元来、中華の農耕文化とモンゴルの遊牧文化は万里の長城を境界として区分されていた。しかしながら18世紀から19世紀にかけて、チベット仏教の導入と清朝の版図への編入に伴って中華文化が境界を超えて流入、浸透し、モンゴルにおける伝統的な遊牧都市は定住的な都市へと変貌を遂げていくことになる。さらに、19世紀後半から20世紀にかけて西洋からの影響を受けることによって、西洋化も進んでいった。以上の流れを踏まえつつ、現在の中国内モンゴル自治区の省都・フフホトを中心に、モンゴルにおける18世紀から20世紀にかけての都市と建築の歴史的な変容の過程を系統的に記述することが本書のテーマである。 ●編著者のことば それでは、なぜモンゴルの都市や建築の歴史を研究するのであろうか。……モンゴルには農耕文明圏とは異なる生態があり、それに基づく生産方式が存在する。ある場所を拠点として滞在するが、時期が過ぎると次の拠点へと移動する。この循環的な生活スタイルに適合して建築が行われ、都市が造営された。そうした遊牧文明における都市とは何か、都市はいかに造営されたのかを解明することは、都市建築史にとっても必要であろう。……本研究で対象とした一八世紀のフフホト、イへ・フレー、ドロンノールなどのモンゴルの都市の繁栄は、まさにその格好の事例である。その繁栄は遊牧経済と遠隔地貿易の利潤によってもたらされたものだった。(「序章」より)
●構成 序 章 清朝藩部から近代へのまなざし 一、本書の研究対象と視座 二、従来の研究と問題点 三、本書の用語と構成 四、モンゴル帝国時代の都市建設とその特徴 (一)モンゴルの移動宮殿オルドの構成/(二)モンゴル帝国の首都カラコルム/(三)クビライ・ハーンの夏の都、上都/(四)クビライ・ハーンの首都、大都/(五)13世紀モンゴルにおける都市構成の特徴 第一章 モンゴル王権およびチベット仏教治下の「遊牧都市」 はじめに 一、アルタン・ハーンの牧農王国における都市と建築の様相 (一)漢人の流入と「板升」の建設/(二)明朝との「隆慶の和議」とフフホトの建設/(三)可動式建築と遊牧都市の空間構成 二、チベット仏教の導入と宗教中心都市への変容 (一)アルタン・ハーンによるダライ・ラマ転輪制度の創設とチベット仏教の導入/(二)フフホトのチベット仏教中心都市への変容 三、遊牧社会における都市の構成要素とその形態 おわりに 第二章 中継貿易都市の形成とその空間構造 はじめに 一、売買城出現の背景およびその商業ネットワーク (一)移民の行政機構「帰化城庁」の設立/(二)ロシアとのキャフタ条約の締結/(三)清朝とロシアにおけるキャフタ貿易の位置づけ/(四)中継貿易ネットワークと売買城の誕生/(五)売買城と内地との関係 二、売買城の建築類型とその空間構成 (一)プロトタイプとしての移民の住居/(二)商業建築類型の成立およびその空間構成/(三)合院式商業建築の歴史的な位置づけ 三、モンゴル人、漢人、回民の宗教施設 (一)モンゴル仏教寺院の「中華式」への変容/(二)漢人の廟/(三)回民のモスク/(四)衙署と他の公共施設 四、売買城の空間構造 (一)宗教施設を核に民族別に住み分けられた都市構成/(二)商店街と住宅地の構造 おわりに 第三章 綏遠城の空間構造と変容 はじめに 一、清朝における八旗城 二、風水観に基づいた八旗城の都市計画 三、階級制度による建築基準 四、八旗城の街区の構成と町割 五、帰化城と綏遠城の双子都市構造の形成 六、軍事拠点から政治都市へ おわりに 第四章 近現代の都市と建築 はじめに 一、キリスト教会建築の伝来 (一)1900年以前の布教と教会建築/(二)1900年以降の布教方針の変化と教会建築 二、鉄道開通による都市の変容 (一)新市街区の形成/(二)洋風「看板建築」の模倣 三、都市計画と建築様式の変化 (一)1930年代の日本人による都市計画/(二)戦後の包頭とフフホトの都市計画案/(三)現在の建築家とモンゴル的建築表現 おわりに 終 章 異文化・文明を受容するアジアの近現代 一、モンゴルにおける異文化受容の歴史区分 (一)1572~1727年―チベット仏教の導入および興隆/(二)1727~1861年―清朝の「官」「民」からの影響による定住都市への変容/(三)1862~1959年―近代文明の受容 一、近世から近代へ―「近代」に対する再考
参考文献一覧
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