北魏道武帝の憂鬱 皇后・外戚・部族
上製
田余慶/田中一輝,王鏗 訳
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出版社:京都大学学術出版会 |
出版年:2018年12月 |
コード: 498p ISBN/ISSN 9784814001910 |
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文字通りの「カオスと暴力の時代」五胡十六国を終わらせた拓跋部。なぜ彼らは,抗争に明け暮れる諸勢力を駆逐し,新しい秩序の誕生を促すことができたのか。本書は北魏後宮における「子貴母死(子貴ければ母死す)」制こそが,その秘密だと見抜く。皇帝位の継承順序の安定化をはかるために,あろうことか君主が自身の妻を惨殺するという,中国史においても人倫に悖るとされてきたこの制度こそ,外戚勢力を抑え抗争を最小化する秘密だったのだ。
目次: 著者 田余慶氏紹介(閻歩克) 前言 凡例 第一章 なぜ「子貴母死」は制度になったか ――部族国家の構造変化が必要とした「歴史と伝統の転換」の苦痛 一 『魏書』に記された「子貴母死」とそれが依拠した「漢典」・「旧法」 二 拓跋部初期の君位継承における后妃の役割 (一)神元帝力微前後 (二)文帝沙漠汗の子孫 (三)平文帝鬱律以後 三 君位継承における后妃の部族的背景 四 部族解散と「子貴母死」 (一)賀蘭部族の解散 (二)独孤部族の解散 (三)慕容部に対する処置 五 皇太后たちと「子貴母死」 (一)献明帝賀皇后の死についての疑問 (二)馮太后の専権と「子貴母死」制度 (三)「子貴母死」制度の性質の変化 六 小 結 第二章 部族解散とは何のための施策だったか 一 ――賀蘭部族解散問題 一 賀蘭と拓跋 二 賀頼頭の平舒への移動と賀訥による東部の統轄 三 道武帝による賀蘭諸部族の解散 四 賀蘭部解散以降の余波 第三章 部族解散とは何のための施策だったか 二 ――独孤部族解散問題 一 前秦による代滅亡以後の独孤部 二 劉顕による窟咄の君位争奪戦への誘引と道武帝による独孤諸部族の解散 三 『魏書』にあらわれる劉奴真と劉羅辰 四 部族解散以後の独孤部民 第四章 代北地域における拓跋と烏桓の共生関係 ――『魏書』序紀関連史実の解析 一 はじめに 二 拓跋東・中・西三部の概況 三 序紀にあらわれる恵帝・煬帝東奔の諸事の解釈 四 惟氏・維氏と祁氏 五 代谷の地理的背景と西晋護烏桓校尉の機能 六 東木根山の地名の由来と拓跋建都問題 七 二種類の代北烏桓 八 拓跋の内乱と烏桓の動向 九 前燕雲中の戍――代北周辺関係の一 一〇 朔方の情勢と前秦による前燕・代国の滅亡――代北周辺関係の二 (一)前秦・代の直接的な交流 (二)朔方の情勢変化 (三)拓跋部族と烏桓人の朔方進入 一一 前秦による代滅亡後の代北烏桓に対する処置 一二 拓跋と代北烏桓の共生関係 (一)代北各部族の発育における同化現象 (二)拓跋部の歴史的転換期における烏桓の要素 (三)拓跋・烏桓共生現象の種族文化の根源 第五章 『代歌』・『代記』と北魏国史 ――国史の獄の史学史的考察 一 『真人代歌』の名称解釈 二 『代歌』・『代記』及び『魏書』序紀の関係についての推測 三 国史の獄が生んだ史風問題 第六章 文献にあらわれる代北東部の若干の拓跋史跡の検討 一 方山西麓の祁皇墓 二 草原部族の大会と平城西部の郊天壇 三 新平城附近の拓跋史跡 四 祁皇后の事跡に関する二つの疑問点 第七章 拓跋猗盧残碑及び拓本に関する題辞二篇 ――残碑出土地点についての疑問解明を兼ねて 修訂本後記
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