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医学と儒学 近世東アジアの医の交流
上製
向静静
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出版社:人文書院 |
出版年:2023年05月 |
コード: 348p ISBN/ISSN 9784409041246 |
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近世日本の医家は、なぜ「復古」を唱えたのか
『論語』『孟子』『周礼』などの儒教経典、伊藤仁斎や荻生徂徠の儒学、麻疹・痘瘡・腸チフスなどの疫病、東アジアの国際情勢から様々な影響を受け、絶えず変容し続けていた近世日本の医学。古方派医学の「四大家」である後藤艮山・香川修庵・山脇東洋・吉益東洞が実践した「復古」の多様性を解き明かし、彼らを近代医学的評価から解放する、近世日本医学史を再定位する意欲作。
儒学思想に気を配りながら、古方派医家らの思想の展開を分析していく作業は、これまでの医学史研究が決して得意としてこなかった領域といえる。……その理由はかつての近世日本医学史研究が、何より医学の近代化過程に関心を集中させ、近代西洋医学を軸にして当時の医家を検討してきたことが原因である。その過程では近代化に寄与したとみられる医家やその思想に関心が集まる一方で、前近代的とみなされた儒学との関係などには、あまり関心が払われてこなかった。本書が焦点を当てる古方派は、とりわけこうした評価軸から取り上げられることが多かった医家である。吉益東洞が代表的なように、彼らの「近代的」とされた側面がクローズアップされる一方、彼らの基盤ともいうべき「復古」主義については、十分検証されない状況が長く続いていた。とはいえ、今日の視点から一見「近代的」にみえる側面が彼らにあるとしても(あるいは、それが仮に後世的評価としてある程度妥当であるとしても)、彼らは自覚的に「近代化」への道を歩んだわけではない。あくまで彼らを突き動かしたのは、それぞれが正しいと考えた「復古」主義であった。(本書より)
目次: はしがき 凡例
序 章 一 本書の問題意識 二 先行研究 三 後世派医学と古方派医学 四 本書の課題と方法 五 本書の構成 六 補足 登場する諸用語・概念について
第一部 古法派医家の「復古」
第一章 後藤艮山の「古道」――「日用食品」・民間治療法の提唱 一 はじめに 二 後藤艮山の生い立ち 三 「古道」の内実――「未病ヲ養生ガ主ナリ」 四 「薬ハ毒物」――「温補」への批判 五 「順気」としての治療法 六 おわりに
第二章 香川修庵の「自我作古」――「日用」の医学全書の成立 一 はじめに 二 「儒医一本論」について 三 「自我作古」としての『一本堂行余医言』 四 「日用之薬」としての『一本堂薬選』 五 『一本堂薬選』への批判――戸田旭山『非薬選』 六 おわりに
第三章 山脇東洋の「述而不作」――腑分けの実施と『外台秘要方』翻刻 一 はじめに 二 「周之職」――腑分けの実施と『周礼』 三 「漢之術」とする『傷寒論』 四 「晋唐之方」としての『外台秘要方』 五 永富独嘯庵における「古医道」 六 おわりに
第四章 吉益東洞の「古訓」とその展開――「万病一毒論」をめぐって 一 はじめに 二 東洞の「古訓」 三 「疾医」の規範としての扁鵲と張仲景 四 東洞の「天命説」 五 東洞の処方集・薬物書 六 「万病一毒論」と梅毒の治療 七 東洞以降――医学における日本中心主義の形成 八 おわりに 第二部 東アジアにおける医の交流――『傷寒論』の研究と「実用」
第五章 明清医学と近世日本医学――越境する医家たち 一 はじめに 二 明・清代に留学した日本医家 三 来日した中国医家およびその活動 四 北山友松子の医学と長崎 五 おわりに
第六章 『傷寒論』研究と東アジア 一 はじめに 二 張仲景と『傷寒論』 三 近世日本における中国の『傷寒論』関係書 四 『傷寒論』の日本伝来と研究 五 おわりに
第七章 『傷寒論』の「実用」――麻疹・痘瘡・腸チフス・風邪の治療から 一 はじめに 二 麻疹の流行と『傷寒論』 三 痘瘡の流行と『傷寒論』 四 腸チフスの流行と『傷寒論』 五 風邪の流行と『傷寒論』 六 おわりに 終 章 一 「復古」の多様性 二 古方派医学の再定位 三 医学と儒学 四 今後の課題――東アジア医学思想史・交流史研究に向けて
あとがき 参考文献
巻末附録 医家・儒者の生没年一覧 巻末附録 関連年表 人名索引 書名索引
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