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○商務漢語閑話――ビジネス中国語エッセイ(3) |
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藤本 恒(京都文教大学講師) |
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原載:『日中経協ジャーナル』(財団法人日中経済協会) 私がライフワークとしての中国語の学習を始めたのは、神戸市外事専門学校(現神戸市外国語大学)中国語科に入学した昭和23年からのことである。もう50年になる。自分の人生を振り返ってこれが正解であったかどうか、まだ結論は出していないが、出発点においては大層な誤解と怠け心で始めたことだけは告白しておきたい。 誤解にはいくつかある。4月号で述べた“接受”、5月号で書いた“贸易”の語義の違いもそうだが、両国語表記のための文字に対する誤解もその中の一つであった。即ち、敗戦後の混乱がまだ収まっていなかったこの時期、これからの日本は貿易立国で生きて行かなければならないという世論と風潮の中で、外国語学習の決心をしたのだが、戦時中まともに勉学できなかった私にとって、外国語を一から学ぶことは考えるだけで気の重い事であった。そこで思いついたのは漢字を使い、意味も同義(?)の中国語であり、当時中国はまだ略字(=簡体字)も制定されておらず、文字は基本的に日中同一であったので西欧言語のごとく、スペルや意味を暗記する必要もなく、問題は発音だけであると考えた。 確かに、学び始めは楽であった。しかし、実際には両国の文字が似通っているだけに、却ってよく間違いを犯すことが多い。 親しい中国の知人から「日本人で中国語のよくできる人でも、文字には“错别字”が多いですね。これは、中国では“日本人的文化水平不高”と誤解されますよ。日本人は工業製品であれだけ部品精度や材質にこだわるのに、何故漢字についてはいい加減なのでしょうね」と指摘されて成る程と反省した。ここにも互いに似ているだけに余計注意しなければならない点があった。皆さんは「だいたい同じだからそうめくじら立てることはない」と言われるだろうか。しかし、それなら「英単語のスペルが多少違っていてもよいものだろうか?」との質問を投げかけたい。 誤解からスタートした中国語学習の自分史を振り返って、日本語表記文字と、中国語文字とは確かに祖先は同じであったが、それぞれが異なる言語の土壌において発展をとげつつある点を自覚し、正確に記述することを心がけたいと考えている。下記にその違いの一部を未整理であるが例示しておく。日中ビジネスのちょっとした息抜きにもなろうが、実は中国ビジネス文書表記上のポイントでもある。 《日中漢字対照例示》
左が日本の常用漢字、右が中国文字“简体字”であることは、おわかりねがえると思う。子細にその違いを見て欲しい。 原載:『日中経協ジャーナル』(財団法人日中経済協会)
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