倭国の遣隋使 倭王多利思比孤は筑紫国王である
上製
久保英範
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出版社:海鳥社 |
出版年:2024年09月 |
コード: 634p ISBN/ISSN 9784866561714 |
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西暦600年の第一次遣隋使派遣。これをきっかけに隋・唐との交流が始まり、日本は律令国家へと歩み出す。 いわば古代国家形成の出発点である遣隋使には、いまだ多くの謎がある。 物理学をバックボーンとする著者が、日本書紀や隋書倭国伝などを“実験事実”に見立て、遣隋使の諸問題を合理的に考察。 7世紀初頭の日本の姿を明らかにする。
本書は遣隋使に関するたくさんの矛盾・問題点について、あくまで日本書紀と隋書倭国伝の記述に基づき、合理的な理解を示すものである。 ▪「多利思比孤≠推古天皇」であれば、すべての問題点を合理的に理解できる。 ▪倭国は郡県制の「軍尼制」によって統治される先進的な国家であった。 ▪画期的な「日出ずる処の天子……」の国書が日本書紀に載っていないのは、筑紫国王多利思比孤の国書だからである。 ▪大和政権の冠位十二階は日本書紀による造作である。 ▪日本書紀には造作が疑われる記事がたくさんある。その原因は、「倭国」に関することを「偽り」として削除するという天武天皇の詔にあった。
目次: 序章 日本古代史における「遣隋使」の重要性
第1章 第一次遣隋使:隋書倭国伝の倭王多利思比孤 倭国伝の「阿毎多利思比孤」は倭王の名前か、天皇の通称・一般名称か 倭国伝の倭王多利思比孤は女王か 倭王の号「阿輩雞弥」と「利歌弥多弗利」という名の太子 日本書紀はなぜ第一次遣隋使に一言も触れないのか
第2章 隋書倭国伝が示す「倭国」という国家の実態 大和政権ではあり得ない郡県制の「軍尼制」による国内統治 倭国では「兵ありといえども征戦なし」 倭国の先進的な裁判制度 倭国国内に阿蘇山がある
第3章 第二次遣隋使:自主独立・対等の倭王多利思比孤 自主独立・対等の立場を明示した「日出ずる処」国書 隋皇帝は多利思比孤を「宣諭」するために裴世清を派遣した 多利思比孤が「朝貢」を認めるという変節 隋の使者裴世清に対する多利思比孤の熟慮の対応
第4章 日本書紀が提起する遣隋使の諸問題 奇妙な事件、百済での国書盗難事件 日本書紀によって造作された隋皇帝国書提出儀式 隋皇帝国書は多利思比孤の「日出ずる処」国書への返書 多利思比孤の遣隋使蘇因高は小野妹子か 日本書紀はなぜ「日出ずる処」国書を載せないのか 実際には提出されなかった「東天皇」国書
第5章 隋書倭国伝の倭王多利思比孤は推古天皇ではない 「多利思比孤≠推古天皇」を示唆する隋書倭国伝と日本書紀の主要な内容 「多利思比孤=推古天皇」を示唆する日本書紀の事項
第6章 隋書倭国伝の倭国は筑紫政権の筑紫国である 6世紀前半、筑紫君磐井の筑紫国 隋書倭国伝の倭国に無理なくつながる筑紫政権の筑紫国 7世紀、筑紫国と大和国の併存を示す旧唐書 筑紫政権の実像と大和政権との友好的関係
結論 倭国の遣隋使
別章 冠位十二階は大和政権の冠位制度ではない
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