日本ビジネス中国語学会 第16 回公開公演・シンポジウム

  2004/6/26

 

対中プラント輸出と投資についての若干の感想

 

 

 関西外国語大学国際言語学部教授

 

 

吉田 鐡也

 

 

中国繊維ビジネス断章

まえがき

 日中関係の今日までの歴史には、それぞれの時代に於いて多くの先達のそれこそ血と涙の物語があり、私が如き者が御話するのはおこがましい限りでありますが、たっての御要請と言う事で、恥を忍んでこの席に立たせて戴きます。

 私は企業にあっては主として繊維事業に関わるビジネスに従事して来ました。その範囲は、国内外の紡績会社に対する繊維販売(原糸原綿販売)、織物生産企業に対する繊維販売(紡績糸・長繊維)販売、流通業者織物販売問屋に対する織物販売、所謂アパレル企業に対する織物販売から、繊維事業に関わるプラント輸出・投資・経営まででありました。
 戦後50年、改革開放20年を経て、今新たな日中経済(貿易・投資)の発展の中で何を感じ何を考えさせられているかについて、中国ビジネスモデルの或る切り口からの感想を御話したいと想って居ます。

1、繊維事業の特質

 最初にお話しておきたい事があります。既に御承知ではありましょうが、繊維ビジネスには他のビジネスと決定的に異なる一大特質が有るのです。それは次の3点であります。

 ①繊維は「商品」として生産され流通し最終消費されて行く過程の中で、繊維の「商品」としての価値(価格)表示の「単位」が変わって行くと言う事。即ち、繊維の糸・綿のビジネスは重量即ちkg当たり幾らで売買される。それが織物になると面積即ちm2当たり幾らで取引され、2次製品即ちアパレルとなると1着(1打)当たり幾らと言う単位で売買取引されるという事。( 1次元《重量》-2次元《面積》-3次元《個》 )

 ②繊維はその出発点の形態が細くて長いものであるが故に、原料(糸・綿)の生産から最終消費される製品(縫製品)までのリードタイムが極めて長い事。

{75de一本3kgのbobbinの糸の長さは360km。かつて豊田自動車と或る車種のカーシートを企画した時、そのリードタイムの長さに驚嘆された事がある。(使用糸の生産・その糸による織物生産・織物の染色加工・カーシートに縫製までのプロセス所用時間)}

 ③繊維は原材料から最終製品までのプロセスが部品の組立加工プロセスによって完成して行くのではなく、第1ステージの原材料(ファイバー)がそれ自身のファッション性を包含して第2ステージの織物(ファブリック)を構成し、その第2ステージの織物(ファブリック)が同じくまた新たに付加されたファッション性を包含して第3ステージのアパレル製品を構成する事。即ち、ファイバーもファブリックも最終企画商品のアパレルに対して交換可能な部分を構成する部品部材ではなく、アパレルそのものとしての価値を構成する素材であると共に当該アパレルファッションの構成要素である事。この最終製品(アパレル)までのリードタイムの長さが繊維産業のQR機動力を有効ならしめ難い決定的要因となっている事。

 長々と繊維ビジネスの特質について御話して来ましたが、それは日中間の繊維ビジネスを論ずる時、最初に明確にして置かなければならない基本的認識であるからであります。

2、    中国との繊維ビジネスモデル

 さて、中国との繊維ビジネスモデルの流れを大雑把に追って見ると、大体次の様であると言えます。

(1)  製品・産品の輸出入
(2)  プラント輸出/技術移転
(3)  合作・合弁・独資

    ①委託加工生産志向~②国内市場参入志向

 私が中国相手に直接取組み推進した範囲は、先に述べた第1ステージの原料ポリマー生産から原糸原綿生産までのプロジェクトと第2ステージの糸を使用して織物を造り染色加工するプロジェクトであり、所謂第3ステージのアパレル(縫製~販売)プロジェクトについては直接の経験はありません。

 {所属していた会社としては、勿論アパレル分野の事業も展開はして居りましたし、今も事業として100%子会社での展開をしているのですが…。}

3、プラント輸出/技術輸出について

 私は、1973年~1976年~1981年、周恩来総理が「建議」し毛沢東主席自らが「圏定」した4大合繊プロジェクト、上海石化・天津石化・遼陽石化・四川維尼綸廠の中の上海と天津のプロジェクトに、ポリエステルのプラント輸出/技術輸出というビジネスで参画しました。正に文革が「批林批孔」を喚き、最後の熾烈な指導権争奪戦を展開していた激動の終末期から改革開放への8年でありましたが、この間の経験の中から今日改めて考え置くべき事、現下のまた今後の日中ビジネスに於いて心すべき幾つかを抽出して見たいと想います。

①      先進的技術

 技術輸出・プラント輸出に於ける契約には必ず下記条項が条文として規定されました。
 提供する技術は最も先進的であり、実際経験のあるものであり、最も信頼性のある技術でなければならない。《乙方提供的技术应是最先进的,有实际经验的,最可靠的。》
 従来、西側の世界では技術のライセンスビジネスは技術を所有しているlicensorが主導権を持ち、licenseeが主導権を持って交渉出来る事は有りませんでした。改革開放までの中国は国家の独占的技術導入機構(中国技术进出口总公司)で以ってlicensorに対峙して来た事により、世界の各licensorを熾烈に競争させる事を可能にし、上記条文による技術導入原則を堅持し得たのであります。
 かかる「最も先進的」と言った文言での契約条文は、欧米の近代的ビジネス契約の通念には無い極めて文学的表現であり、私達は大いに戸惑ったものであります。この原則は中国の過去の歴史的経験に拠って来るものであると同時に、典型的な中国独特のビジネス手法に基づく主張であり、正に俗話の《不怕不识货,就怕货比货。》そのものであったのであります。当然に、契約後の具体的契約実施段階に於いて、多くの問題が発生しました。

当時の中国側の基本態度は

・      既存の材質(spec)を如何にlevel-upさせるか。
・      実験中の新技術を如何に取り込みguaranteeさせるか。
・      「手動」はすべからく「落后的」と看做し、「自動化」を推進拡大する。

でありました。

 {1973年当時、私が北京で読んだ中国の化学繊維の書籍(B5 200ページ程度の化学繊維技術書)に、クラレは北京维尼纶厂に陳腐な技術を高価な価格で売りつけたと強く批難した記述を見た。私はこれは単に文革時の限られたagitatorによる過激な排外発言であったとは見ない。契約に規定する「先進的技術」の解釈が異なるのである。}

 「技術導入投資」は経済行為として、「どれだけのカネを使ってどれだけの成果を得るか?」を中長期的経営判断(=意思)によって決定して行くべきものでありますが、中国はこの純粋に「コストと成果」の経営的経済分析・判断をするに当たり他の国には例を見ない多くの時間を費やして来たと言えると想います。

②詳細で正確な技術資料

 プラント導入の設備に関し、最も紛糾したのは供給設備に関する提供技術資料であります。設備取扱説明書・設備据付説明書・設備保全説明書以外に、中国が常に入手を志向したのは設備製作図面であります。当然にそれ等は契約範囲外であるとして紛糾しましたが、中国側は《技术资料应是正确的,详细的,可靠的。》の契約正文条項の《详细的》を盾に執拗に形を変えて次々と要求を繰り返し、攻防戦は時に「熬夜洽谈」を余儀無くさせらたものであります。当時の日中技術者の基礎レベルの格差が説明書と製作図の認識の差となっているのだとの解釈の議論も致しましたが、私は基本的に自力製造能力の獲得を戦略としていた事は間違いない事実だと想います。外国の力(資本と技術)を用いて如何に中国の機械設備製造能力(レベル)を高めて行くかを志向していて、今日の国家プロジェクトの展開推進に於いても如実にそれが現れてると考えます。
 {三峡ダムプロジェクトに於いてその基本的海外設備技術の導入を大きく3つに分け、最初の3分の1は設備を海外から調達するが、次の3分の1は合弁で中国にて製作し、そして残りの3分の1は中国自身で製作するとの枠組みに同意する事をプロジェクト参入の条件としている。}

4、投資(合弁・独資・合作)に於ける先進性要求

 中国に持ち込む技術は「先進的技術」でなければならない事についての拘泥は、合弁事業・独資事業・合作展開に関しても変わりません。それは外資企業の基本法である外資事業認可法にも明記されているのです。

 即ち、

(1)中華人民共和国中外合資経営企業法第5条規定

 外国合营者作为投资的技术和设备,必须确实是适合我国需要的先进技术和设备。如果有意落后的技术和设备进行欺骗,造成损失的,应赔偿损失。

 また、同実施条例第6章「引進技術」第44条規定

 合营企业引进的技术应是适用的、先进的,使其产品在具有显著的社会经济效益或在国际市场上具有竞争能力。

(2)中華人民共和国外資企業法第3条規定

 设立外资企业,必须有利于中国国民经济的发展,并且采用先进的技术和设备,或者产品全部出口或者大部分出口。

(3)中華人民共和国合作経営企業法第4条規定

 国家鼓励举办产品出口的或者技术先进的生产型合作企业。

 導入技術は先進的でなければならない事、これは中華人民共和国建国以来、一貫して党中央が要求し堅持して来た技術と言うものに対する中国の原則であり、不動不変の戦略的希求なのであります。そして「先進的である事」の要求は、単にビジネスに関わる分野に留まらず、党のidentity・国家戦略の基本とまで位置付けられて来ています。即ち新しく中国共産党党則に盛られた所謂「三つの代表」の中に《党は中国の先進的な生産力発展の要求の代表であり、先進的な文化の発展方向の代表でなければならない。》と謳っています。
《我们党要始终代表中国先进生产力的发展要求,··· ,我们党要始终代表中国先进文化的前进方向,··· ,》

 {なお、改革開放の初期に日本繊維構造改善プロジェクト推進の中で、数百台の中古の仮撚機を対中輸出した事が有ります。これは技術導入とは関係の無い、純粋に格安機械設備購入ビジネスとして認識され成立したものであります。}

《アメリカと言う国》

 {1976年、天津での繊維原料ポリエステル8万トン重合プラント(当時世界最大)のときであったが、コンピューター自動制御システムはCOCOM/CHINCOM巴黎统筹委员会(禁运货单)/对华出口管理委员会(对华禁运货单)の禁輸リスト品目であった。当該プロセスは世界一般ではマニュアル自動操作システムが採用されていた。理由は当時の実生産に於いてはマニュアル自動操作システムの方がより経済合理性を持って居たからである。中国はコンピューター制御システムの導入を強く希望し、結局或る一定の付帯条件付での契約調印となった。契約調印後、日本通産省を通じパリの本部に申請し種々工作したが一向に埒が明かず、1年が経過した。終に当該プラント機器製造開始のタイムリミットとなる或る日、北京にて通産省からの通報としてCOCOM認可取得の電報を受けた。快哉を叫んだのだが、翌日の新聞を見てがっかりさせられた。アメリカIBMがCOCOM/CHINCOMの承認の下、人口調査用に大型コンピューターの対中国輸出に契約調印したとの発表である。如何に米国のビジネスが政官財一体の強力な行動によって展開されているかをまざまざと見せつけられたものである。}

《新幹線(上海~北京)売り込みについて》

 {北京‐上海新幹線プロジェクトについても導入の基本路線は同じであると考えるべきでありましょう。30数年の安全運転の実績は中国には決して「先進的」とは映らない。中国が要求する「先進的な」ものとは、その安全性の上に、更に新しい挑戦のリスクを包含したもの、即ち研究開発段階を終え先行実験先行実施に入っている技術を包含するものであり、それをguaranteeして提供させる事。不測の事態の発生に対しては、全力を挙げた問題の徹底的解決と関連する経済的補償を約束させて置く事であり、それが中国の原則としての技術導入の面子であり、中国の世界観としての友好的取引関係なのである。
 『原則が確認されれば、現実に発生する問題に対しては、(勿論具体的個々に於いて激論と駆け引きが戦わされるが、)最終的には現実主義的「实事求是」によって決着して行く。』これが私の経験して来た中国である。}

5、技術移転について

①技術者養成訓練(培训)について

 プラント輸出に伴う技術移転契約は、当然にその当該技術の使用範囲は「契約工場」に於いてだけでありました。契約履行実施の一環として、「契約工場」の建設操業の為の中国技術者の養成訓練があり、当然にこれら養成訓練に参加した中国人技術者は全員「契約工場」にて日本人技術者の下で建設操業に参画する契約でありました。しかし帰国後何人かの技術者は最後まで契約工場には顔を出さず、この予定していた現場での中国人技術者の欠落は日本人supervisorに過酷な負担を強いるものでありました。またそれは単に契約工場の立上げを困難にしただけで無く、当該契約技術の契約工場以外での使用を疑わせるものでもありましたが、この問題に対しては中国側は終始無回答でありました。

②supervisor派遣について

 文革下、過酷な条件下での仕事と激論の絶えない日々であったにも関わらず、25年を超えて今日なお私達の技術者と一緒に仕事をした上海の技術者・天津の技術者との個人的友情の付き合いが有ります。この事実は今日の私の対中国観を構成する基本的検証の一部でもあります。

③性能確認運転について

 プラント契約/技術移転の契約履行の最終点である性能確認運転《考核运转》に対する基本認識は、日本と欧米とでは大いに異なっていました。契約に対する基本理念が違うのです。契約に定められた通り、若し性能確認運転に於いて不合格となった場合はpenaltyを払えばいいと言うのが契約に対する欧米の基本認識であり、日本人のそれは不合格とかpenalty支払いと言う事態の招来は有り得るべきものではないと言うものでありました。最終的結果として、如何に私達が中国の信頼を勝ち得たかはその後の歴史が証明するところでありますが、常にプラント輸出ビジネスの競争に於ける大きな論点でありました。

④導入技術の守秘義務・使用範囲・製品の対外市場制限について

 パリ条約に加盟していない社会主義のそれも文革当時の中国とのこれらの問題に関する交渉は、legalにはっきり規定する事は出来なかった。違反に対する査察権の保証もなく、交渉は異次元の世界との議論に多くの時間を費やした。私達の日中友好の帰着点は保証/penaltyの無い「契約工場」の「守秘義務」遵守の契約条文と問題発生時に於ける「友好協議による解決」でありました。

 {この議論の過程での中国の経験は、1983年9月20日国务院发布《中华人民共和国中外合资企业法实施条例第6章引进技术第43条---第46条》に中国の不変の要求として引き継がれている。}

-不可抗力について-

 {今日では笑い話であるが、当時「罢工」は不可抗力ではない、だから契約の不可抗力規定に入れる事は出来ないと中国側が主張し、延々数時間を費やした事がある。}

6、工場建設投資(改革開放)

 92年に入り歴史は更なる改革開放加速の時代となって来ました。社会主義市場経済を標榜して舞台が大きく廻り出したのです。「社会主義市場経済」とは如何なる経済理論か?中国の志向する経済体制は如何なるものか?多くの論者によって論じられましたし、また論じられています。私はそもそも中国に「社会主義市場経済理論」が先に存在し、それを実践して行こうとしたのではなく、経済的に遅れた当の中国がNIESやASEAN諸国から「資本と技術」こそが国家発展の原動力である事を学び、この「資本と技術」を如何に外資から調達するか?遅ればせながら「改革開放」がその「資本と技術」を導入する事が出来る唯一の残された選択肢だと気付いての大転換を決意したのであり、その決意の後でその決意の正当性を求める理論として模索した言葉が「社会主義市場経済」だと分析して居ます。

南通帝人の考え方

対中国建設投資については次の様な枠組みでスタートしました。

(1)  (当時の中国の政治経済の実態から、)小さく生んで大きく育てる事とする。
(2)  中国進出日系アパレル企業へのファブリックのQR対応を第一とする。
(3)  (独資でなければ事業経営の自己責任が持てない。)独資的経営を徹底追求する。
(4)  partnerには日本側の不案内な部分をcoverする事だけを期待する。
(5)  不良債権の発生を未然に防ぐ。

 日本に於ける最新の技術で以って、1994年裏地専門の「染色加工」の工場を建設し、その後逐次「織布」「裏地以外の品目」へと増設し今日を迎えて居ります。

7、中国の繊維事業

 さて、繊維事業は第1ステージであれ第2ステージであれ、また第3ステージであれ、その事業コンセプトを何処に置くか?例えば、少品種大量生産或いは多品種少量生産の何れを目指して行くか?等それはそれぞれの国の事情、それぞれの企業のglobalな事業戦略に拠って変わるのは当然の事であります。では中国はどうか?中国は既に述べました繊維の第1ステージ・第2ステージ・第3ステージそれぞれのステージに於いて各企業(国営・公営・私営・合弁・独資)が個々に多様な展開をして居り、今日中国全体を合計して見ればその生産の圧倒的volumeに於いて世界を凌駕席捲して居るのであります。

 しかし、中国がこの原料からアパレルまでの不連続なステージ、第1ステージから特に売れ残れば「半値8掛け5割引き」《半价八折五扣》と言われる第2・第3ステージを包含しての繊維産業に於いて、何処まで中国自身の企画商品展開の商取引のvitality(活力)が機能し得るか?それが問題であります。例えば、90年代に入り、紡織総会傘下の国有合繊企業の買収要請があり、具体的に幾つかの交渉を持ちましたが、どの企業も各ステージのB/S・P/Lが明確でなく実現しませんでした。

 また一方、こんな例も有ります。

翔鹫涤纶纺纤(厦门)有限公司の短繊維綿混用1銘柄10万トン/年、長繊維POY1銘柄10万トン/年と言った展開が出来るのは、全世界でも中国に於ける外資だけであります。

 合弁/独資を含む中国の原糸原綿/紡織染/アパレルの大中小の各企業が、どんな戦略で以って今後の展開を図るか? これ程興味深いものは有りません。 

 繊維の生産と研究開発との関係はそのリードタイムとリスクを包含して各ステージに跨り大きく2つに分かれます。

(1)「どういったポリマーからどういった繊維を造り、どういった織編物を造るか?」
《基礎技術・応用技術の研究開発とその生産》

(2)「開発された繊維で①いつ②どれだけ③どういった企画デザインの織編物を造り、④いつ⑤どれだけ⑥どういった企画デザインのアパレルを造るか?」

 資本集約的

←――――――――――――→

労働集約的 

ファイバー

 

ファブリック

 

アパレル

ファイバー     ファブリック

 

ファブリック     アパレル

 これら各ステージでのビジネスはまた次の概念の座標軸の何処かを占めて自らの商品群を構成して居ます。

 

 

Brand

 

 

 

 

低品質

───────┼───────

高品質

 

 

 

 

無印

 

 

8、四つの不変《四个不变》

 建国から30年、改革開放から20年、WTO加盟から2年半、この間に大きく変わって来た事と、全く変わらずに一貫した不変の主張があります。
 それは「四つの不変」即ち、

(1)  共産党独裁の不変-人事/党則は変わっても党の権力独裁は不変-
(2)  中華思想の不変-プライドの堅持/国家利益追求の不変-
(3)  導入技術の先進性追求の不変
(4)  原則不動不変の不変-対応は現実主義の不変-

であります。

 先日(2004年6月1日)発表された中国の自動車産業新政策に於いてもこの従来の基本原則「四つの不変」を変えるものではないと私は想っています。

 最近特に注目すべきは、ここ2~3年、所謂製造部門だけでなく研究開発に関わる部門の現地中国展開が多くの事業分野で発表されています。特に私の専門でないfieldで顕著であります。

〔家電〕
 AV(音響・映像)機器用ソフトウエア研究拠点(ソニー・松下電器)2001.12.13<日経>
 白物家電研究開発機能の一部を中国シフト(日立・他)
 複写機開発(キャノン・リコー・富士ゼロックス)2001.12.29<日経>
〔二輪車〕
 (ヤマハ・ホンダ)2002.2.4<日経>地域ごとにデザインや機能などについての好みが異なるなど多様化に対応を迫られている。

 いずれもマーケット志向の商品開発の為としての組織戦略の現われであります。しかし留意し置くべきは、その開発が自らの投資工場乃至は己が経営の企業の生産販売にリンクした枠組みが堅固に構築されていない限り、将来大きな問題を惹起すると考えて居ます。 単に高級労働集約事業として安価な労働力を求め、真にその事業を支える経営基盤が何処にあるかを見失うとすれば、いずれそこに従事する中国側に主導権は移行するの止む無きに至る事は必定でありましょう。

 

 

 

 

 

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