北魏史 洛陽遷都の前と後
/東方選書54
窪添慶文
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出版社:東方書店 |
出版年:2020年12月 |
コード:00904 312p ISBN/ISSN 9784497220240 |
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隋唐帝国への助走
3世紀初めからの約400年、中国は巨大な分裂期であった。その中で鮮卑族拓跋氏の建てた北魏王朝は、前身と後継政権を含めるとほぼ同じに近い長い期間、国を維持する。その間、①草原の部族連合国家→②華北を支配するものの胡族支配の色彩を濃厚に残す帝国→③胡漢を一体化して中華の地を統治する帝国と、大きくそのあり方を変える。②から③への劇的な転換の舵を切ったのが孝文帝である。本書は改革を象徴する洛陽遷都を序章に置き、五章に分けて、改革の内実、それに至る①②、改革の結果という順序で叙述する。そして終章として、秦漢と隋唐という二つの統一帝国の間にあって北魏という「異民族」政権がいかなる意義をもっていたかを考察する。
●著者の言葉 ではこの時代にあっては最も長い一五〇年近くの統治期間を保ちえた北魏はどのような位置を占めたとしてよいのであろうか。高等学校の教科書には孝文帝、そして漢化政策という用語が記載されている。しかし、北方民族が中国で建てた王朝が一般にたどる途という含意をももつ「漢化」という言葉には、漢=中国を上位に置く思想が透けてみえる。孝文帝の漢化政策は、中華の地を統治する立場の者として、置かれていた状況に対処するために懸命に探り出した方策である。形は中華の制度や文化に同じくするようにみえても、それを安易に漢化の語で一般化するのではなく、それを生み出した事情を探り、それが次代にどのような影響を与えたかを考える必要があろう。(「まえがき」より)
●目次: まえがき 序章 一 洛陽遷都 二 五胡十六国時代――北魏史理解の前提 第一章 孝文帝親政期の諸改革 一 孝文帝の即位と文明太后 二 土徳の王朝から水徳の王朝へ 三 儀礼の改革 第二章 遷都後の諸改革 一 「代人」から「河南の人」へ 二 墓誌 三 胡服・胡語の禁止 四 胡姓を漢姓に 五 官制改革(1)――消えた内朝官 六 官制改革(2)――九品官制の整備 七 姓族分定 八 官制改革(3)――門閥制の導入 九 考課の改革 一〇 国家意思決定のシステム 一一 南朝斉への攻撃 第三章 建国から華北統一まで――濃厚な鮮卑色の時期 一 代国時代 二 代国の復活 三 華北統一へ――道武帝~太武帝の時期 ◆帝国への脱皮 ◆皇帝位の継承 ◆帝国の拡大――華北の統一 ◆北魏包囲網とそれへの対処――北魏の対外関係 四 北魏政権下の諸族 ◆征服された諸族と旧来の諸族 ◆部族解散 ◆部族解散された人々のあり方(1) ◆部族解散された人々のあり方(2) 五 北魏政権下の漢族 六 可汗とも称した北魏皇帝 第四章 変化のきざし 一 鎮にみられる変化 二 鎮軍と州軍への「代人」の分出 三 文成帝と献文帝 四 文明太后称制期 五 均田制と三長制 六 仏教に現れた変化 七 洛陽遷都のもつ意味 第五章 繁栄、そして暗転 一 改革の継承 二 洛陽の繁栄 三 北魏の文化 四 「代人」や鎮民の不満 五 六鎮の乱から東西分裂まで 六 東魏・北斉 七 西魏・北周 終章 一 制度 二 支配階層 三 女性の活躍・世界帝国 四 北魏史の位置づけ あとがき 北魏関係年表 参考文献
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■編著者紹介
窪添慶文(くぼぞえ・よしふみ) 1941年千葉県市川市生まれ。高知県で育つ。東京大学大学院博士課程東洋史専攻単位取得退学。東京大学文学部助手、高知大学教育学部助教授、教授を経て、お茶の水女子大学文教育学部教授で停年を迎え、立正大学文学部教授をつとめる。現在はお茶の水女子大学名誉教授、(公財)東洋文庫研究員。主要著書に『魏晋南北朝官僚制研究』(汲古書院、2003年)、『墓誌を用いた北魏史研究』(汲古書院、2017年)があり、共著として『中国史 二―三国→隋唐―』(山川出版社、1994年)、編著として『魏晋南北朝史のいま』(勉誠出版、2017年)がある。このほか東洋文庫で行っている研究会の成果としての『水経注疏訳注』(これまでに渭水篇、洛水・伊水篇、穀水篇4冊を刊行、2011~19年)の編集・執筆に関わっている。
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