叱られ、愛され、大相撲! 「国技」と「興行」の一〇〇年史
/講談社選書メチエ
胎中千鶴
|
|
出版社:講談社 |
出版年:2019年09月 |
コード: 272p ISBN/ISSN 9784065172117 |
|
|
|
<東京店在庫有り>
東京店に在庫がございます。少部数のものもございますので、ご来店の場合は直接お問合せください。
|
|
|
|
|
日本の伝統文化にして「国技」とされる大相撲は、一方で八百長疑惑や「横綱の品格」をめぐって、世間から叱られ続けている。この「叱られ体質」は、いつから、何に由来するのだろうか。大相撲100年の「叱られ、愛された歴史」を、「スー女」を自認する著者が丹念に掘り起こした意欲作。 明治42年(1909年)、落成したばかりの相撲常設館、その名も「国技館」の「玉座」で、8歳の少年が相撲を観戦した。この少年――明治天皇の皇孫、のちの昭和天皇に愛されたことが、大相撲の黄金時代と深い苦悩の始まりだった。 「国技」とは一体何か。「初っ切り」や「相撲甚句」「化粧まわし」は、「国技たる武道」の堕落ではないのか? 本書には、それぞれの「相撲道」を模索した人々が登場する。植民地台湾に力士100人を招いた任侠の親分。東京の相撲界に反旗を翻し、大阪で「角力」を興した異端児。「相撲体操」を考案し、台湾や満洲で相撲教育に邁進した熱血教師。勃興したスポーツジャーナリズムの中で、独自の相撲論を展開するインテリ力士。戦地慰問に疲労困憊しながら連勝記録を樹立した大横綱。そして1945年11月、焼け野原の東京、損壊甚だしい国技館に満場の観客を集めて、戦後初の本場所が開催される。 「国技」と「興行」のジレンマに悩みながら、いつも愛され、そこにあった大相撲の近代史。
目次: 序章 叱られてばかりの一〇〇年 第一章 裕仁皇太子、土俵を見つめる――昭和天皇と国技館 1 昭和天皇と大相撲 2 「国技館」の誕生 3 台覧相撲と大日本相撲協会 第二章 親分、力士百人を招く――台湾興行と任侠集団 1 アジアに飛び出す相撲巡業 2 「また台湾に行こうじゃないか」 3 勧進元はアウトロー消防組 第三章 青年教師、「相撲体操」を考案する――八尾秀雄の「角道」 1 八尾秀雄とは誰か 2 異民族に教える国技 3 大阪へ、そして満洲国へ 第四章 インテリ力士、「国技」に悩む――笠置山の相撲論 1 「頭脳派力士」の日々 2 娯楽か、武道か 3 満洲場所と「新しい相撲」 第五章 戦場の兵士、横綱を待つ――双葉山の皇軍慰問 1 お国のための大相撲 2 戦場へ行こう 3 力士と兵士が出会う場所 終章 叱られて、愛されて あとがき 参考文献 索引
|
|