漢字は「絵文字(象形文字)」であった。誰がみても絵文字は一目瞭然でよくわかった。この絵文字は文化の伝達手段として威力を発揮し、これを発明した中国は、この独自開発品を政治・経済・外交の各分野に活用して、その恩恵を十二分に享受してきた。しかし、この資産も数千年の継承・発展・変化を経て、プラス面よりもマイナス面の方が無視できなくなってきている。
一方日本では、漢字を中国から輸入したあと、平安朝初期の「万葉がな」にはじまって、「ひらがな」や「カタカナ」という「かな文字」を開発しこれを漢字と混在させて使ってきた。即ち、自国言語表記ツールの重要構成部分として漢字を利用している。中国語に“洋为中用”という言葉があるが、さしずめ“中为日用”である。その日本では、先日文相の諮問機関である国語審議会が「常用漢字」以外の「表外漢字字体表試案」をまとめ、字体の統一や略字使用の制限を提案した。「漢字の日本化」はまた一歩進んだといえる。この「漢字の日本化」は、これまでもまたこれからも、時代の進歩・変化とともにますます進展しつづけるに違いない。
そこで以下、この日中両国における、表記ツールとしての文字の使い勝手を考察する。まず日本の場合、漢字が書けなくても(忘れても)、かな(=音標文字/50ケ)さえ知っていれば、少々格好は悪いが手紙や文書を書くことができるので、表記に困ることはない。ワープロなどの筆記用具があれば、かな・漢字転換機能を用い簡単に転換できる。それどころか、やりすぎて、漢字が多くなり却って読みにくくなることさえある。私も最近は一旦漢字に転換したものを、再度かなに逆戻しすることがよくある。また読み方がわからなくても、漢字は姿かたちや前後の送りがなからその意味は何とか判読できる。日本は漢字の持つよいところを借用し、字画が多くて書くのが大変だとか、字数が多くて覚えるのに手間がかかるなど不都合なところは「かな」という絶妙な補助ツールで補った。改良技術或いは応用技術の得意な日本人の面目躍如たるものがある。日本人の持つ器用さ文化と言えるだろう。
日本の場合、表記ツールとしての漢字に対する上記の考えが、戦後1946年の当用漢字の制定からその後の常用漢字、さらに今回の国語審報告に一貫して脈打っていると思う。革命的変革を伴わずとも、細部の手直しで対応できるからである。
ひるがえって中国の場合、文字(絵)を書けば互いに分かり合えた漢字は、技術や社会の進歩とともに、これら新生事物の表記の必要からその数は無限に増えつづけると言う宿命をもっていた。(例えば元素記号 氧(酸素)·氢(水素)·氮(窒素)·氟(フッ素)·氖(ネオン)·镭(ラジウム)·铀(ウラニウム)·钚(プルトニウム)など)
文字を覚えるための負荷は無限大となり、これを覚えなければならない学習者の負担と、文盲の増加や学校教育の困難さが生じた。(費用対効果のようなもので、便利さを習得するため苦労する。しかも、その苦労はなかなか報われない)
また、すでに形成されてしまっているが、なまじ文字をみれば意味がわかるために、音声については求心力よりも遠心力が勝ち、音の統一というもう一方の必要性は無視された。同じ漢語でも北方の北京語、華東の上海語、南方の福建語・広東語・客家語などへと音声面で拡散したのである。
1940年、毛沢東は「中国の文字改革は世界の文字に共通する音標文字の方向を目指すべきである。これは即ち漢字を逐次音標文字へと変革して、音標文字に変えて行くことである。」と遺産は遺産として評価しながらも、この漢字遺産を中国の将来発展に対するお荷物・負担であるとし、償却するよう呼びかけた。
1958年2月全人大で承認公布された漢語ピンイン方案は、その具現化であった。「簡体字」はこのローマ字化への過渡期の併用表記記号としての位置づけで元の漢字の字画を大幅に減らして残された。この過渡期の経過措置であり、併用表記記号の簡体字が現在もまだ使われているのである。中国のいう過渡期とは40年を経過した現在でもまだその最中であることを意味している。
NHK第二放送では、毎日午後一時に中国語ニュースが放送される。世界各国の地名・人名がよくでてくる。とたんに、これらを地図帳や人名辞典で探すことになる。中国語表記が早く音標化することを期待しながら、今回はアジア各地の地名を日本と中国(簡体字+ピンイン)の文字で対照してみた。
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