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詳細情報
宋都開封の成立 /汲古叢書179 上製
久保田和男
出版社:汲古書院
出版年:2023年02月
コード:   542p   ISBN/ISSN 9784762960789
 
価格 13,200円
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儒教・道教・絵画史など最新の研究成果を活用し、「宋朝都城」の成立を明らかにする!

【序論 より(抜粋)】
第一部 都城洛陽の終焉と都城開封の成立
 都城は政治的な中心都市である。唐宋變革のなかで、中心都市【京師】としての認定がどのようにされるようになったのか。その變化と都城洛陽の終焉を論ずる。あわせて北宋複都制の形成とその形骸化、開封中心體制の確立を指摘する。
第二部 郊祀と都城空閒の形成
 都城は天と皇帝(天子)のコミュニケーションの場である。これは他の都市空閒と違う都城の特色である。このコミュニケーションが王權儀禮「郊祀(南郊)」である。中國傳統社會では「郊祀」が行われ續けた。中國都城はこの國家祭祀を行うための空閒である。第二部では、宋朝政府が如何にどのような目的で、この儀禮を實施したのか、そして、このために、どのような都城空閒が開封において形成されたのかを考察する。
第三部 祥瑞と都城空閒の展開
 第三部では、儀禮と竝び王權を可視化する意義をもつ祥瑞が都城空閒においてどのように扱われたのかを示す。それは、宋朝の政治文化の一側面を明らかにすることである。開封における祥瑞は都城空閒も作り變えるものだったことが明らかになる。
第四部 都城空閒情報の地方傳達
 第四部では中央政府(都城)から發信された情報が如何に地方に傳達され受容されたのかを檢討する。特に、宋朝で用いられるようになった印刷技術により、發展した中央と地方との新しい關係性を論じる。この新しい技術を用いた中央と地方との關係性の出現は、「宋都開封の成立」の一側面といえよう。
附章
 本書の内容理解に資する拙稿四編を附録する。
目次:
序論
 本書の論點
 都城史の展開のまとめ
 本書の構成
 凡例

第一部 都城洛陽の終焉と都城開封の成立
 第一章 五代・北宋における都城洛陽の退場――中國都城史の轉換點によせて
 五代複都制における洛陽の地位
 後周における都城開封の建設――「地中」としての開封
 王朴による開封の都城建設
 「土中」洛陽ではなく「地中」開封を王都とする
 宋太祖の洛陽遷都論と太宗の反對論
 北宋時代の洛陽行幸について
 おわりに――南宋臨安における開封と洛陽
 第二章 五代北宋における複都制と文化都市洛陽の形成
 五代における複都制――後周以前
 後梁の複都制
 後唐の複都制
 後晉における分離都城制――開封京師體制のはじまり
 後周における都城開封の確立――洛陽の文化都市としての再生
 都城開封の確立
 官僚が隱退生活を送る洛陽――園林都市へ
 楊凝式と「狂」――開封との對抗關係の形成
 北宋の複都制について
 南京應天府について
 北京大名府の建都について――慶暦の治前史
 第三章 慶暦新政と軍事問題――范仲淹の京師防衞計畫
 京師(開封)への兵力集中(祖宗の兵制)
 五代以來の強幹弱枝策
 仁宗時代における在京禁軍の問題
 西夏との交戰と軍事力の移動
 西夏の役の勃發と軍事體制の變化
 陝西路における范仲淹
 慶暦新政と軍事問題――京師防衞をめぐって
 おわりに――新法政治との關連性より

第二部 郊祀と都城空閒の形成
 第四章 「五代十國」と南郊儀禮――中原國家と南方列國における郊祀
 五代中原國家と南郊(後梁から後晉まで)
 後梁における南郊親祭
 後唐の莊宗と明宗の南郊
 後晉における南郊儀禮の不在
 南方列國の南郊
 後周太祖の南郊と世宗の戰略
 第五章 五代宋初における南郊儀禮の變化をめぐって――三年一郊の確立
 「五代十國」と郊祀 北宋太祖の南郊親祭について
 「五代」の創造
 唐に倣う郊祀制度
 不定期の南郊(太祖)
 祝祭化する郊祀と三年一郊の確立
 領土擴大の停止と郊祀の定期的舉行
 御街の擴幅と人口の擴大、鹵薄の倍增(至道の郊祀)
 第六章 宋都開封における公共空閒の形成――宣德門・御街・御廊
 大内の正門(宣德門)と門前の空閒
 宣德門の構造について
 宣德門(樓)前における祝祭的行事
 政治空閒としての宣德門
 御街と御廊――中軸線街路の空閒構造
 御街の構造について
 御廊について

第三部 祥瑞と都城空閒の展開
 第七章 玉淸昭應宮の建造とその炎上――宋眞宗から仁宗(劉太后)時代の政治文化の變化によせて
 眞宗時代における玉淸昭應宮の建設と國家統合
 玉淸昭應宮の造營をめぐって
 玉淸昭應宮を中心とする國家的祭祀
 蝗害と眞宗不豫
 玉淸昭應宮の炎上と「非再建」の決定
 天譴論や祥瑞に對する士大夫の思想の變化
 玉淸昭應宮の炎上
 明肅劉太后の垂簾聽政時代の意義
 第八章 メディアとしての都城空閒と張擇端『淸明上河圖』――五代北宋における政治文化の變遷のなかで
 五代における都城空閒への視線――見ることが禁止された景觀と、見られるべき景觀
 徽宗時代の政治文化と『淸明上河圖』の諸問題
 徽宗時代の政治文化と祥瑞
 徽宗から群衆への視線
 圖卷の構成から見る「盛世」
 徽宗の視線を遮斷する壁と實際の「盛世」
 第九章 徽宗時代の轉換點について――『淸明上河圖』と『千里江山圖』『外城之圖』の閒
 彗星と改元
 『淸明上河圖』の制作と外戚向宗回の失脚
 瑞鶴の亂舞――寒冷化と祥瑞の頻出
 内朝と皇帝專制體制の確立――元符皇后の「暴薨」
 おわりに――『淸明上河圖』と『千里江山圖』の閒

第四部 都城空閒情報の地方傳達
 第一〇章 地方への赦書の傳達について
 赦書の「天下」への傳達
 中央より地方官司への傳達
 州から縣・鎭・寨へ
 赦書の「出迎」
 赦書の「宣讀」について
 靖康の變と赦書
 掲示による郷村への赦書内容の傳達
 「翻黄」について
 「張掛」 とは?
 第一一章 宋朝における中央情報の地方傳達について――邸報と小報を中心として
 都進奏院の成立
 邸報(進奏院報状・朝報)について
 邸報の内容などについて
 邸報はどのように讀まれたか
 新法改革と邸報情報統制
 南宋初期の情報統制と邸報の國家統合機能
 小報について――邸報との比較から
 小報の性格や別稱
 北宋における小報と南宋における小報

附章一 呉の金陵府と南唐の西都江寧府
 呉王國と揚州(江都府)・昇州(金陵府)
 呉王國の成立と「五代十國」のはじまり
 徐氏政權と「金陵府」
 徐知誥への禪讓と西都江寧府の建設
 金陵遷都計畫と禪讓
 江寧府の都城空閒(六朝建康からの移動)
 宮城と德昌宮
 御街の傾斜と郊祀(六朝建康との比較)
 象徴としての都城空閒
 その後の南唐政權と江寧府
 李璟(中主)の江寧府での工事
 大運河の開通
 江寧府の陷落と洛陽での郊祀
附章二 書評
 書評 山崎覺士『中國五代國家論』
 書評 藤本猛『風流天子と「君主獨裁制」――北宋徽宗朝政治史の研究』
 書評 村元健一著『漢魏晉南北朝時代の都城と陵墓の研究』

終章

あとがき
索引
中文要旨
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