混乱と遊戯の香港映画 作家性、産業、境界線
上製
雑賀広海
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出版社:水声社 |
出版年:2023年03月 |
コード: 368p ISBN/ISSN 9784801007147 |
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切りひらけ、香港/映画の境界を
1980~90年代、香港映画の黄金期を支えた監督たちは、曖昧で流動的な境界線に囲まれた香港に何を見、何を託したのか。 父と子、監督と俳優、見るものと見られるもの、内と外、虚構と現実―― さまざまな二項対立を打ち破る混乱状態と戯れることによって祝祭的な映画空間を作り上げた、【ジャッキー・チェン】【ツイ・ハーク】【ジョニー・トー】という3人の映画人の軌跡を手がかりに解き明かす、香港映画史のダイナミクス。
(以下、本書「序章」より) 黄金期の香港映画産業で生まれた作品について、映画製作者はどのように臨んだのか。言いかえれば、彼らは映画をどのように見ていたのか、彼らは現実と映画を切り分ける境界線をどのように認識していたのか。香港映画はとるに足らない単なる娯楽映画であり、言うなれば現実と区別された虚構の物語世界と見られることも多いが、香港人にとって香港映画はアイデンティティを探求する場として現実と連続している。その境界線は存在すると同時に曖昧でもある。この両義的な境界線は個々の映画作品にどのように働きかけるのか。境界線をめぐるテクスト生成の物語を紡ぐことで、この時代の作品だけが備えている特異性を明らかにしたい。
目次:
序章 香港映画はどこにある 第1節 映画都市としての香港 第2節 香港の死 第3節 香港映画の黄金期 第4節 父子関係と監督の作家性 第5節 本書の構成
第1部 ジャッキー・チェン
第1章 父と子、監督と俳優――「拳」シリーズにおける転倒 第1節 『笑拳』製作までの背景 第2節 独立プロダクションとコミカル・カンフーの登場 第3節 『蛇拳』と『酔拳』における父子関係 第4節 『笑拳』における父子関係 第5節 父と子、あるいは監督と俳優 おわりに
第2章 ハードボディから離れて――ジャッキー・チェンのスター・イメージにおけるハリウッド 第1節 人種/セクシュアリティ 第2節 身体/マスキュリニティ 第3節 ハリウッド・アクション・ヒーロー おわりに
第3章 肉体と形象の境界線――落下するジャッキー・チェンの身体性 第1節 『プロジェクトA』と『要心無用』における落下 第2節 アニメーションにおける落下の表象 第3節 『ミッキーの大時計』とジャッキー・チェンの両義的身体 第4節 ギャグとしての反復 第5節 形象的な演技と空間 おわりに
第2部 ツイ・ハーク
第4章 無秩序の映画――初期三作品における境界線の主題 第1節 香港映画批評における作家主義と新浪潮 第2節 『殺人蝶』の語りにおける中心と周縁 第3節 『食人拳』の空間における中心と周縁 第4節 『暴力の掟』における中心的権威の解体 おわりに
第5章 演じる監督――シネマシティとツイ・ハーク 第1節 シネマシティの登場 第2節 シネマシティの「七怪」 第3節 多焦点の映画としてのシネマシティ作品 第4節 演技をする監督 おわりに
第6章 人間と動物の境界線――『ブレード/刀』における女性の声 第1節 声の脱身体化と身体化 第2節 身体の人間性と動物性 第3節 カメラの視線の主観性と客観性 おわりに
第3部 ジョニー・トー
第7章 中国の風景をめぐって――『謎めいた事件』における中国 第1節 文化大革命と左派映画 第2節 左派映画の戦略 第3節 キン・フーとジョニー・トーの風景論 第4節 キン・フー作品と『謎めいた事件』の風景描写 おわりに
第8章 父と監督の権威をとり戻す――ジョニー・トーのファミリー・メロドラマ 第1節 『過ぎゆく時の中で』とチョウ・ユンファ 第2節 『息子の物語』とダミアン・ラウ 第3節 『裸足のクンフー・ファイター』とティ・ロン 第4節 『愛に目覚めて』とラウ・チンワン おわりに
第9章 規範と遊戯の境界線――『ヒーロー・ネバー・ダイ』におけるセクシュアリティ 第1節 フィルム・ノワールからネオ・ノワールへ 第2節 香港ノワールの言説 第3節 香港ノワールの変遷 第4節 香港ノワールのファム・ファタル 第5節 自己言及する女性 第6節 英雄たちの遊び 第7節 形式主義的アクション おわりに
結論
注 参考文献一覧 図版出典一覧 香港映画作品一覧 香港映画人名一覧
あとがき
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