日本ビジネス中国語学会 第14回公開公演・シンポジウム

 

 

放送通訳について
-通訳現場の苦労話

 

 

 神崎多實子

 

 

 

 

 

  通訳ではなく、「講演」ということで登場するとなると、やはりいささか勝手が違いますね。通訳の場合、事前に考えることは、「スピーカーは一体どんな話をするのだろうか、それにうまく対応できるだろうか?」などですが、いざ自分が講演しなければならないとなると「何を、どのように話せばいいのか?」ということで、頭を悩ませる。ただ「何を話すか」裁量できるわけですから、自由であり、より創造的な感じがします。そういう意味では、通訳とは、スピーカーに左右され、ある一定の枠のなかでの作業です。しかしやはり限りなく奥の深い仕事だと思います。それも言葉だけでなく、いろいろ比較対照することによって、自らを切磋琢磨し、多くのことを学べるのではないでしょうか。

  今日のテーマは「放送通訳について」ですが、1989年にスタートしたNHK BS1での私の仕事にまつわる体験談を中心にご紹介します。

一 放送通訳とは(TVを中心に)

  聞くところによれば、現在16ヶ国語のニュースを放送しており、NHK情報ネットワーク、バイリンガルセンターには1000人近くの通訳者が登録されているそうです。私は放送通訳の仕事にたずさわるようになってから15年近くなりますが、別にNHKの職員ではありません。ただ常時放送通訳をするレギュラーメンバーの一人で、中国語スタッフ約15人がローテーションを組んで対応しています。

  新聞のテレビ番組欄を通して、すでにご存知だと思いますが、現在NHK BS1で放送されている中国語オリジナルによるニュースその他は、時により変更がありますが、およそ下記の通りです。

CCTVニュース

(AM 9.20~9.30)

火~土曜

CCTVと上海TVニュース

(AM 2.07~2.25)

月~金曜

香港フェニックスニュース

(PM 19.02から19.07)

月~金曜

香港フェニックス時事弁論会

(PM 19.22から19.50)

月~金曜

  通訳の形態は、主に時差同時通訳、つまり事前にキャッチした中国語のニュースをモニターしながら日本語に訳し、その後翻訳原稿を見ながら、映像に合わせて読み上げるのです。

 そのほか一部同時通訳による生放送があります。これはごく僅かですが、鄧小平氏追悼式、香港返還式典、建国50周年祝賀行事、最近では「神舟5号」有人宇宙船の打ち上げなどがあります。同通の生放送とは、つまり実況放送の映像を見ながら、その場で中国語から日本語に訳していくのです。トチっても、間違っても出たとこ勝負、流れた音声を、後戻りさせることはできません。(以上詳細は待場裕子先生との共著『中国語通訳トレーニング講座』東方書店出版に掲載)

 

 二 放送通訳に求められるもの

 ◎何よりもまず速さー時間との競争

  時間に追われることなく放送通訳の仕事ができたらどんなに楽しいことか、とよく思います。しかしニュースと言われる以上、ゆったりした気分でやっていたらそれこそ“新闻”ならぬ“旧闻”になってしまいます。時差通訳の場合、中国語のニュース1分当たり、日本語訳に費やす時間は、内容にもよりますが通常30分くらいでしょうか。つまり録画を視聴しながら、それを直接日本語に訳し、書き留めていくのです。この作業は、まず中国語の書き取りをしてから、それを日訳しているのでは間に合いません。一般の通訳業務の時にスピーカーがしゃべりだしたら、頭はすぐにフル稼働し、頭の中で訳し始めるのと同じ状態です。そして聴きながら原稿を作っていきます。

  一方普段の通訳と異なる点は、放送に当たって発話する際、絶えず映像を意識し、映像にぴったりついていかなければならないことです。画面はすでに農村風景に移ったのに、まだ工場のニュースを通訳していては、ちぐはぐになってしまいます。またご承知のように中国語は短いセンテンスのなかに多くの情報が含まれています。つまり半導体のチップに喩えれば、密度が濃く、「賢く」できているのです。ですから内容の一部、例えば形容詞をカットする、また動詞の重複を避けるなどして次々と変化するTVの画面に遅れをとらないよう心がけなければなりません。

 

◎リスニング力

  これらの作業にすばやく対応するには、まずリスニング、聴く力を付けなければなりません。ただリスニングの向上はそう容易いものではありません。私は、中学生の頃、初めて中国の学校に入り、中国語を耳にした時、中国語のあまりの速さにびっくりしました。しかし半年ほど毎日授業を聞いているうちになんとなく意味がつかめるようになりました。こうして中国の学友と4年余りともに過ごし、帰国する時には、かなりリスニング力がつき、一番好きな課目は“语文课”になっていました。

  その後、といっても国交回復以前の頃ですが、中国語研修学校で教鞭をとるようになってからおよそ5年間、“听广播课”を手がけました。中国通信社から放送のテープをお借りして、まず自分で書き取りをし、授業で生徒さんになんどもテープを聞かせ、最後に答案として私が中国語で記したニュース原稿をお渡しするという方法でした。もちろん答案がすんなり出来上がるわけではありません。準備にかける時間は大変なものでした。でも今にして見れば、私のリスニング力の基本はあの頃に培われたのだなと思います。もしかしたらあの時一番勉強したのは、教師の私だったかもしれません。

  しかしいまでも、多くの難題にぶつかります。例えば企業名など固有名詞もその一つ。

  上海TVのニュースで最近ぶつかったのですが、薬局の名前で“hua yuan”、“国大”と出てきました。「国大」は画面に出てきたので問題ないのですが、前者の“hua yuan”が分からない。音声を収録する時間が迫っても確認できない。そこで「花園」、それも訓読みで「はなぞの」としてしまったのです。ところが実際は“华源”。でも時すでに遅し、これはカットすればよかったと思います。

  なかでも頭の痛いのが海外企業の名前、例えば“摩根大同集团”、これは字幕にあったので、聞き取りは問題ないのですが、どう訳すかの問題です。結果はJP・モルガン・チェース社、これは中国の指導者が同社の幹部に会ったというニュースですから、カットするわけにはいきません。海外企業名リストやらインターネットで確認するなど苦労しました。

 

◎新語、略語への対応

  例えば、“制衡”、どの中文日訳の辞書にも見当たりませんでしたが、「新華新詞語詞典」に“相互制约,使趋于平衡”と記されていました。センテンスを短くするため「バランスを保つ」としておきました。

  また最近よく見かけるのが、“平台”(プラットフォーム)、もともとコンピュータ関連で使われていたのが、今では“服务平台”、“对话平台”などいろいろなところで用いられるようになっています。この場合「サービス・プラットフォーム」では意味不明だし、「サービス態勢」「対話の場」?どう訳せばいいか迷うところです。そのほか“一门式(一站式)服务”「ワンストップ・サービス」つまりあちこち盥回しされるのでなく「一括サービスの提供」など、枚挙に暇ありません。

  略語も然り。例えば、“公投”(公衆投票)すなわち「住民投票」、“制宪”(制定宪法)…等々、これは訳の問題ではなく、時事問題に通じていないと初めて耳にした時迷ってしまいます。

 

 ◎内容の要約、表現力

 放送通訳の仕事で項目取りというのがあります。つまり一本目のニュースの主な内容、二本目の内容と順次書き記していくのですが、一分程度のニュースを長々と書くのではなく、要約し、見出しをつけていく作業です。これも伝送されてくるニュースを聞きながら即座に書き記す。つまりニュースの要点、ポイントを速く、適確につかむ必要があります。

 

◎発話に対する注意

  この場合の発話は、つまり日本語になります。日本人が中国語を学ぶ際にまずぶつかるのは中国語の発音の難しさですが、日本語のアクセントもかなり複雑です。例えば「支援」、「援助」などのように、アクセントは「支」、「援」にあり、一般的には前に置くほうが聞きやすい。しかし「洪水」のようにアクセントが後ろの「水」にくる場合もあります。ある通訳者から「突破」はどうですか?と聞かれたので私は「アクセントは前」と答えたのですが、読み方辞典では「アクセントを前に置いても、後ろに置いてもよい」となっていました。 

  もちろん日本語ネイティブにとっては、日本語の発音にさほど拘らなくても自然に正しく言えるわけですが、中国語ネイティブにとっては頭の痛い問題です。これを教育の現場と比較してみますと全く同様の現象が見られます。すなわち日本人にとっては、中国語のリスニングが最大の難関、中国人にとっては、中国語ニュースの理解は即座にできても発話の段階で意味不明になったり、聞き取りにくい日本語になったりすることがしばしばあります。これは放送の作業現場でも全く同様で、両者は正に“取长补短”の間柄にあるといえましょう。

 

◎グローバル化、多様化への対応

  ここでいうグローバル化は、現場に即しての言語上のグローバル化にすぎませんが、例えば中国のニュースに韓国の「現代グループ」にかんする話題が出てきたとします。以前ならそのまま「げんだい」と言えばよかったのですが、最近は「ヒョンデ」としなければなりません。人名なども韓国語読みにすることになり、これも頭の痛い問題です。

  また特に朝のCCTVは国際ニュースが多く、例えばイラクの地名、武器などに苦労しました。

  これは会議通訳の現場でも同様ですが、グローバル化にともない、日本と中国二国間の話題だけでなく、多岐にわたる内容に対応しなければならず、それだけ通訳をめぐる環境も厳しくなったといえましょう。

 

 三 最近の状況と現場での対応

  以上時差同時通訳、つまり原稿あり(と言っても自分で手がけた翻訳原稿)同通を中心に説明しましたが、ここでは少し同時通訳による生放送についてお話します。この場合、概ね現場からの生中継、例えば香港返還の際のセレモニーや建国50周年の祝賀式典など、内容は様々ですが、事前に準備するにしても、江沢民前国家主席のスピーチ原稿が手には入るわけではなし、式典が近づくにつれ不安が募るばかり。そこで香港返還の時は、人民日報の社説などを切り貼りして、それをベースに「私ならこうしゃべる」?という原稿を作りました。結果は似て非なるものでしたが、ただ度胸をつけるのには役立ったように思います。

  しかしいつも「まずまずの成果」が得られるわけではありません。1999年の「9.25台湾地震」の時のことです。「地震」は、日本でも多発しますし、自然現象ですから、およそ用語を想定できます。後は地名などを事前に掌握しておけば、多分どうにかなるだろうと考えていました。ところがそうは問屋が卸さないとはこのことでしょうか。

  まず台湾の記者が「総統が現地に赴き…」と話し始めた途端、そのまま日本語で「総統」と言えばいいものの“总统”→「大統領」という常日頃の習慣で「大統領」と言ってしまいました。ややあってスタッフが静々と放送室に入ってきて、「大統領× →総統」と記した紙を、通訳をしているパートナーと私の目の前に差し出しました。「国軍→兵士か部隊」等々、たしかに台湾関連にはタブー用語がいろいろありますが、同通に夢中になっているうちにそんなことは後ろに追いやられてしまったのです。台湾に関する同時生放送は、幸か不幸かあの時限りで、それ以降依頼されていません。地震といえどもやはり政治と関わりがあることを改めて実感しました。

  2003年10月15日の有人宇宙船-“神舟5号载人飞船”の打ち上げの時でした。飛行士の名前“YANG LI WEI”は、最初「楊立偉さん」かな?と思ったのですが、実は“杨利伟”、「ヨウ リイ」さんでした。これは直前に確認することができました。

  問題はその後の専門家との一問一答です。“ya yinsu”?“亚因素”?「二次的要因」?専門家の回答がよく判りません。しかもかなりのスピードでまくしたてます。とうとうお手上げ、そこの部分は、質問も答えも素通りしてしまいました。そしてしばしの沈黙の後また次の質疑応答に移りました。その後の調べで、正解は“亚音速”、日本語でも「亜音速」でいいそうです。

   そのほか、北京オリンピック招致、“申办2008北京奥运”決定の時の生中継で、私は、イベントがどこで行われるか、会場の名称に拘りました。事前に調べたところ北京の“中华世纪坛”。それが仮になにげない単語であっても、一瞬の迷いが次の聴き取りに影響を及ぼすので怖いのです。おかげで、この時は滞りなくスムーズにいきました。(会場でお見せしたVTRをここでは省略せざるをえないのが残念)

 

 四 結び

  中国語を学び始めてからすでに半世紀、最後に次の二つの言葉をみなさんに贈りたいと思います。

  “吃一堑(qiàn)长一智”、「失敗は成功の母」とでも訳しましょうか。失敗を繰り返しながら成長してきたのだと思います。

  思い起こせばいろいろな出会いがありました。

  長春の東北師範大学付属中学での4年間、1953年帰国後、初めての中国語通訳一般募集に受かったこと、それは中国語の通訳だというだけで、刑事に追われた苦しい時代でもありました。LT(廖承志、高崎)貿易事務所に勤務した頃、国交回復前の中国語研修学校での教師生活、北京中国画報社での翻訳の仕事、東洋(現UFJ)信託銀行に勤めた10年間、サイマル・アカデミーでの教師と会議通訳の仕事…。

  「好きこそものの上手なれ」といいますが、好きになったからこそ、中国語を生涯の友にすることができたのだと思います。

以上

 

 

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