○商務漢語閑話――ビジネス中国語エッセイ(10)
 日・中同文異議語彙 その2

 

 

   藤本 恒(京都文教大学講師)

 

 

 

 

 

 「読書百遍意自ずから通ず」“书读百遍,其义自通”とは学生時代によく先生に言われた言葉で、私もこの言葉を大切にしてきた。特に外国語として中国語を学んできた私にとって、この言葉は過去・現在を通じて大きな意味を持つ。子供と違って、成人になってから、外国語を学ぶ場合、その勉学の常道として最初は、語学学校に入学し、先生から教えてもらうことが一番よいことだろう。しかし、その場合でも、学習に欠かせないものに、辞書と参考書がある。中でも辞書は絶対である。辞書を持たない語学学習はおよそ想像もつかない。しかし、この辞書も決して元からあったものではなく、辞書作りは私たちの先達が実地の中で、「フィールド・ワーク」“现场作业”の苦労を重ねて営々と築き上げてきた成果である。この成果を活用させてもらって語学学習をしてきた我々は、単にその果実をありがたく頂戴し賞味させていただく以外に、やはり実践の中で気づいたことに対し「フィード・バック」“反馈”する必要があると考える。何故かというと、言葉は「スタティック」“静态”にとらえるのではなく「ダイナミック」“动态”なかたちで見るべきだと考えるからである。「読書百遍意自ずから通ず」という言葉は最初その文を読んだ時には意味不明か、分からなかったものを、辞書を引き繰り返し読むうちに意味が分かる、或はその文に含まれているより深い意味が会得できる。即ち、“静态”から“动态”への転換が行われている。辞書は、研究者やグループの長年の蓄積、研究の成果・結晶である。そして、その辞書は出版された時が一番新鮮である。しかし、言葉が時代・社会の変化進歩につれて変化しているのだから、組織機構などと同様に辞書の陳腐化は出版されたその時点から始まる。特に同根の文字を使い文化交流が盛んな日中両国間をとってみた場合、当初どちらかの国から持ち込まれた語彙は、その持ち込まれた時点では意味・用法が同じであった筈だが、それぞれの国に定着してくるにつれて、自己運動を始めることが多い。ビジネス用語の場合、どちらかというと、使われる用語も共通の文字を書くことが多く、この辺りの呼吸を「読書百遍」(或は多くの文例に当たり、「ニュアンス」“语气、语感”をつかむ)により間違えないようにすることが最重要であると考える。下記は、ごく普通に使われているが、その使い方は要注意と考えるいくつかの語彙である。

“比例”

 この言葉、日本語では「1:2」というように、二つの数をあげて比べることである。ところが中国語には、その意味もあり、同じ用例もあるが、よりよく使われるのは、日本語で「比率」という時に、この“比例”が使われる。また中国語の“比重”は比喩的に重さとは関係なく、あるものが全体に対して占める重み(割合)をさすので日本語の「比率」と同じように使われる。一方中国語で“比率”なる単語を見かけることは滅多にない(“绝无仅有”)。

“增加”

 日本人が間違えやすい言葉だ。中国語で“增加两倍”といわれた場合、これが三倍の意味だと、直ちに理解することはなかなか難しい。語法的には“增加”なる動詞の直接の目的語が二倍なので、二倍を増加させたことになる。即ち基数プラスその基数の倍数ということで、もし二倍という場合は“增加一倍”とするか“增加到两倍”としなければならない。

“执行合同”

 契約履行に関しては、日本も中国も約束を実行することを重視しており、中国でよく聞く言葉に“重合同守信誉”がある。しかし、日本語の「執行」は「刑の執行」などと、法律上のニュアンスが強く、普通の取引契約に「執行」は使わない。一方中国では契約が「法行為」であることから、“执行合同”が普通で“履行合同”なる用例は、あまり見かけない。

“乃至”

 日本語では「3乃至5」という場合、この「乃至」は「または」とか「或は」という意味にとるのが普通で、「3または(或は)5」と書き換えることができる。しかし、中国語で使われる場合は、「引いては」という意味で、文字の“至”に重心があり、“甚至”「甚だしきに至っては」に近い。先年みかけた文例では下記がある。“邓小平先生的逝世是我国乃至世界的巨大损失。”

“思想”

 日本語では主義・主張を意味し「イデオロギー」(“意识形态”)などと同様に堅苦しい意味をもっている。中国でも“毛泽东思想”などと同等に使われることもあるが、親が子供にごく普通の調子で“你这样的思想是不对的”(=「お前のその考え間違ってるよ」)と“想法”“念头”などと同一の使い方をすることが多く、この語彙に対して日本人のように身構えることは少ない。

“就职”

 大学の就職活動も終盤戦に入っている。「就職」は日中両国で国情が違っても、学生にとって希望と不安が入り交じった人生の節目である。ところがこの言葉、中国語では“就业”が普通であり、中国語の“就职”は“就任”と同じに使われる。個人のこと以外に、就業人口も“就业人口”という。但し就業時間は“上班时间”となる。中国語の“就职”とは、アメリカの大統領が就任式を行って正式にその職に就くなど高い地位の職務に就く意味である。そこそこの役職に就くのは“上任”。なお、辞めた後の呼称について、日本では「村山前首相、竹下元首相」と明確に区別するが、中国語では一律に“原首相”と呼ぶ。ハラ首相のことではない。“原国民党……”というのは、昔国民党の役職に就いていたことである。

原載:『日中経協ジャーナル』(財団法人日中経済協会)

 

 

 

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