近代中国の代表的文人についての本格的研究! 本書は、近代中国を代表する画家・文学者・翻訳者・芸術教育家であった豊子愷(1898~1975年)についての初めての本格的研究である。あまたある彼の業績の中から、竹久夢二の草画をヒントに生み出された漫画、吉川幸次郎によって日本に紹介され、谷崎潤一郎に高く評価された随筆作品、他の追随を許さない決定版と称される『草枕』『源氏物語』の中国語訳などについて日本との関わりを深く掘り下げ、それとともに彼の業績のバックボーンとしての仏教思想の影響が明らかにされている。豊の娘・豊一吟から提供された資料を基に作成された年譜と併せ、今後の豊子愷研究の基本的文献たりうる、大きな学術的価値をもつ一冊である。●編著者のことば 来日後の研究テーマ選択に悩んでいた脳裏に、豊子愷の名が自然に浮かんできた。そうだ。豊子愷を研究してみよう。彼が日本とは切っても切れない関係であるからだ、『源氏物語』を訳したり、竹久夢二の草画から決定的な影響を受けたり、吉川幸次郎によってその『縁縁堂随筆』がまた日本語に訳されたり、それを読んだ谷崎潤一郎が豊への賛辞を惜しまなかったり……。日本へ行ってなまの資料を収集しその本質を探究してみよう。1921年の早春に豊子愷が味わった日本留学の気持ちを追体験しながら、私は70年後の1991年に、神戸大学への旅路についた。偶然にも、「縁」を思わせる春の初めのことだった。(「豊子愷との出会い」より)
●構成 『豊子愷研究』によせて(山田敬三) 『豊子愷研究』の出版を喜ぶ(豊一吟) 第1部 豊子愷研究の現況 1 はじめに 2 豊子愷研究事情 3 豊子愷研究の問題点 4 本研究の指針 第2部 豊子愷と日本 第1章 竹久夢二の影を出て―豊子愷と竹久夢二 1 詩と画の融合 2 含蓄の妙味 (1)不完全な顔 (2)後姿と横顔の魅力 (3)余白の美 3 生活を捉えて 4 竹久夢二の影を出て (1)豊子愷の趣味 (2)宗教的情熱 (3)手法上の相違 (4)理論面での異同 第2章 豊子愷における夏目漱石像 1 豊子愷の漱石に関する文筆活動 2 豊子愷と夏目漱石との間に (1)人生の機微と宇宙の哲理に対する探求 (2)中国古典文学嗜好(王維の「竹里館」/陶淵明への傾倒) (3)「非人情」と「絶縁」 3 豊子愷における夏目漱石像 (1)豊子愷の読んだ漱石作品 (2)漱石文学における『草枕』の位置(一つの試み/一つの代表作/一つの追求) (3)豊子愷の漱石像 第3章 豊子愷の翻訳―その『源氏物語』訳について 1 翻訳の段取り (1)参考文献の渉猟 (2)文体の選択 2 翻訳のポイント (1)記号体系の合理的変換(敬語の問題/受け身の問題/体言止めの問題/主語省略の問題/長を、短に/数量表現/あいまいな表現) (2)最小の偏差を求めて(『源氏物語』の795首にものぼる和歌をどう訳すか/煩累の掛詞/典故や熟語や慣用句への対処) (3)固有文化と異国情緒のバランス調整(単純調整/曲折調整) (4)その他の工夫例 「……たり……たりする」の処置/「……ように」の処置 3 訳業の完成 (1)古香古色 (2)行雲流水 4 豊訳成功の鍵 第4章 豊子愷の日本観 1 老医学生との出会い 2 絵事を通して (1)「日本の裸体画問題」 (2)「日本の漫画を談ず」 3 二重生活への問いかけ 4 黄遵憲、戴季陶との相違点 (1)黄遵憲の日本記 (2)戴季陶の日本論 (3)豊子愷の日本観 第3部 豊子愷と中国 第1章 豊子愷の芸術教育論 1 近現代中国における芸術教育の展開 (1)晩清期(王国維/李叔同) (2)辛亥革命期(蔡元培/魯迅) (3)五・四運動以後 2 芸術教育の理論 (1)「一通百通」の絵画 (2)「曲高和衆」の音楽 (3)直接的効果と間接的効果 (4)「中国芸術教育の新紀元を」 3 芸術教育論の具体化 (1)「童心の養成」 (2)女性への音楽教育 (3)「キニーネ」を実践に (4)アマチュア工芸美術家の育成 4 多面・多量 第2章 豊子愷の児童文学 1 巧みな社会批判 2 人類理想の境地 3 教育的意義 第3章 豊子愷の仏教思想 1 仏教徒への道程 (1)弘一法師の弟子として (2)馬一浮からの感化 (3)阿難の死 (4)二つの? 2 『大乗起信論新釈』の翻訳 3 『護生画集』 4 夢の境地 5 豊子愷の仏教徒像 (1)精進における積極と消極 (2)大人と俗衆 (3)仏の霊の有無について 6 豊子愷の「有情世界」 7 在家の仏教徒 第4部 関適を夢見た文人 1 「閑適」の継承 2 「閑適」の探索 (1)童心への回帰 (2)縁縁堂主人 (3)「宗教的避難」 (4)見はてぬ夢 資料:豊子愷年譜/豊子愷に関する日中文献一覧/豊子愷「論語派」作品一覧 参考文献 豊子愷との出会い―あとがきに代えて
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