に立脚したもので、近年の大明宮の発掘成果を十分に反映したものではない。というのも、大明宮を含む唐長安城の発掘成果は、学術雑誌上に短い概要報告や研究論文が公表されているだけで、その全体を網羅した正式報告書が刊行されていないためである。それらの考古学的調査成果と歴史文献の記述を丹念に整理・検証した本書は、まさに大明宮の全容を初めて明らかにした唯一の書といってもよいであろう。 本書の著者である楊鴻勛先生(1931~2016年)は、世界的に著名な中国建築史・建築考古学の大家である。とりわけ著者は、1973年から中国社会科学院考古研究所において唐長安城をはじめとする遺跡の調査研究に従事しており、本書はその集大成をなすものである。また、本書を特徴づけるのが、挿図として用いられた数多くの建築復元図であり、その一枚一枚が厳密な学術的考証をふまえて制作されているだけでなく、芸術的鑑賞にも堪える見事な仕上がりとなっている。考古学や文献史学の研究では、建物の配置や都城の設計プランに議論が集中し、本来その上にあった建物のすがたをイメージすることは難しい。学術的考証をふまえて制作された多くの精彩なカラー復元図は、千年あまり前の長安のようすを、読者の眼前にありありと示してくれることだろう。
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